第9話 ヤクザ女には秘密がある①

 千尋ちひろが桐生家に来てから一月ほどが経ったある日の話である。

 桐生組の現組長、桐生きりゅう宗司そうじがしばらくの間、西の会合に出席するために桐生組を留守にするということになり朝から宗司の見送りに強面のスーツ姿の男衆が一同に集い、道を作るかの如く列を作っていた。

 千尋はその圧巻の光景に気圧されながらも松江まつえとともに列の最後に加わる。


『おかしら、いってらっしゃいませ!』


 男どもが姿勢を低くし、一斉に声を上げる。


「あいあい、朝っぱらから見送りご苦労さん」


 黒のハットをかぶりグレーのスーツに身を包んだ桐生宗司が玄関から姿を現し、部下の男たちを労いながら道の真ん中をゆっくりと歩いていく。


「お、嬢ちゃんも見送りに参加してくれたのか。わざわざ悪いね」


 松江と並ぶ千尋の姿に気づいた宗司が強面の顔面をくしゃっと綻ばせ優しい口調で語りかける。


「はい。あ、あの……これ松江さんと一緒に作りました。どうぞ」


 そう言うと千尋は袋に包んだお弁当箱をおずおずと差し出す。

 その様子にふふと微笑みながら松江も続ける。


「新幹線の中ででも食べてくださいな」


「おお! これはこれは! いやぁ、行きの楽しみが増えたな! ありがとよ嬢ちゃん、お袋」


 千尋から差し出されたお弁当を笑顔で受け取ると、宗司は列にいる部下の男の一人に向き直りこう言った。


「それじゃ俺がいない間、しばらく家のことを頼むぜ。タケ」


 宗司に声をかけられた男の名は桐生きりゅう武虎たけとら。桐生家の長男であり桐生組の若頭、そしてかえでの実兄でもある。キリっとした端正な顔立ちは楓とよく似ているが、その眼には父親譲りの鋭い眼光を宿している。


「ああ。親父もどうかお気をつけて」


「おう。じゃあ、行ってくるわ」


 宗司はぽんぽんと武虎の肩を叩きながらそう言うと正門前に待機していた車に乗り込み、桐生家を後にするのだった。





 × × × × ×




  桐生組総出の見送りが済んだ後、千尋はいつも通りなかなか起きずに遅刻ギリギリになる楓を学校に送り出していた。


「ひー! いってきまーす!!」


 楓は朝食のパンを口に咥えながら慌てて玄関から飛び出す。


「お嬢様! お弁当~!」


 玄関に置き去りにされかけたかわいい巾着袋に入った弁当箱を、千尋が慌てて楓に渡しに行く。


「ごめんごめん! ありがとう! いってきます!!」


「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」


 千尋からお弁当を受け取った楓は全力ダッシュであっという間に彼方へ消えた。

 朝早くからのバタバタを終え、千尋はふうと一息ついた。


「まったくいつもいつも懲りないわね。あの子は」


 そう言いながら松江が玄関から顔を出した。いつもの着物姿ではなく洋服に身を包んだ松江を見て千尋は問いかける。


「どこかお出かけになられるんですか?」


「ええ、古い友人にお呼ばれしてて。千尋さんには悪いけど少しの間、留守をお願いしてもいいかしら」


「はい。そういうことなら家のことはおまかせください!」


「ふふ、ありがとう。千尋さん仕事を覚えるのが早くてつい甘えちゃったわ。夕飯までには戻りますから。……ああ、それと」


 はじめて留守を任されたことにひとしれず感動している千尋に松江は思い出したかのようにこう付け加えた。


「お昼過ぎくらいに宗司と入れ替わりで西に出払ってたウチの組の者が帰ってくる予定ですから。少し母屋おもやのほうを綺麗にしてくれると助かるわ」


 桐生邸の広大な敷地の中にある建物は母屋とはなれに分かれている。事務所や会合場所など、普段桐生組の人間が使用する巨大なお屋敷が母屋となっており敷地の7割を占めている。一方で、楓、千尋、松江の三人が普段寝食を共にしている二階建ての一軒家がはなれとなっている。


「わかりました!」


 千尋の目はすっかりやる気に満ち溢れていた。

 松江を見送ると千尋は腕まくりをし、気合十分といった感じで母屋の掃除へと向かうのだった。




 × × × × ×




「そういえばここにちゃんと入るのってあの日以来か……」


 千尋は掃除用具一式を手に母屋の玄関前に立つ。

 千尋が言うあの日とは、紛れもなく桐生家に初めて来た日のことである。あれからもう半月も経っているのかと思わず感慨深くなってしまう。ビビりにビビりまくっていた初日とは打って変わって、今の落ち着き具合は自分でもなかなかのものだなぁと。慣れとは何とも恐ろしいものである。


「とりあえず、玄関と廊下と……あとは大広間かなぁ。事務室は仕事中みたいだし邪魔しちゃ悪いから後回しでもいいか」


 千尋は よーし、やるぞ!と張り切り勇んで掃除に取り掛かる。

 立派な玄関の前を軽く掃き掃除した後、埃がたまっていた場所や床を雑巾で拭き掃除をする。普段から掃除も日課になっている千尋はテキパキと玄関を綺麗にしていった。いつの間にかいつもの癖で鼻歌交じりに手を動かしている。

 ふーんふふーんと楽しそうに玄関の掃除をする千尋の姿を陰から覗く二人組の男がいた。


「アニキぃ~ もう、いつまでこうしてるつもりなんですかぁ?」


「う、うるせえよ! 今話しかけるタイミングをだな……」


 コソコソと千尋の様子をうかがいながら話をしている二人の男の正体は桐生組に所属する組員である。名を遠藤えんどう進一しんいち佐伯さえき信宏のぶひろといい、組の中ではシンとノブの通称で呼ばれている。ちなみに二人とも桐生武虎の直属の部下である。

 そんな二人が一体何をしているのかというと……


「だってよー アニキが最近ウチに来たっつーメイドの子を気にしてるみてーだからよぉ。オジキも松江さんもいない今が話しかけるチャンスだって思ったんだけどよぉ」


「だ、だからこうして来てるんだろうが!」


「アニキがこんなに奥手おくてだったなんて知らなかったよ俺……」


「だ、誰が奥手だ! 舐めやがって!」


「じゃあ、早く話しかけてくださいよー。はあーもう昼休み終わったら早く戻らないとタケのアニキにどやされるというのに……」


「だから、こういうのにはタイミングってもんが」


「あのー、僕になにか御用ですか?」


「うわぁぁぁぁぁ!!!!!」


 急に目の前に千尋が現れたことによりびっくりしたシンは大声を出し尻もちをついた。その様子につられて千尋も驚き、目をぱちくりとさせる。

 呆れたノブが、はぁとため息をつきながら切り出した。


「驚かせちゃって申し訳ないっす。自分らは桐生組のモンで、えー自分は佐伯信宏、みんなからはノブって呼ばれてます。んで、こっちの腰抜けが遠藤進一、みんなからはシンって呼ばれてます。自分はこの人の舎弟で、この人はタケのアニキ……桐生武虎の舎弟っす。以後、よろしくっす」


 ノブの見た目はヤクザよりもヤンキーやチンピラといった言葉が似合いそうな派手な見た目をしていたが、その見た目とは裏腹に丁寧なお辞儀を見せた。


「はじめまして。仙川せんかわ千尋です」


 千尋も慌ててお辞儀を返す。


「誰が腰抜けだこの野郎」


 そう言いながらパンパンと尻もちをついたズボンをはたきながらシンが立ち上がった。ノブとは対照的にかっちりスーツに身を包んだシンからはあまりヤクザ的な空気を感じなかった。見た目だけならその辺にいそうな普通のサラリーマンである。

 立ち上がった拍子でパチッと千尋と目が合うとシンは慌てて目を逸らす。心なしか少し顔が赤い。


「あー、えっと……そのー、なんだ。アンタはまだウチに来てから日が浅えんだ。なんか困ったことあったら俺たちのことも頼ってくれていいからよ……その、よ、よろしくな」


「あ、ありがとうございます……よろしくお願いします」


 千尋は戸惑いながらも少し安堵していた。

 まさか自分の素性についてなにか怪しく思われてしまったのかと思い、内心かなり焦っていたからである。こんなところで男だとバレたらどうなるかわかったもんではない。

 そんな千尋の不安は露知らず。ノブがまたしても大きなため息をつきながら呆れ声で話す。


「んなこと言うだけなのにこんなに時間使ったのかよ」


「うるせえ! ほら、いくぞ!」


「へーへー。じゃ、そういうことなんで、自分ら戻るっす。仕事の邪魔して悪かったっす」


 そう言うと二人は屋敷の中へ戻っていった。

 桐生組ってヤクザの割には良い人多いよなぁと千尋は感心していた。


「おっと。早く残りも済ませないと」


 感心してる場合じゃなかったや。と千尋は思い直し、また一人掃除に取りかかるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る