この学校の移動教室はひと旅行と表現した方がいい。元あった高等学校のテニスコートを数面つぶし中学校を併設した関係で、芸術科目の教室が遠い。それもそのはず、中学校のある場所と芸術科目の行われる教室は反対にあり、敷地の端から端まで授業の短い合間に移動せねばならない。それでもたいていの場合は間に合わない。授業の長引いた生徒が次の芸術科目に間に合うために急ぐ中、反対からは同じように駆ける別の組の生徒とすれ違うというのは日常茶飯事、すれ違う際にのんきに挨拶を交わす暇などない。重い足を引きずりつつまだ蒸し暑い九月の熱気の中をひたすらに駆ける。それでも足枷を取ることはできない。それがリノリウムの床に打ち付けられ、走るたびにがらんがらんと音を立てるような気がした。


 美術室には特有の油っこい匂いが染みついて、とめどなくじわじわと染み出てきている。まれに吹く風が室内の空気を攪拌しては匂いを攫う。それに対抗するかのように匂いは染み出る。このつんとした匂いが私はとにかく嫌いだ。授業は二の次、この匂いを忘れるために私は別のことを考える。「ゲイユ」。がらんがらんという幻聴。次第に意識は朝方まで戻ってリノリウムの廊下を通りとてつもないスピードで美術室へと向かい、そして現実へ帰る。「……では、本日も同じように作業へうつってもらいます」、教師の一言で生徒はわらわらと動き出し、各々の作業に没頭する。私の視線も手元にある画用紙へと向かい、慣れた手つきで画材を用意する。その間にも意識は朝と現在を往復する。


 そういえば、今日すれ違った中にあの人はいなかったか、と考える。隣の組はひとつ前が美術だからたいていは教室へ戻る全員とすれ違う。今日はあの人とすれ違わなかった。それに気が付いた私の脳内は、そのことでいっぱいになった。気が付かなかっただけ? それとも今日は欠席なのだろうか? 病欠だろうか。夏風邪であればこじらせると辛い。そうでないことを祈るばかりなのだが。

 気が付くと、手元の画用紙はだんだんと黒みを帯びていた。絵のテーマは「非現実世界を描く」。要するにエッシャーやダリのような絵画が課題だ。またはカフカや安部公房やバリー・ユアグローの小説をそのまま絵画にしたものでも(おそらく)構わない。現実の世界を超越していればどのような構図で何を描こうが構わないのだ。頭を使って描いても、あるいは私のようにひたすら無心で描いてもいい。手元ではまるで私の心中の写像であるかのように、油絵の具が渦を巻いている。その中に何が見えるかはわからない。そこにいるのは一匹の猫かもしれないし、あるいは無限に広がるもう一つの世界があるのかもしれないし、同時に何もないのかもしれない。今にもそれは壊れ、瓦礫の山となるようにも見える。しかし見えるものは明瞭だ。心に浮かぶままに、その渦の中に絵の具をのせていく。完成はもう近い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る