泣いてもいいから
遠藤 円
泣いてもいいから
「手術しないと、もう前みたいに歌うことは難しいですね」
医師の声が遠くで響くように聞こえた。
「……そうですか」
それだけ答えるのが精一杯だった。
病院を出て家に戻っても、病院で言われた言葉が頭の中で繰り返されていた。
歌以外に私には何もなかった。その歌さえも失ったら、私は何者でもなくなる――そんな恐怖が胸を締め付けた。
鏡の前に座り、喉に手を当ててみる。
かつては力強く響いていた声が、今では掠れてしまっている。
バンド仲間にも「無理しないで」と言われ、バンドは解散した。
歌うために生きていたのに、歌えないなら何のために生きるのか。
空っぽの部屋にいると、時間が永遠のように感じられた。
「喉の調子はどうですか?」
「……相変わらずです」
診察室で医師が心配そうな顔を向けてくる。
「どうされますか? 手術を受けるかどうか、まだ決められませんか?」
「……もう少し考えたいです」
医師は静かに頷きながら言った。
「わかりました。お薬を出しておきますね。何かあればすぐに相談してください」
診察室を出ると、周りには明るい表情の患者たちが見えた。
励まそうと声をかけてくる看護師や医師の笑顔が、かえって胸を締め付ける。
誰も私の本当の絶望を理解できない……そう思ってしまう自分が嫌だった。
病院の外のベンチに腰を下ろしていると、不意に声を掛けられた。
「お姉さん、大丈夫?」
顔を上げると、見知らぬ男性が立っていた。
軽そうな雰囲気に、正直少しうんざりした。
「大丈夫です」
そっけなく答えたが、男性は構わず続ける。
「飲み物いる?」
「平気です」
「そう。じゃあ何処が悪いの?」
「……喉です」
「なんだ、それだけか。全然平気じゃん」
その一言に、思わず苛立ちを覚えた。
「お兄さんは何処が悪いんですか?」
「心臓かな」
その言葉に、一瞬、言葉を失った。
「……すいません」
「なんで謝んの?」
「なんとなく……」
「悪いと思ったなら、連絡先教えてよ」
「えっ?」
突然の言葉に戸惑ったが、なぜか罪悪感から断れず、番号を教えてしまった。
「リカコっていうの? いい名前だね」
そう言って笑った彼――奏多との出会いは、最悪の印象から始まった。
奏多は最初の印象こそ最悪だったが、何度も会ううちに彼の優しさに気づき始めた。
私が弱音を吐くと、それを否定せずに受け止めてくれる彼の存在が、次第に私の支えとなっていった。
ある日、奏多に誘われて喫茶店に行くと、真剣な表情でこう言われた。
「俺、手術を受けることにした。リカコも一緒に受けよう」
「え……」
驚きのあまり、声が出なかった。
「歌手を目指してたんだろ? リカコの歌、俺も聞いてみたい」
真っ直ぐな瞳でそう言われ、胸の奥が熱くなる。
「……わかった。受けるよ」
その時の私は、奏多の言葉に救われていたのかもしれない。
手術当日、奏多と一緒に病院に向かう。
「リカコなら絶対、夢を叶えて歌手になれるよ」
「私の歌、聞いたこともないくせに……」
「昨日、夢で歌ってるリカコを見たんだ。笑顔で歌ってて、すっごく良かったよ」
彼は最後まで笑顔を崩さなかった。
手術室に運ばれる背中を見送りながら、私は手を握りしめた。
手術が終わり、目を覚ました時、主治医の深刻な表情を見てすべてを悟った。
奏多は二度と帰ってこなかった。
久しぶりに触れたピアノは埃をかぶっていた。
奏多との約束だった曲を作ろうと鍵盤に触れるが、涙が止まらない。
彼との思い出が次々と蘇り、胸が張り裂けそうになる。
「奏多……ありがとう……」
曲を作り上げた時、私は彼のことを思いながら歌った。
あの時の彼の笑顔を、忘れることはできない。
それから1年、私は夢だった歌手としてデビューを果たした。
今日はラジオ番組のゲスト出演。新曲「泣いてもいいから」が流れ始める。
「それではリスナーの皆さん聞いて下さい、BURNABLE/UNBURNABLEで泣いてもいいから」
あと何度君に好きと言えるのだろう
壊さないように
そっと
あと何度君を
思い泣いてしまうのだろう
聞こえないように
そっと
離した手が
繋ぎ止める
唯一の方法だと
失った今
無くなった手の
温もりから
確かめたい
信じられない
まだ感触だけが残る
湿った部屋で 独り
「泣いても良いから」
繋いだ手を離さないで
落としたマグカップの
ように修復しよう
二人シンクロして
代わり映えもしないの
なんて素敵で
残酷な
「そんな普通のこと」
あと何度君の目を見て
話せるのだろう
触れられ無いのは
もう
あと何度君の隣で
笑えるのだろう
助手席に乗らない
君の
思い出から
薄れてゆく
最後に食べた味さえ
遠慮なのか
天然なのは
変わらないねー
約束とか
目に見えない
ものならもう捨ててしまえ
確かにここにいるから
「忘れて欲しくて」
何も残さないでいくよ
開かない蓋いっぱいに
詰め込んでしまおう
私の歌あなたに届けたかった
あなたは遠くへ旅立ってしまうのでしょう
「本当は笑って」
お別れするべきだった
あなたもつられて
笑顔になったりしないかな
なんて弱いと
許せないことが
増えて も生きて
もう一度
話したいだけ
「いやー素晴らし曲ですね、聞いてると泣きそうになります」
「そしてなんと、本人がゲストで来て頂いてます」
「こんばんは、BURNABLE/UNBURNABLEです」
歌詞が流れるたび、奏多との記憶が鮮明に蘇る。
あの日、彼が見せてくれた笑顔が、今も私を支えている。
「この曲は誰に向けたものなんですか?」
ラジオのパーソナリティにそう聞かれ、私は少し微笑みながら答えた。
「もう届くことのない、大切な人に向けて作った曲です」
ラジオを聴いているどこかの空の下で、奏多が私の歌を聞いてくれている――そう思わずにはいられなかった。
泣いてもいいから 遠藤 円 @koneko0417
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