第9話

 「まぁ、そうなの?」

 春の日に柔らかく吹く風のような愛らしい声だった。

 「そうだとも。これでお前の不安はもうなくなったね?」

 父親の声にはかすかに怯えが乗っていた。

 「うふふ。もちろん。アレが見放されて居なくなったのなら、ちゃんと予言通りだわ」

 リアンは、真っ赤になった目を、うっとりと細めた。


 「ねぇ、お母様、本当にこれで大丈夫かしら?」

 ほとんど白に近いピンク色をしたドレスを身に纏い、リアンが鏡を見つめる。

 「まぁまぁ!あなたは世界一美しいのだから、大丈夫に決まっているわ!」

 媚びた猫のように甲高い声で、母親がそう答えた。媚びた猫であれば可愛くもあるが、この女ではおぞましいだけだった。

 「月のように綺麗な金の髪、くっきりと綺麗な白目に琥珀…」

 「琥珀?」

 「あら嫌だわ、美しい黒曜石の瞳、すっとした鼻筋に、薔薇の頬、赤いシクラメンのような唇。ただでさえあなたはこんなに美しいのに、最高のドレスを着たあなたはまるで女神ようだわ」

 白目は、マリアンナが居なくなったのを聞いたすぐ後に、自身で回復の魔法をかけて治した。しかしその時、何故か彼女の瞳は黒く染まっていた。きっと、ギルバートの髪の色に合わせて染まったのだと、リアンは好意的にこの不可解な現象を受け止めた。

 「うふふ。そうよね?私、きっと今日は誰よりも輝くわ」

 鏡の前で、リアンがくるりと回った。


 「精霊姫爵、アンナマリアさまご入場!」

 ホールにいる人々の視線を一身に浴びて、リアンは大理石の大階段を降りる。

 今日は、太陽の王子の婚約者が発表される日である。この日のためにギルバートには散々ドレスを強請る手紙を送ったのだが、パーティーのドレスは自費で出すようにとギルバートの秘書から返事が来ていた。それでもめげずに王城へ行き自分にふさわしい世界一のドレスをプレゼントしてくれるよう直談判したところ、王妃より緑色のドレスを貸し出すと連絡が来た。つまりこれは、王妃様がリアンを歓迎し用意してくれたのだと喜んで発表の日を待った。

 何を間違ったのか招待状が届き、その招待状の飾りとしてほのかにピンク色をした花弁が添えられていた。これはつまり、パーティーの主役が着る予定のドレスの色であり、被らないように配慮を求められているということだ。

 おかしいと思ってすぐにギルバートに確認したが、以前贈られた緑色のドレスを着るように秘書から返事が来た。

 リアンは急いでドレスを仕立て直した。王妃のドレスは型も普通で正直、正統派だが流行遅れのため面白みが無かった。だから、王妃より"いただいた"ドレスを売って新たに仕立てるドレス資金の足しにした。淡いピンク色のドレスは、王子妃として流行を生み出す側に相応しい型破りなドレスにすることにした。

 デコルテは大胆に出し、谷間がくっきりと見えるように。背中がかなり開いたデザインが流行っていたから、もっと深く開けた。構造上前にポロッと落ちてしまうので、コルセットのように紐で固定するようにした。

 もちろんこうなるとコルセットは使えないので、本当に腰の細い、リアンでなければ着こなせない難しいデザインでもある。

 ここからがこのドレスの真骨頂で、なんとスカート部分の前を太腿が見えるほど短くした。横から後ろにかけて徐々に長くしていき、真後ろの部分は今までのドレスと同じような長さだ。

 限られた時間でよくここまで素晴らしいデザインのドレスを仕立てたと、リアンは自画自賛する。

 その代わり、生地が安っぽくなってしまった。なにせ、招待状が届いた貴族たちがこぞって盛装用の衣装を依頼したため手の空いている仕立て屋であるオートクチュールは少なく、しかも、とても斬新なデザインだったため老舗であればあるほど怖気づいたのだ。母が昔使っていたという下町のブティックに、普段はブティックの既製品を作る職人を紹介してもらい、特別に仕立てを頼む羽目になった。庶民向けのブティックであり、いい生地を入手できなかったのだ。

 しかし、自分の魅力があれば誤魔化せる程度だとリアンは思った。

 皆の視線を集めているのを肌で感じながら、リアンは階段を降りきった。

 ざわざわとリアンを見て小声で話す人々に、大輪の薔薇のような笑顔を向ける。

 ざわめきがより一層大きくなるのを聞いて、リアンは喜びに胸が震えた。

 (ふふふ、次の夜会から私を真似たドレスを着た人だらけになるわ!)


 入口に着いても、ギルバートの元へ案内されなかったので、多分先に中に入り、発表と同時にギルバートの元へ行くのだろうとリアンは考えた。元々この婚約発表はサプライズであり、婚約発表があることは、リアンを信愛する預言者の弟子の弟子である女が教えてくれたのだ。

 (名前を呼ばれたらうまく驚いた振りをしなくっちゃ)


 リアンは、気付けなくなっていた。




 「精霊姫爵、アンナマリアさまご入場!」


 声を聞いて大階段に顔を向けたアルベールは驚愕に目を見開いた。

 (なんだ!?あの娼婦のような出で立ちは!!)

 少し手を差し込めば簡単にまろび出そうなほど、ギリギリの深さの胸元。チラチラと見せて男を誘うための太腿、裏路地でさっさと済ますためにたくし上げるなりして前を短くしたスカート。デザインこそドレス風に仕立てられているが、夜の繁華街を歩いたことのある男であれば、淑女たれと教育を施され、市井について学んだ女であれば、その姿が何であるかすぐにわかることだった。

 (しかも!本当に今日の禁色を着てくるとは!!)


 「まぁ……なんてこと……」

 「まるで裏路地にいる方のようではなくて?」

 「精霊姫ともあろうお方がどうなさったのかしら……」

 「このところご乱心の噂もちらほら……」

 「それにしても、はしたない」

 「なぜあのように笑顔で降りて来られるのかしら」

 「もしや、流行を先取りしているおつもりなのでは?」

 「まぁ……市井でもアレは受け入れられないでしょう?」

 「それはそうだわ。あれでは商売女と間違えられてしまうもの」


 ざわざわと女たちが囁く。


 「ほぉ、精霊姫は遊び相手をご所望か?」

 「それにしても明け透け過ぎでは」

 「賜ったのが別荘一軒に多少の金だからな。金だけはある馬鹿な男爵狙いか、パトロン探しと行ったところか?」

 「ふむ、馬鹿とは心外だが立候補してもいいな」

 「たしかに」

 「あの体はその価値がある」

 「しばらくすれば手切れ金でも渡せば……」


 男たちが好色の目でもってざわめく。


 「しかし、変更の手紙が来たのは……」

 「あぁそうか、そういえばうちのがそのせいでバタバタしていた」

 「ほう、お前のところは勇気があるな。あの色を着ようとしたのか?」

 「いやいや馬鹿な。差し色に少し入れていたらしい。すぐに作り変えさせていたよ」


 「急な変更で何があったのかと思えば……」

 「……そう、そういうことですのね?」

 「我こそはという挑発なのかしら?それともご自分が呼ばれると勘違いなさっているとか?」

 「あんな品位の欠片もないドレス、王家が仕立てるはずもありませんわ。ご自身で手配されたのでしょうね」

 「だとしたら精霊姫さまは……」


 人々の好奇の目を浴びながら、先に来て壁の花を決め込む両親には目もくれずリアンが優雅な足取りでホールの中央へ歩を進めた。




 「国王陛下、並びに王妃殿下ご入場!」

 あとに続く予定の二人に、王妃がウインクをして、国王に腕を引かれ扉の向こうへと足を踏み出した。


 「準備はいいかい?マリー、僕の女神」

 「まぁ!女神だなんて、ジルの口はいつだって上手なんだから」

 「君に対しては真実しか出ない口なんだけれど?」

 「ふふふっありがとう」

 マリアンナの今日のドレスは、型はバレリーナネックのトップスに、プリンセスラインのスカート。色は、以前は避けていた黄色、というよりは金。派手すぎないよう、白く淡いチュールを重ねてあり随所に銀糸で刺繍が施されている。華やかでありながら品のある仕立ては、王妃御用達のトップオートクチュールの作である。

 王太子であるジルベールの装いも、マリアンナに合わせてあり、深みの強めてある金地のズボンに、白の軍服。その軍服は金糸で沢山の刺繍が上品に施されている、ひと目でペアであることがわかる装いだった。


 『みなに、報告がある。我らが太陽がついにともに歩む者を見出した。祝福してほしい!』

 ホールから、国王の朗々とした声が聞こえる。


 「辛い思いをさせるよ」

 「あなたがそばにいてくださるのだもの。私は大丈夫」

 「絶対に守るよ」

 「ええ、もちろん信じているわ」

 「それじゃあ行こうか」

 「ええ」


 断罪がはじまる。

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