第11話 乗客・下
三人は一度櫻子達の部屋に戻り、篠原はメモに人物関係を忘れないように書き出す。紫苑はパソコンを開くと監視カメラを確認して、珍しく櫻子が三人のお茶を用意していた。
「珈琲の種類が偏っているのと、これが好きじゃないわ」
「これ」とは、紙で出来た一人用ドリップの事らしい。ルームサービスで珈琲を運んで貰おうとしたが、今は他に人物と離れて話がしたかった。仕方なく、部屋に備え付けられている中から、緑茶にする事にしたらしい。
「やっぱり、ストーカーらしい人は乗ってないみたいだね。一応有名人か、ちゃんとした職業の人ばっかりだ」
「そらそうやろ。あ、お嬢さんが音合わせに向かったようやで」
「そっか、なら俺は付いて行った方がいいですね」
篠原はメモ帳をポケットに直すと、立ち上がって櫻子に確認をした。櫻子はカップを用意する手を止めて、篠原に言葉に頷いた。
「ええ、よろしく。一応気をつけてね」
「あ、篠原! これ、付けといて」
紫苑はソファに座ったまま、篠原に小さい何かを渡した。慌てて篠原は身を屈めてそれを受け止めた。
「篠原のスマホにはGPSが付いてるけど、念のため服とかに。音に反応して録音する機能もあるから、壊さんといてな。高かったし」
「うん、分かった」
篠原は素直に返事をして、その小さな機械片に見えるものをネクタイの裏にあるタグに引っ掛けた。そうして揺らして、落ちないのを確認する。
「じゃあ、行ってきます。一条課長も紫苑も、気をつけて!」
篠原は凛良に追いつくように、慌てて部屋を出て行った。その姿を、二人の女が笑いながら見送った。
「――なあ、櫻子ねぇ」
篠原が出て行ったドアを見たまま、紫苑が櫻子に声をかけた。
「篠原君には、何も言ってないわ。話したいなら、紫苑が話したい時に素直に話す方が良いと思うから」
紫苑が続く言葉を話さない前に、櫻子は少し困った顔をしてそう言った。紫苑は振り返らず、僅かに黙った。
「……そうやね、有難う。やっぱり、櫻子ねぇが居てくれてよかった」
篠原が櫻子達の部屋を出ると、ホールの方に向かって歩く凛良の後ろ姿が見えた。彼女、一人だ。手には、何もなく肩からスマホが入るくらいの小さなポーチを掛けていた。その彼女に、篠原が慌てて駆け寄った。
「凛良さん!」
そう声をかけると、彼女は長い髪を揺らして振り返った。素直に綺麗だ、とは思う。櫻子に会ってなかったら、ときめいていたかもしれない。
「あら、大雅君――ひょっとして、護衛?」
振り返りそうになった時に表情はなかったが、篠原に向き直った顔は笑みを浮かべていた。
「そうです、駄目ですよ! 一人で行動しちゃ」
篠原が心配そうにそう言うと、凛良は少し驚いた顔になって、それから微笑んだ。
「だって、私大雅君の連絡先知らないわ」
「あ、そういえばそう……でしたね。あの、これが俺の番号です」
篠原は慌ててスーツのポケットからスマホを取りだすと、自分の番号のQRコードを表示して凛良に見せた。凛良はポーチからスマホを取り出すと、何か操作をした。
ポン、と篠原の画面に可愛らしいスタンプが送られてきた。「よろしくね」と書かれた、ウサギのイラストだ。
「これから出かける時、必ず連絡するね」
そう言うと、自然に篠原の腕に自分の腕を彼めて凛良は歩き出した。篠原は赤くなって話そうとするも「親しい友人」という立場である事を思い出して、凛良の歩調に合わせて自分も歩き出した。
「高畠さんは、まだ具合悪いんですか?」
「彼女、片頭痛持ちらしいの。仕方ないわ。パパの会社の人達も何かと忙しいし、邪魔しちゃいけないと思って一人で出たの」
時折、水面に太陽の光が当たって眩しくなる。それに気付いた篠原は、凛良に光が当たらない様に体を動かした。
二人がホールを前にした時、男がヴァイオリンケースを手に出て行くのが見えた。
「えっと……牧村さん、どうかしたんですか?」
篠原は頭の中のメモ帳をめくり、彼の名前を呼んだ。呼ばれた男はびっくりしたように体を竦めて、それから慌てて振り返った。どうやら、酒は随分抜けたようだ。
「あ、豊島さん! っと……えっと?」
「彼女の友人の篠原です。音合わせ始まりますよ?」
篠原がそう言うと、彼は頭を掻いた。
「いや、弦が切れて――予備を部屋に置いてきてしまってたので、取りに帰ります。すぐ戻るんで!」
そう言うと軽く頭を下げて、その場から逃げるように足早に立ち去った。
「予備の弦を持っていないなんて――無能ね」
凛良はそう言ってから、にこりと笑って篠原を促してホールに入った。
しかし、三十分待っても牧村は戻ってこなかった。
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