第8話 休日には福がある③
「ところで千尋様……そのお姿は一体」
「ああ、えーっと……」
千尋のボロボロのメイド服姿を
「実は今あるお屋敷でメイドとして働いているんだけど、小福ちゃん助ける時にちょっとだけ無茶してこうなっちゃったんだよね……」
「まぁ、そうでしたの!? それは小福の飼い主であるわたくしにも責任がありますわ。千尋様、どうか家にあがっていってください! お着換えとお茶をご用意いたしますわ! もちろん小糸たちも!」
どうしてもという紗友里の気持ちに押し負けた千尋たちはあれよあれよいう間に
立派な門をくぐり、広い庭先を抜けて玄関に辿り着くと、白鷺家お付きのメイドが出迎えた。
メイドは
「おかえりなさいませ紗友里お嬢様。小福は無事に見つけられたのですね……おや、お客様でございますか?」
「ただいま、
「かしこまりましたお嬢様」
そう言うと凛と呼ばれたメイドは玄関を開けて千尋たちを中へ招き入れた。
それから凛は千尋たちのほうへ向き直ると丁寧に頭を下げ、こう続けた。
「初めまして。私は白鷺家お付きのメイド、紗友里お嬢様の身の回りのお世話をさせていただいております
「仙川千尋です。よろしくお願いします」
「長谷川小糸です!」
凛につられるように千尋と小糸も頭を下げる。
「仙川様、長谷川様、どうぞこちらへ。お部屋までご案内いたします」
× × × × ×
「さあ、千尋様! どうかお好きなものをお選びくださいまし!」
「わぁーすごい」
小糸が思わず
千尋たちの目の前には数百着はゆうに超えるであろう洋服の数々が並べられていた。
「本当にいいの?」
「もちろんですわ!」
改めて目の前に並べられた洋服に目を通すと、様々なタイプの洋服が用意されていた。中には着ぐるみのような服もあり、これはいつ着るものなんだろうと千尋は首をかしげる。
元々、メイド服以外の外着に困っていた千尋にとって紗友里の申し出は願ってもないものであった。
「じゃあ、有難く選ばせてもらうね」
「はい! それじゃあ小糸、わたくしたちは別の部屋で待っていましょ! 凛がおいしいお茶を用意してくれてますわ。……それじゃあ千尋様、終わったら声をかけてくださいまし」
「うん。ありがとう」
それから紗友里は小糸の背中を押しながら部屋を出て行った。背中を押された小糸は慌ててまたねと千尋に小さく手を振った。
「……どれにしようかな」
紗友里たちがいなくなりしんと静まり返った部屋で千尋は一人、洋服に向き合った。
小さいころから兄の
「僕が男の子みたいな恰好したら、どうなるんだろう」
物心つく頃から女性として振舞うように教えられてきた千尋にとってそれは全く未知の世界であった。
千尋は目についたパーカーとジーンズを着ると姿見鏡の前に立つ。
「……なんだ、そこまで悪くないじゃん」
× × × × ×
「ところで小糸、千尋様とは最近どうですの?」
「ゴホッ! ……急に何聞いてくるの紗友里ちゃん!」
千尋が洋服を選ぶのを待っている間、紗友里たちは別の部屋で凛が淹れたおいしい紅茶をとお菓子を
楽しんでいた。凛はボロボロになった千尋のメイド服の手入れをするために席を外しているところである。二人きりになったところにいきなり紗友里から質問された小糸は驚きのあまりむせてしまった。
「その様子だとちっとも進んでなさそうね」
そう言うと紗友里も、はぁとため息交じりに紅茶が淹れられたティーカップに口をつけた。
「そりゃあ、まあ、私も色々考えちゃうんだもん……」
千尋が中学を卒業しても女の子の恰好をしなきゃいけない状況にいたことは小糸にとってもショックが大きいことであった。ようやく歳相応に付き合っていけるかと思いきやこれでは中学時代と何も変わらないのである。名家の人の考えることはよくわからないなぁと一人、小糸は心の中でぼやく。
「女の子同士ですもの。難しいのも仕方ありませんわ」
千尋が女の子のように育てられてきた男の子であることを知っている小糸は自分の恋愛はある意味、女の子同士の恋愛より難しいかもしれないと心の中で思うのであった。
「お嬢様、仙川様のお着物の手直しが終わりました」
そう言うと凛が千尋のメイド服を手に部屋に戻ってきた。
「さすが凛。仕事が早いですわね!」
「あのう……白鷺さん」
部屋の入り口から千尋がひょっこりと顔だけを出す。
「選び終わりましたか千尋様!」
「うん……どうかな?」
そう言って、千尋は小糸たち三人の前に姿を見せた。
千尋の服装は白いブラウスに赤みの強いブラウンのフレアスカートを合わせたシンプルなものだった。
桐生家の人間に男であることがバレてはいけない千尋は結局、女性らしい服装を選んだのであった。あまりの美しさに紗友里と小糸も思わず目を輝かせる。
「とっても良くお似合いですわー!」
「すっごくかわいいよ!」
「あ、ありがとう……結構照れちゃうね、これ」
生まれて初めて自分で選んだ服を褒めてもらった千尋は胸の奥がくすぐったい様な気持ちになった。
「仙川様、こちらをどうぞ」
そう言うと凛は先ほど手直した千尋のメイド服が入っている紙袋を千尋に手渡した。
「あ、僕のメイド服。……すごい、すっかり元通りだ。ありがとうございます一条さん」
「いえ、元々衣服としての仕上がりが良かったものですから、手直しするのも楽でございました。どうやら仙川様も良いご主人様をお持ちのようですね」
凛は紗友里に聞こえないように千尋の耳元でこっそりそう告げた。
「そうかもしれません」
千尋の脳裏には笑顔でメイド服を持っている
「あら、お二人で何話しているのかしら?」
「秘密です」
そう言って凛はいたずらに微笑んでみせた。紗友里はむうっと唇を尖らせる。
その様子がおかしくて気づいたら千尋も笑ってしまっていた。
× × × × ×
「おや、その様子だとしっかり休日を満喫してきたみたいですね」
「はい、おかげさまで。これお土産です」
そう言って千尋は白鷺邸を出る際にお土産として渡されたお茶菓子を松江に手渡した。
千尋が桐生家に帰ってくる頃にはすっかり夕焼け空が広がっていた。
せっかくだから選んだ洋服はそのまま着て帰ってみてはという紗友里の提案を受け入れた。出かける前と見違える格好で帰宅した千尋に松江も幾分か満足そうな反応を見せた。
「千尋ちゃん帰ってきた!?」
廊下の奥からバタバタと顔を出してきたのは楓である。
「ただいま帰りましたお嬢様」
「おかえりなさい!って、うっわ! すっごいかわいい服!」
「ありがとうございます。いただきものなんですけどね」
「そっかあ、……千尋ちゃんちょっとこっちに来て!」
そう言って楓は千尋の手を引くと自分の部屋へと招き入れた。
「お嬢様?」
部屋に入るなりガサゴソとクローゼットから何かを取り出そうとする楓を千尋は訝しむ。
「じゃじゃーん!」
そう言って楓が千尋に広げて見せたのはラフなTシャツにパーカーとジーンズを合わせたボーイッシュなトータルコーデであった。
「かわいい服も良いけど千尋ちゃんにはこういうのも似合うと思ったのよね! おかげで今日はずっと寝ちゃってたけど……」
あははと頭をかきながら楓は照れ笑いをしてみせる。
昨日夜遅くまで起きて作っていたのは自分のための服だったのかと千尋は得心する。
「で、どうかな……この服」
どうやら楓は千尋の好みに合うかどうかを気にしてるらしい。
そんな楓を他所に一人、千尋は先ほど凛に言われた言葉を
『仙川様も良いご主人様をお持ちのようですね』
「本当にその通りですね……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。とっても素敵なお洋服をありがとうございます、楓お嬢様」
千尋のお礼を聞いて楓はぱぁっと明るい笑顔を見せる。
こうして千尋たちの何気ない休日はゆっくり過ぎていくのであった。
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