第6話 凛良・上

 三泊四日と言っても、自分たちは仕事だ。しかしその話を聞いた下宿先の大家の頼子よりこが、「フォーマルスーツは、一着でも持って行きなさい!」と言い、息子である雪之丞ゆきのじょうのスーツを出してきた。しかし同じ筋肉が付いた体であるが、雪之丞の方ががっしりと一回り大きい。頼子は何処かに連絡して、そのスーツを篠原の体格に合わせて作り直させた。

「うわあ、おじちゃんかっこいい!」

 イタリア製のそのスーツは保存が良く、持ち主の雪之丞が成人式をした時のものだというから驚いた。古臭くもなく、鍛えた篠原の筋肉を綺麗に魅せていた。

「成人式のものって……そんな大切なもの、良いんですか?」

 喜んで抱き着く唯菜ゆいなを支えながら、篠原は申し訳なさそうに頼子に頭を下げた。

「ええよ、気にせんといてや。あの子は古臭いタイプやから、オッサンみたいなスーツばっかり着るんよ。折角のええもんやし、着てくれる人に来て貰った方が、スーツも喜ぶわ」

 篠原のスーツ姿を見て、頼子も満足げだった。

「けど……豊島、なぁ……気をつけや。あそこは、桜海會おうみかいとは違う組と仲ええらしいって聞いたわ。あんまり深く関わらんときや」

 スーツケースからそのフォーマルスーツを取り出して、篠原は皴にならないようにすぐに備え付けのクローゼットに掛けた。思い出した頼子の言葉に、改めて気を引き締める。今回は、護衛だ。殺人が起こるかもしれないが、凛良を護る事が優先――そう、改めて息を深く吐いた。

 そうして、篠原は一度窓から外を見る。瀬戸内海に向かって進む、船の旅。機会があれば、留守番させている唯菜も今度は連れて来てやろう。そう思って暫く景色を眺めていたが、篠原はカードキーを手に自分の部屋を出て櫻子と紫苑の部屋に向かった。



「今、木崎さんが来てる。お嬢様に会いに行こうって所で、丁度良かったわ」

 案外、廊下の足音や声や隣の部屋のノックの音など聞こえないようだ。ドアを開けてくれた紫苑に「有難う」と言うと、櫻子達が出てくるのを待つために篠原はそのまま廊下で待った。

 木崎が出てきて、篠原に頭を下げる。次に紫苑が出てきて、櫻子が出てきた。


「!」


 出て来た櫻子の姿に、篠原は思わず赤くなった。

 櫻子は、いつものスーツ姿から着替えていた。淡い紫色のワンピースで、くすんだ赤色のリボンが細い腰を飾っている。リボンと同じ色味のヒールに、黒のクラッチバック。いつもより濃いめの化粧だが、青味がかかった口紅はいつもと変わらない。桜の花のシルバーネックレスが、きらりと首元で輝いていた。

「ほら! やっぱり篠原、櫻子ねぇに見惚みとれてる!」

 櫻子を見つめる篠原に、紫苑がにやにやと櫻子に視線を送った。その言葉に、櫻子と篠原が慌てたように視線を逸らす。

「こ、これはね、篠原君。クルーズなのにいつものスーツ姿じゃ浮くというか……その、変装、……そう、変装なの!」

 慌てた櫻子の言葉に、紫苑がおかしそうにお腹を抱えて笑っている。篠原は何度も頷いて、そんな彼らを木崎が不思議そうに眺めていた。

「それより、凛良さんを待たせる訳にはいかないわ! さ、行きましょう。木崎さん、お願い」

「はぁ……では、どうぞこちらへ」

 木崎は怪訝そうな顔のまま頷いて、先ほど篠原と紫苑がカメラを設置した廊下へと向かった。クラッチバックで紫苑の頭を叩いた櫻子がその後に続き、篠原も続く。ようやく笑いが収まった紫苑が、最後尾に着いた。彼女は篠原と同じで特に着替えておらず、パソコンが入ったリュックだけは背負っていた。


「お嬢様、ご案内いたしました」

 大きなドアをノックをすると、凛良のアシスタントの高畠がそのドアを内側から開いた。そのドアの向こうの部屋の中で、黒いヴァイオリンケースを抱える凛良の姿があった。

 感情が読み取れない、綺麗な凛良。誰もが、彼女を美しいと賛美するだろう。しかし篠原は、同じくらい綺麗な櫻子以上には心を奪われなかった。

「先ほどは失礼しました、どうぞ中へ」

 凛良が小さく微笑んで、櫻子達を貴賓室へと招いた。木崎が横に立つと、櫻子が入り篠原と紫苑が続く。そうして木崎も入ると、ドアは閉じられた。


 梔子クチナシの花の様な、爽やかな甘さの良い香りがする豪華な部屋だった。

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