第7話 メイドの知り合いガールには秘密がある①

 時に人の視点を変えたならば、それまで見えていたものとは全く別の視界が広がって見えるものである。

 先ほどの千尋ちひろ小糸こいと他愛たあいもない道端のやり取りでさえもそれは例外ではない。

 千尋にとってはメイド姿で知り合いに会ってしまうちょっとしたハプニングで済んでいるが、果たして小糸にとってはどうだったであろうか―――――


「はぁ~~~、緊張した……」


 人一倍大きなため息をつきながらそう言ったのは千尋と別れ一人、学校へ向かう途中の長谷川小糸であった。

 彼女がそう言うのも無理はない。なにせ中学時代から想いを寄せている相手に出くわしたのだから年頃の少女としてはいたって普通の反応である。もちろんこのことを千尋本人は知る由もない。


「でも、がんばって話しかけてよかったな。制服姿褒めてもらったし……それ以外にもいろいろ」


 先ほどの千尋とのやり取りを思い出し思わず赤面する小糸。しかし中学時代から変わらない彼の反応を考えるとなかなか素直に喜べないものもある。


「やっぱり私、女の子として意識してもらってないよね…… 中学の時も周りは女の子しかいなかったから仕方ないのかもしれないけど」


 そら、女子校に女装して通ってた男にそんなものがあるとは到底思えないが恋する乙女の思考とは時に常識をはるかに凌駕りょうがするものである。

 そんな男に小糸が好意を寄せているのはもちろん理由がある。

 それは彼女の中学時代にまでさかのぼる―――――




 × × × × ×




 それは小糸が中学に入学した頃の話である。小糸が千尋と同じ中学に入学したのは言うまでもないが、二人が入学していた女子中学校は所謂いわゆる、私立のお嬢様学校であった。当然、周りの女子たちは千尋含め、名家の出身の子ばかりであったが、小糸の実家は小さな料亭を営んでいるだけの一般的な庶民の家であった。

 外部受験に合格し入学金や授業料が免除される特別枠で入学した小糸は、当然、周囲に馴染めず孤立していた。また、名家の出身である自分たちが小糸のような庶民と同じクラスで授業を受けることを快く思わない女子たちも現れた。集団で無視をする、本人に聞こえるところで陰口を言うなど年頃の中学生にありがちないじめが小糸に対して行われていた。

 そんな折、周囲と変わらぬよう分けへだてなく小糸に接してくれたのが仙川千尋せんかわちひろであった。

 千尋は小糸がひとりぼっちでいるのを見かけると積極的に話しかけ、小糸の悪口を言っている女子を見かけてはその都度、たしなめていた。

 どうして自分に対してそこまでしてくれるのかどうしても気になった小糸がある日、千尋に問い質すと千尋は眩しい笑顔を浮かべこう答えたのだった。


「実は僕も家柄のせいで昔、ひとりぼっちになった経験があってね。その時、声をかけてくれた子にとても助けられたことがあったから。僕もその子と同じようにしたいと思って長谷川さんに声をかけたんだ」


 千尋はそう言うと、自分の家柄のこと。そして自分が実は男であるということまで小糸に打ち明けたのだった。


「そんな大事なこと私なんかに言ってよかったの……? 私がこのこと他の女の子にバラしちゃったりしたら……」


「大丈夫! 長谷川さんはそんなことする人じゃないし、もしそうなっても僕は後悔しないよ……友達だからね」


 その言葉を聞いた途端、小糸の両眼から涙が溢れてきた。今までどんないじめをされても決して泣かないようにしてきた彼女のせきが切れてしまった瞬間であった。


「うっ……ぐすっ、絶対、言わないがら、と、友達、だから……ありがとう仙川さん」


「千尋でいいよ。長谷川さん、二人だけの秘密ね」


「わ、私も! 私のことも小糸って呼んでほしい……な」


「うん。じゃあこれからもよろしくね小糸ちゃん」


 かくして二人は友人同士になった。

 しかし小糸に対するいじめがなくなったわけではなく、ついに小糸をいじめていたグループのボスお嬢様が千尋と衝突する展開にまで発展した。

 ボスお嬢様の名前は白鷺しらさぎ紗友里さゆり白鷺商事しらさぎしょうじといえば日本屈指の巨大総合商社である。無論、彼女はそこの跡取り娘であった。イギリス人である祖母の血を引く彼女は所謂、クオーターであり、長くウェーブのかかった金髪をはためかせていた。


「仙川さん。あなたどういうつもりですの? そのような庶民と仲良くするなんて気が知れませんわ」


 数人の女子グループを引き連れた紗友里は千尋に詰め寄っていった。


「どうして仲良くしちゃいけないの?」


 そんな状況に臆することなく千尋はあっけらかんと答える。


「どうしてってあなたねえ! 自分が名家の生まれであるという自覚が足りないのではなくって? わたくしたちは将来、それぞれ家の名を背負ってたつ人間になるのよ! 付き合う人間を選ぶのは当然じゃないの!」


「うーん。僕は別にそう思わないかな」


「どうしてよ!」


「どうしてって……白鷺さん僕はね、将来、舞台に立ってたくさんの人たちを楽しませる役者になりたいんだ。そんな僕が付き合う人間を選ぶようなことをしてたらどうなると思う? きっと狭い世界の人たちしか楽しませられない、たくさんの人を楽しませるような役者になんてなれないと思うんだ」


「うっ……そ、それは」


「それにこれは僕だけじゃない。白鷺さんや他のみんなにだって当てはまることなんだよ。これから自分たちの家の名を背負ってたつ、その自覚があるのならもっと広い目で周りを見ないとだめだ。世界中にいる色んな人たちと向き合う覚悟がいるんじゃないのかな。家柄で付き合う人を選んだり、ましてや集団でさげすんだり、孤立させてしまうような人たちにそれができるとは思えない」


「あっ……ぐ……」


 千尋の迫力に圧倒され、紗友里含め、周りの女子たちは何も言い返せないでいた。中学生といえどもここいる子達は名家の生まれ。心では皆、千尋の言うことに納得してしまっているのであった。


「だからさ、家柄とかそういうの関係なく仲良くしようよ。きっとそっちのほうが楽しいし、楽だよ白鷺さん」


「で、でもお父様が……お前は由緒ある白鷺家の跡取り娘なんだからこれから付き合う友達は選びなさいって……そうしなきゃダメだって」


 紗友里は今にも泣き出しそうなほど声を震わせながらそう呟いた。千尋はそんな彼女の手を取ると彼女の目を真っすぐ見つめこう言った。


「白鷺さん、君は君の思うような人になればいいんだよ。父親の言うことなんか関係ない。白鷺さんが本当にしたいことは何?」


「わ、わたくしが本当にしたい、ことは……仲良くなりたい人たちなら今までもたくさんいた……それでもお父様や周りの目があるから……それが、できなくて」


「本当は小糸ちゃんとも仲良くしたかったんじゃないのかな?」


「っ……どうして」


「だって白鷺さんいつも小糸ちゃんのこと気にしてるみたいだったし。白鷺さんが優しい人なの僕は知ってるよ。入学式の日、体育館の場所がわからず困っていた僕を助けてくれたの白鷺さんだったよね。あの時はお互い名家の生まれかどうかもわからなかったはずなのに僕のこと助けてくれたでしょ」


「そ、それは」


「きっと今からでもやり直せるよ。困ったら僕が助けてあげる。みんなも同じだよ」


 そう言うと千尋は教室中を見渡し、にっこりと笑った。それはまるで天界から教室に降り立った天使そのものであった。小糸や紗友里含め、周りの女子たちは千尋の笑顔のあまりの美しさにすっかり言葉を失っていた。

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