第13話 不明・中

 牧村の部屋に着くと、豊島クルーズの江頭が困惑した顔で部屋の前に立っていた。

「丹羽さんと木崎さんがホールに向かったので、俺が代わりにここで待ってました。現場保存? が必要なんですよね?」

「有難う、助かりました。中を、見せてもらえます?」

 櫻子が礼を言うと、彼はマスタキーらしい色が違うカードキーで部屋を開けた。

「江頭さんは中に?」

「いえ、入っていません。丹羽さんから連絡を受けて、代わりにここで一条様達を待つように言われて、待機していました」

 その言葉に小さく頷いて、櫻子と紫苑は白い手袋をつけて開けられた部屋に入る――途端、アルコールの強い香りに僅かに二人は眉をひそめた。

「ウィスキーのボトルが、割れてる。これの中身が床に零れて、部屋がアルコールで臭いみたいや。それに、この瓶の底に人間の血液らしいもんが付着してる。これで、誰かが殴られたんかもしれへんね」

 自分たちの部屋より僅かに狭いのは、シングルルームだからだろう。屈みこんで床に散らばる硝子がらす片に気をつけながら、紫苑は辺りの様子を櫻子に説明する。

「確かに、牧村さんの姿はないわ――それに」

 櫻子も辺りを確認して、ベッドの上に転がっているものに視線を向けた。


「ヴァイオリンが、二本。どういう事かしら」


 彼のベッドの上には、ケースから出されたヴァイオリンが二本並んで置かれていた。紫苑はズボンのポケットから取り出したスマホで、部屋の全てを撮影していた。床に置かれたヴァイオリンケースは、一本分しかない。

「見た目の質感から、高そうなのと安そうなもの。それは、素人目でも分かるわ。どちらかがホールで無くなったものの、一本かしら」

「その可能性が高いね。牧村のが安い方かもなぁ。あの人、調べたらやっぱりアルコール依存症で、結構酒に金使ってるみたいやで。遠野指揮者にも怒られて、楽団追放される寸前やったみたい。まあ、素面しらふの時の演奏はそこそこの腕前やから、何だかんだで首の皮一枚で雇って貰ってたみたいや。楽器も売ったって、ネットで噂されてたけど……」

 櫻子達と同じで、海側の部屋だ。櫻子はアルコールの濃い匂いを出すために、鍵の掛かっていた窓を僅かに開けた。潮風が部屋の中に舞い込み、ゆっくりとアルコールの匂いが消えていく。

「宮城さんに連絡して。次の停泊港――香川県の高松港で、この船に乗って貰うわ。竜崎さんと鑑識を連れて来て貰って。私は、彼らが乗れるように刑事局長に連絡するわ」

「了解」

 紫苑は宮城に、櫻子は小日向刑事局長に連絡をした。それから一度、部屋を出た。

「あ、あの……牧村様は亡くなられたのでしょうか?」

 出て来た櫻子に、江頭は慌てて声をかけた。怪訝そうな顔をする櫻子に、彼は話しを続けた。

「いえ、社長に報告しなければならなくて……初めての旅で死亡者が出ると、その……世間的に、この船の印象が悪くなります」

「ああ、そうね。もし死亡者が出たら、豊島社長に連絡しなければならないわ。でも、今牧村さんの姿は見つけられない……行方不明者が出た、とだけ報告してくれますか? こちらの上の者から、改めて詳細を社長に報告すると思います。それより、鍵は?」

「鍵は、このマスターキーと牧村様がお持ちのもの、清掃要員用の三枚だけです。ですが鍵がデジタルなので、船の関係者なら本社にあるデータにアクセスして複製は作れます」

 部屋は、ざっと見ただけだ。見えるところに、彼自身のカードキーは見つからなかった。オートロックなので、鍵がなくても部屋は自動的に閉まる。

「警察の応援を呼びましたので、コピーのカードキーを一枚用意して貰えますか? それと、この部屋には誰も入れないように――勿論、あなた達クルーズの社員や清掃員も入らないように。清掃用のカードとマスターキーは、使わないように預からせて頂きます」

「分かりました、今から複製キーを作り、一緒にお渡しします」

「カードキーを使ったドアの開閉の記録は、全て記録として残るのかしら?」

「いえ、この船では飲食などすべて無料です。カードキーを使うのは、この船の売店で各地のお土産を購入する時、ドアの開閉だけです。購入物は旅の終わりの清算する時の為に記録に残しますが、ドアの開閉はプライバシーになりますので記録に残しません。ドアの開閉が記録として残るのは、清掃要員のカードとマスターキーだけです。出発したばかりで、清掃は明日の朝に使うのが最初になる予定です」

 江頭の言葉に、櫻子はゆっくり頷いた。

「演奏会が始まったら、私たちは動くわ――江頭さん、あなたには少しやって欲しい事と、秘密にして貰いたい事があるの」

 そう聞いた江頭は、緊張した面持ちになった。

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