第7話 凛良・中
「私、夏の花だと梔子が好き。今はもう秋だから、父に頼んで特別に取り寄せて貰ってるの。本当は桜の花が一番好きだわ、私」
思わず香りを嗅ぐような篠原に気付いたのか、凛良はそう言って自分たちの部屋にはない豪華なテーブルとソファを指差した。そこには、梔子の花が活けられていた。
「ベッドの傍にも、花瓶が置いてあるの」
「貴賓室の部屋には、お泊りになる方の好みの花を活けるようにしております。大体は、その季節の花です――今回、プレミアムスイートの遠野様のお部屋には鹿の子百合、ジュニアスィートの沖田様のお部屋にはジンジャーリリーを用意しております」
凛良の言葉に続くように、木崎がそう櫻子達に説明した。
「さあ、座って」
凛良がそう言って櫻子達にソファを勧める。ソファは、テーブルを挟んで二人掛けが二脚並んでいる。どう座ろうか櫻子が一瞬考えた時、凛良が抱えていたヴァイオリンケースを脇に置いて、篠原の腕を引いた。そうして、篠原と共にソファに座った。
「そちらに、お二人どうぞ」
普段は感情が乏しいように感じた凛良が、にっこりと微笑んで櫻子に対面のソファを促した。凛良の行動が意外だった櫻子はきょとんとした表情を浮かべてから、はっとなり小さく頭を下げてソファに座った。紫苑は、楽しげな表情で三人を見ている。
「琴羽さん」
「はい、ご用意します」
木崎と高畠は凛良の後ろに立っていたが、凛良が高畠に声をかけると彼女はバーカウンターの所に歩いて行き紅茶を用意し始めた。
「あ、あの……豊島さん」
まだ自分の腕に腕を絡めている凛良に、篠原は困った様な声を上げる。しかし凛良は、にっこりと笑いかけただけだ。離す仕草を見せない。
その様子に、紫苑がぶっと吹き出して笑った。「すみません、気にせんと話してください」とおかしさを隠さずに、何とかそう櫻子達に言った。
「どうぞ――凛良様がお好きなフランス産のセイロンティーです」
その合間に高畠が紅茶のカップと鮮やかなマカロンが乗った皿を並べた。そのマカロンを見て、紫苑がようやく笑いを止めた。
「ええと…今回、凛良さんのお父様から護衛の命を受けて、曽根崎署から参りました。一条警視と篠原巡査部長と、朽木巡査です。今回、何故専門のボディーガードを雇われなかったんですか?」
凛良の様子に、櫻子は調子が狂っているようだ。コホンと咳払いをしてから、話を切り出した。
「私宛に、あるものが届いたんです」
凛良は、また感情が読み取れない表情になった。そうして、高畠に向かって空いている手を差し出す。高畠は、慌てて封筒を取り出してそれを凛良に渡す。
「どうぞ」
凛良がそれを、確認もせず櫻子に差し出す。紫苑はマカロンを齧りながら、その様子を眺めていた。勿論、篠原も。
「――これ、は…」
櫻子は、テーブルの上に封筒の中のものを出した。封筒から出てきたのは、菫の花のドライフラワー。それが、日本綺麗な青色のリボンで括られていた。そして、アンティーク調のセピア色の
『一条櫻子、篠原大雅、朽木紫苑。彼らが、君を護ってくれる。』
何の特徴も癖もない――桐生蒼馬の筆跡に似た文字。ショックを受けたように、櫻子はその便箋を凝視した。
「これは、どこで……?」
ようやく言葉を紡いだ櫻子の声は、少し掠れていた。
――『菫の押し花のしおり』、ではない。これは、蒼馬が犯行を行うと予告しているのではない。しかし、何故『菫のドライフラワーが二本』なのか。
「この船の推進式が決まる前に開催したコンサートで受け取ったプレゼントの中に、紛れてたわ。父が色々調べたけど、指紋もDNAも『全く何も』出なかった――便箋はどこのショップでも買える量産もの、文字を書いたのも大量流通しているボールペン」
まだ少し熱いくらいの紅茶を、凛良は香りを楽しんでから飲んだ。細い指が、細いカップに絡まる仕草が上品だった。
「それで、父と交友があった小日向のおじ様にお願いしたの。櫻子さんたちが小日向のおじ様と親密で、助かったわ」
「凛良さんは、危険に遭うような――何か原因を抱えていらっしゃるんですか?」
ようやく、櫻子は落ち着いたようだ。声音が元に戻っていた。
「ええ、過激なストーカーやライバル? っていうのかな……そんな人達がいるの――そうだ」
そう言ってから、凛良はようやく篠原から腕を離して脇に置いていたヴァイオリンを抱えた。
「櫻子さん、確かヴァイオリン弾けるのよね? 少し、弾いてみない? 聞きたいわ、あなたの音色」
思いがけない言葉を言った凛良は、よく分からない表情のまま微笑んだように見えた。
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