第8話 休日には福がある①

 『休日』―――――それは読んで字のごとく、休みの日のことであり、一般的には業務または授業などを休む日である。休日の貴重性というものは人それぞれであるが、多忙を極める平日を送っている人間ほど、それは顕著けんちょに現れる。


「……お嬢様~。そろそろ起き上がりませんか~?」


「うーん、あと5年……むにゃむにゃ」


「さすがに寝すぎですよー。……まったくこんなに散らかして」


 花の十代。毎日青春を謳歌おうかしている桐生楓きりゅうかえでとて、それは例外ではない。毎朝、早起きして登校し、進学校レベルの授業と課題をこなす。学校から帰宅した後は趣味の洋服作りにいそしみ、日付が変わらないうちに就寝。そして、また朝を迎えるの繰り返し。それが休日前の夜だとすればいつも以上に洋服作りに没頭し、夜更かし。結果、休日の昼過ぎまでこの有様となっている。現在、楓の部屋にある時計の針は午後1時を回ろうとしているとこであった。

 千尋ちひろはなかなか起きようとしない楓に声をかけるのを諦め、布切れや裁縫道具などで散らかっている部屋の片づけを始めた。


「本当にお洋服が好きなんですね~。……ふーんふーんふふーん」


 時計の針の音がカチコチと鳴り響くだけの部屋に寂しさを感じた千尋は鼻歌を口ずさみながら、床に散らばっている布を丁寧に拾っていく。

 すると下の階から千尋を呼ぶ声がした。声の主は楓の祖母であり、千尋の面倒を見てくれている桐生松江きりゅうまつえであった。


「千尋さーん。寝坊助ねぼすけの相手はその辺にして、ちょっと来てくれるかしらー?」


「はーい! 今行きます! っと、これだけ綺麗に片づけておいて……よし。じゃあ、お嬢様またあとで!」


「むにゃむにゃ」


 返事の代わりにだらしなく寝返るをうつだけの楓を見て、千尋は思わず苦笑するのであった。




 × × × × ×




「千尋さん、今日はあなたもゆっくりお休みしなさい」


「え?」


 突然、松江に呼ばれたものだから千尋はてっきりお仕事を頼まれるとばかり思っていたのだが、松江からの予想外の言葉に千尋は思わず虚を突かれた。


「でも、僕は修行で居候させてもらっている身ですし……」


「しっかり身体を休めることも仕事の一つです」


「……ッ」


 松江にぴしゃりとそう言い切られた千尋は言葉を詰まらせた。


「それとこれを差し上げます」


 そう言うと松江は千尋に小さい茶封筒を差し出した。千尋はなんだろうと思いながらも恐る恐るそれを受け取った。


「これは?」


「あなたのお給料よ」


「ええっ!? こ、こんなの、受け取れないですよ!」


「うちに来てからのあなたの毎日の働き者っぷりを見てればそれくらい妥当ですよ。それに千尋さんのお世話をする分のお金なら千尋さんのおうちからもいただいているのよ。うちにもこれぐらいはさせて頂戴」


「……わかりました。ありがとうございます!」


 そう言うと千尋は深々と頭を下げた。その様子を見た松江は口元に手を当て微笑んだ。


「そのお金で、何か欲しいものでも買ってくるといいわ。……それじゃあ、しっかり休日を楽しんでいらっしゃい」


「はい。ではお言葉に甘えさせていただきます」




 × × × × ×




「とは言ったものの、欲しいものって特に思いつかないんだよなぁ」


 松江に言われ、人生で初めて貰ったお給料を手に千尋は街をぶらつきながら自分の欲しいものに頭を悩ませている最中であった。

 名家の生まれではあるものの、母・千鶴ちづるの『庶民感覚忘るべからず』という教えのもと、月並みなお小遣いしかもらったことのない千尋にとって松江からもらった給料はなかなかの大金であった。それ故に、欲しいものがなかなか思いつかない自分に少々、歯がゆさを覚える。


「ん? 待てよ。欲しいものじゃなくて必要なものって考えたら実はあるんじゃないか?」


 そう考えだした途端に、千尋の脳内で真っ先に思いついたのが洋服であった。

 普段、屋敷で過ごしている時は仕事着であるメイド服と寝る時に着るジャージだけで事足りていたが、こういう休みの日までメイド服を着て外を出歩くというのはいかがなものだろうか。ましてやジャージ姿で外をうろついているところをうっかり仙川家のものに見られてしまっては切腹ものである。

 千尋自身はメイド服で商店街を歩くことくらいはすっかり慣れてしまっていたのだが、街を歩くとなるとやはり周囲の視線を気にせずにはいられない。


「うーん、そうなると洋服は持っていたほうがいいよなぁ。……でも」


 ここで千尋の頭を悩ませる最大の問題が降りかかる。

 仙川家に生まれてから今に至るまでずっと女装を続けていた千尋であったが、実は自分で女物の服を買うという経験は一切なかったのである。

 それもそのはず、基本的に学生時代は制服でオッケー。幼少期から中学生に至るまでの私服はすべて千尋の兄・千秋ちあきの自作によるものであったからである。

 いくら女装が似合う見た目完全女の子の千尋であっても中身は立派な男の子である。そんな自分が女物の服を買うという行為にいささか問題があるような気がしてならないのであった。


「どうしたものか……って、あれ」


 そんな考え事をしながら歩いているうちに千尋はすっかり人で賑わう街を外れ、広い公園の近くまで来てしまっていた。


「せっかくだしちょっと休憩していこうかな。……ん? あれは」


 少々、歩き疲れてしまったために公園のベンチにでも座って休憩しようと思った千尋であったが、公園に遊びに来ているであろう三人組の子どもがじっと動かずに何かを見上げているのが目に留まり気になった。

 男の子二人、女の子一人の三人組の中に見知った顔があることに気が付いた千尋は思い切って声をかけることにした。


「こんにちは、康太こうた君。何しているの?」


「……あっ! メイドのお姉ちゃん」


 康太と呼ばれた少年はビクッと肩を震わせたが、声の主が千尋だとわかるとすぐに安堵あんどの表情を見せた。


「こーたくーん。このおねえちゃんだれー?」


「こーたくんのおねえさん?」


 康太君以外の二人が次々と口にする。


「ちがうよ。うちのおさかなよく買いに来てくれるおきゃくさんだよ。メイドさんなんだって」


 康太君は千尋がよく行く商店街にある魚屋さんの一人息子である。小学2年生にして両親の手伝いをよくしている立派な孝行息子であるため千尋とは顔馴染みであった。


「めいどってなにー?」


「ぼくもわかんないー」


「あはは。驚かせちゃってごめんね。……ところで、みんなは何見てたのかな?」


「あれだよ」


 千尋の問いかけに対し、康太君がまっすぐ指を差す。

 その方向を見やると公園に生えている大きな桜の木の上になにやら白い影が見える。


「あれって……猫?」


 どうやら白い子猫が高い木の上から降りられなくなっていたらしい。子猫は太い枝の上で小さな体をぷるぷると震わせているように見えた。


「みんなでどうしたら助けてあげられるか考えてたんだ」


「なるほど」


「ねこちゃんかわいそうだからはやくたすけてあげたいな……」


 康太君と同い年くらいの女の子が悲しそうな顔でポツリとそうつぶやいた。

 それを聞いた千尋は子猫がいる木の周りをよく見渡した。


「……これなら大丈夫かな。あのねこちゃん、お姉さんが助けてあげられるかも」


「ほんとう!?」


 女の子がぱっと顔を上げ千尋のほうを振り向く。康太君や他の子たちも同じように目を丸くして千尋のほうを見上げていた。


「うん。危ないからみんな木の傍から離れててね」


 そう言うと千尋は袖をまくり上げ、髪を短く結びなおした。そして、長いスカートの裾を持つと思いっきりそれを破った。破れたスカートからは先ほどまで隠されていた千尋の白い脚があらわになっている。千尋の思いがけない行動に子どもたちは驚きの表情を隠せないでいた。


「これでよし。動きやすくなった」


 千尋の言葉をはっと思い出したのか、康太君が周りの子たちに少し離れるように呼び掛けた。

 子どもたちが木から十分離れたことを確認すると、千尋は子猫がいる木とは別の木に向かって全速力で駆け出した。木の傍にあるフェンスを駆け登り、思いっきり蹴り上げ一番高い木の枝につかまる。そこから子猫のいる隣の木に向かって飛び移り、枝と枝の間をするすると抜けると、あっという間に子猫がいる枝まで辿り着いた。


「メイドのお姉ちゃんすっげー!」


「ニンジャみたい……」


 あまりに一瞬の出来事に子どもたちはすっかり興奮してしまっていた。


「もう大丈夫。……いい子だからおいで」


 そう言って差し出された千尋の手を子猫は少し警戒していたようだが、すぐに千尋の方へ身体を寄せてきた。千尋は胸元のボタンを少し開けるとそこから子猫をメイド服の中へ入れた。


「いいこだからちゃんとつかまっててね」


 そう言うと千尋は木の上からふわっと地面に降り立った。

 千尋が木から降りてくると同時に子どもたちも千尋のもとへ駆け寄っていった。

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