第3話 船上・上

「うわー! すごいですね!」

 車から降りた篠原は、目の前に広がる光景に瞳を輝かせた。後部座席に座っていた櫻子と紫苑も降りると、篠原と同じようにそれに視線を向けた。


 豪華客船『穂乃花ほのか』だ。今日進水式を迎える為、神戸港に泊まっている。今日から三日間、ゲストを迎えて神戸から瀬戸内海を回り返ってくるセレモニーがあるのだ。周りにはマスコミや見学に来た観光客、セレモニーに呼ばれた客が集まっていた。

 

 搭乗している中には、芸能人や芸術家等の著名な有名人が多い。篠原はドラマで見た事がある女優を見つけて、更に驚いた顔になる。彼女達を、船長や乗組員たちが並んで歓迎をしていた。


 『穂乃花』は有名不動産会社が出資して、新たに神戸港を中心にクルーズ船として作られた船だ。真新しく真っ白な船が、九月の残暑の日の光で眩しく輝いている。『特別心理犯罪課』の三人がここに居るのは、新しく刑事局長に就任した小日向こひなたの命令だ。

 小日向は死亡した村崎むらさき元刑事局長の派閥で彼のすぐ下にいた人物だ。勿論彼が刑事局長になると内定が出た時、櫻子は彼と東京で食事をした。人格がおかしくなる前の村崎の意思を引き継ぎ、桐生親子の捕獲、櫻子の権限の継続、など色々再確認をした。会食には、恒成つねなりも同じ席にいた。もし小日向に何かあれば――次は恒成が後を受け継ぐ、という事だろう。

 その恒成は九月の秋の異動で、来年の春まで警察庁に出向になった。


 この船の大株主である不動産会社社長と小日向には、繋がりがあるらしい。同じ大学の出身で、ゼミが同じだったらしい。小日向に依頼したのは、不動産会社社長――豊城とよしろたけしの娘で、世界的に有名なヴァイオリニストの凛良りらがこの船に一緒に乗るからだ。十億の価値があるストラディバリウスを所持しており、また女優にも劣らぬ美貌の持ち主の、二十二歳の音楽家だ。ストーカーや嫉妬したアンチも多く、娘を溺愛している武は彼女の護衛を兼ねて櫻子を船に乗せる様に小日向に頼んだとの事だ。


「けど、紫苑――ドレスコード大丈夫?」

 篠原は船から目を離すと、櫻子の隣にいる紫苑に目を向けた。櫻子はいつもと変わらぬ黒のスーツ姿で、タイトスカートにハイヒール。紫苑も、いつもと変わらないシャツに黒いジャケット。ダメージジーンズに、ソールの高いブーツ姿だ。ノートパソコンは背中に背負ったリュックに入っている。

「はぁ? うちは遊びに来たんやない、仕事しに来たんや」

 紫苑はどんな手を使ったのか、九月から警察官に採用され曽根崎警察著の職員となった。一応階級は篠原の下の巡査だが、試験を受けて篠原より上に行くと口にしていた。

「いや、警察官なのにその髪やコンタクトも……いいんでしょうか?」

 篠原は、櫻子に視線を向けた。櫻子は、心配そうな彼に小さく笑いかけた。

「いいのよ。紫苑は、このままで。刑事局長から、許可を貰っているわ」

 ほっとした篠原は、頷くと船の方に振り返ろうと身を捩った。

「それなら、安心しました――では、自分達も行きましょ……って、わ!」

「篠原君、前!」

「きゃ!」


 色んな声が同時に上がった。振り返った篠原に、誰かがぶつかった様だ。篠原は無意識に、ぶつかった相手に腕を伸ばしてその体を抱えた。


 軽い。どうやら、女性の様だった。


「ご、ごめんなさい……」

 篠原の腕にいる女性が、小さな声で彼を見上げた。

「豊城……凛良、さん?」

 事前に確認していた、女性だった。淡いチョコレート色のブラウスはレースがあしらわれていて、濃いブラウンのスカートはふわりと優雅に舞う。人形のような可愛らしい服装に良く似合った、姫カットの長い漆黒の髪に大きな瞳。しかしその瞳はどこか遠くを見ているようで、細い体と相まって儚げに見える。

「……はい」

 名前を呼ぶ篠原をぼんやりと見返して、そうゆっくりと頷いた。

「怪我してませんか? 大丈夫ですか?」

 細い彼女を強く扱っていなかったかと、篠原は慌てて手を離した。写真で見るより、ずっと繊細そうだったからかもしれない。再び、凛良は頷いた。

「あの…私、行かないと……」

 凛良はそう言うと、後ろで彼女のヴァイオリンケースを抱えている女性を振り返った。その女性も、篠原に向かってすまなそうに頷いた。

「あ! 引き留めてすみません」

 篠原はそう言うと、一歩彼女から下がった。凛良は篠原に頷いてから、彼の後ろにいた櫻子と紫苑に視線を向けた。


 ――感情が、読み取れない。


 凛良は櫻子達にも頷いてから、搭乗口へと向かった。

「ロリータ、似合う子やね」

 しみじみと呟いてから、紫苑は篠原の背中をつついた。

「櫻子ねぇがおるのに、デレデレし過ぎやで」

「は!? ち、ちがっ!」

「あはは」

 篠原は赤くなって慌てて紫苑の口を塞ごうとする。それを、ひらりと紫苑はかわした。


「ほら、私達も行くわよ」

 櫻子が遊ぶ二人を置いて先に歩き出すと、慌てて二人はその後ろ姿を追った。



 櫻子と篠原と紫苑――新生「特別心理犯罪課」の事件が、これから幕を開けた。

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