第3話
屋上に居た。学校の屋上だ。陸上からコンクリートが積まれて出来た校舎があった。グラウンドが見えた。その陸上までは一般人の俺には遠く眩しく見えた。暖かい日光と柔らかい風の匂いが鼻を打つ。
自分の心とは裏腹に群青色に輝く空。肺に割り込んでくる爽快な空気が何も知らない。俺の心情なんて誰にも関係ないと思った。
「もう何も知らなくていい」
どうでもいい。他人の心情なんて。俺には俺が居る。俺の出した答えが俺の全てだ。
変に暖かさが増している太陽とパノラマに変わり映えのしない空。そうだ。俺にはもう全て無縁なんだって知ることができた。人種が違う。身分が違う。実現できることが違う。
カレンダーが破れ続けるだけの毎日が恐ろしい。
何かの声を聴くことが怖い。静寂が怖い。誰かに見られていることが恐ろしい。
希望の見えない明日への不安。不甲斐ない自分自身。
とうに敗れた俺は、日々の中にある何かに焦点をあて、楽しむことすら億劫だった。昔の自分なんてもう存在しない。
最早。あとは転落するだけだ。
このままではジワジワと落ちるだけだ。
どう点を打てばいいのか、自分自身、分かっているつもりだ。
赤褐色の熱砂の中での呼吸が辛かったことを覚えている。苦くて滲んだ全ての負債が一気に解き放てるみたいだった。
舞台は整っていた。陸上で死ねる生き物になりそうだ。
「もういやだ」
何か重りに敷かれた自分の感情。
思い通りにいかない、現実は甘くはない。努力だけじゃ勝てない。才能がなきゃ食えない。そんな当たり前のことが嫌で金網を握り締めていた時だった。
「...」
「ここに居たのか」
「..部長」
立ち入り禁止の貼り紙を見えていなかったのだろうか。
俺とは決定的に違う人間が入り口に立っていた。
女の長くて黒い髪が揺れた。
「正確には『元々』だよ。お互い部長を引退した身だ。元部長さん」
マウント。笑えてくる。
そうだ。俺はこの人種が嫌いだった。
「大会どころかもう走れないことに笑えますよ」
足で地面を蹴ってみれば痛覚が正常だ。
「双葉...」
羽場千枝。俺は
「悔しいのか?」
部長は嫌なことを聞いてきた。思い残すことはもう何もないというのに。
「...」
...今更。
「諦めるのか?」
「...」
今更。何を。
「苦い顔をしてるな。双葉」
この怪我を治したところで、二度と同じ舞台には行けないし戻れない。
「あのなあ。双葉」
「お前さ。浅草に手を出そうとしてたじゃん」
「...なんで、それを?」
「ぐーぜん、通り掛かったんだよね」
「...」
「ま、なんつーか」
「お前真面目だから、引きずって...」
「要らないです。部長」
もう何も要らない。知らない。余計な一言ばかりだ。
「俺は、浅草に手を出そうとしたクズなんですよ。
一番大切に思ってた浅草を、傷つけてしまった...!」
それは俺にとっても、道徳的にも許されない行為だった。
「だから俺には...!」
「最後まで聞けよ!」
初めて部長が目を大きく開いて叫んだ。いや、叫んだと思える程の声の真剣さ。屋上の空気が張り詰めている。
青空の中、柔らかい雲と風に包まれている中。そのすべてが引き裂かれるように思えた。
「足が壊れて頭おかしくなってたのは知ってる。
お前がもう走れないことも恐らく学生の間はずっと。」
「だけどなあ。双葉」
「浅草にはお前が必要だ。浅草はお前のことがなにより好きだからな」
「そしてまた、『双葉蒼』という人間にも浅草は必要だよ」
「本当に謝る気があるなら、最後まで一緒に居てあげるべきなんじゃないの?」
じゃあまた。また会うまでは、図書館の揉め事、多分バラさないから。それを言い残して部長は苛々とした顔をして階段に向かっていった。
空はやっぱり、皮肉なくらいに真っ青だった。
「なんでだよ」
風が冷たくて。目が熱くて、頬が生温かい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます