第14話 不明・下
牧村の部屋のカードの複製を作りに、江頭と紫苑が現場を一度離れた。その間用心の為に、櫻子が部屋の前に立っている。海側とは反対の、内側にある廊下だ。景色を楽しむ事は出来ず、かと言ってスマホに没頭する訳にもいかないので、櫻子は所在無げにぼんやりと立っていた。
「おや、どうかしたんですか?」
一部屋あけたドアの向こうから、グルメ評論家の松下が部屋から出てきた。櫻子達とは反対側の海側の部屋シングル部屋が続いていて、先頭が牧村、次の部屋がチェロの一村、その次が松下になっている。
「いえ、人を待っているんです」
「あなたは――確か、豊島凛良さんのご親戚の方でしたね」
ふくよかな松下は、にこにこと愛想よく櫻子に歩み寄ってきた。のんびりとした性格で、話し好きの様だ。
「はい、一条櫻子と申します。あの……何か、騒がしい音を聞かなかったですか?」
一部屋空いているとはいえ、食後彼が部屋にいたのなら何か物音を聞いたかもしれない。櫻子は笑顔を浮かべて尋ねた。
「騒がしい音、ですか? あはは、お恥ずかしい。実はお昼のメニューについてコラムを書いたんですが、お腹が一杯になって少し転寝をしていたんです。特に気になる音は耳にしなかったと思います。波も穏やかだし、いい航海ですね」
確かに、彼のふくよかな頬にはパソコンの充電コードらしい痕がついていた。彼は確か三十代前半で、テレビでたまに姿を見る。雑誌にコラムなども定期的に書いているようだ。
「そうですか。確かに、秋晴れで天気も良く穏やかな航海ですね。これから、演奏会に?」
「ええ、実は凛良さんのファンでしてね。演奏会を楽しみにしているんです――僕は行きますが、一条さんは向かわないのですか?」
「はい、人を待っていまして――予定が合いましたら、会場に向かいます。演奏会、楽しんで下さいね」
誰を、と尋ねられないように櫻子は笑顔のまま彼を促すように言った。松下は「有難うございます」と頷いて、ホールの方へと足を向けた。
「櫻子ねぇー!」
松下とすれ違う様に、パソコンが入ったリュックを背負った紫苑が足早に櫻子に向かってくる。その後に、江頭も付いてきている。
「使用しないように、三枚のカードはまとめて朽木さんにお渡ししています。こちらが牧村様のお部屋のスペアキーです。そして、空いているお部屋のマスターキーをお持ちしましたが……」
江頭が、カードキーの束を出す。浮かない顔つきだ。
「江頭さん、この事とこれからの事は刑事が乗って来るまで同僚の方にも絶対に話さないでくださいね。空き部屋を、今から調べます」
「はぁ……死体が出てこないように、願っています」
「紫苑は、私達の部屋がある方を確認して。私は、こっちを調べるわ。海側より、先に内側の部屋を確認して。江頭さん、あなたは牧村さんの部屋の前に居てね。それと、部屋数は?」
カードキーを受け取った櫻子は、反対側の部屋のカードキーを紫苑に渡しながら尋ねた。
「お客様の部屋は、貴賓室を覗いて三十部屋です。船の乗組員の部屋は、地下になります」
二人の会話を聞きながら、リュックから懐中電灯のようなものを取り出した紫苑は、確認する様にそれの電源を入れた。
「あ」
紫苑が、間の抜けた声を零した。櫻子と江頭が、思わず彼女の方を見る。科学捜査用ライト(ALS)、通称ブラックライトの様だ。
「……ここなのね」
櫻子が、溜息と共にそう呟いた。それは、牧村の正面の部屋――内側の、空き部屋になっている部屋。ドアの所に、ブラックライトに照らされた血を拭った跡がそこに映っていた。
「なーんや、調べる手間が省けたなぁ」
櫻子はバックから、白手袋を取り出して手に被せた。そうして、カードキーを使いドアを開いた。
「う!」
櫻子の後ろからその部屋を覗いた江頭が、思わず口元を抑えて慌てて顔を逸らした。櫻子の開けた部屋のすぐ入り口に、牧村が倒れていた。倒れていた、というより押し込まれたままの態勢に見えた。後頭部に付いた血はまだ乾いておらず、血の気のない顔と無理な態勢で、もう彼の命はないと分かる。
「この両部屋は、しばらく使用禁止……出来たら、この通路の部屋の人も反対側に移動して貰った方がいいわ」
見開いて驚きの表情を浮かべる牧村の遺体をもう一度見てから、櫻子は一度部屋を閉めた。
「演奏会が終わるまで、高松港には着かないわね――早く、宮城さん達と合流しないと」
「さっき連絡があって、伊丹空港から高松空港域に乗ったって。あっちは、一時間ほどで着くみたいって」
紫苑の言葉に、櫻子は深いため息を零した。
「念のため、他の空き部屋も確認するわね。今私達が捜査すると、演奏会が台無しになるから高松港に着いてからにするわ」
「了解」
「あの……俺はどうすれば……」
江頭が、困惑した顔で櫻子に尋ねた。
「持ち場に戻って。ただし、捜査員が乗り込んで来る迄は誰にも遺体の話はしないでね。それと、ここで待機する私達に椅子を持ってきてくれないかしら? ああ、それと濃い目の珈琲も」
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