第6話 メイドの知り合いガール

「それじゃあいってきまーす!」


 朝の支度を終え、学生服に身を包んだかえで千尋ちひろに向って元気よくぶんぶんと手を振ると裏口から駆け出して行った。なぜ裏口なのかというと楓曰く、正門から家を出るのは目立つから嫌なのだとか。

 いってきますの挨拶に千尋も胸の前で小さく手を振りながら笑顔で応えた。楓の後ろ姿が見えなくなるのを確認すると、千尋はふうと一息ついてから敷地の中へ戻っていった。


「おや、済みましたか」


 外から戻ってきた千尋にそう声をかけたのは楓の祖母である桐生松江きりゅうまつえであった。

 黒く艶のある髪は綺麗に結い上げ、かんざしで留められている。美しい着物に身を包んだ彼女は常に背筋をピシッと伸ばしておりその佇まいはまったく歳を感じさせないものがある。

 楓曰く、自分が学校に行ってる間のことは全ておばあちゃんに任せてあるから家事とか色々教えてもらうといいよ。とのことだった。


「はい。おはようございます松江さん」


「はいおはよう。ああ、それにしても孫が一人増えたみたいで嬉しいわね~ しかもこんなにかわいい子なんて。うちはごつい男衆ばかりだからうれしくなっちゃうわぁ」


「あはは……」


 男であるということを偽って世話になろうとしている千尋には少々、耳が痛い反応に愛想笑いをする他なかった。


「それじゃあ早速で悪いけどまずはおつかいを頼まれてくれるかしら。ちょうど今晩の夕飯に必要な食材を切らしちゃっててね……これお買い物用のおサイフとメモ。通りを少し歩いたところにある商店街で全部買えるからよろしくお願いね」


「はい、わかりました。では早速行って参ります!」


 今までも家の手伝いでおつかいくらいは行ったことあるし、買い物であればそんな難しいこともないだろうとこの時の千尋は思っていたのだが、その短絡的な考えをすぐに後悔することになるのだった。




 × × × × ×




「そういえばメイド服で外歩く経験なんてしたことないんだった……」


 商店街に着くまでの間、道行く人は誰しもが千尋に視線を向けていた。二人以上のグループからはひそひそ話までされる始末。まあ、ひそひそ話といっても『なにあの子すっごくかわいい』『ちゃんとしたメイドさんはじめて見た……』『綺麗~』この程度のことしか言われていないが千尋の耳には届くはずもない。いかに千尋が特殊な家系に生まれ特殊な人生を歩んできたといってもこれほどまで人々の反応が露骨にわかる状況もなかなかないものである。


「やっぱり目立つよなあ……この恰好」


 こういう時に限って道端で昔の知り合いにバッタリ鉢合わせしちゃったりして話がややこしくなる展開、マンガやドラマだとあるあるだよね。とかなんとか千尋がフラグっぽいことを考えた結果。


「……もしかして、千尋くん?」


 道端で昔の知り合いにバッタリ鉢合わせしちゃったりして話がややこしくなる展開になるのである。


「……長谷川さん」


 千尋に声をかけてきたのは長谷川はせがわ小糸こいと。彼女は中学時代の千尋の数少ない友人の一人である。明るめの茶髪はヘアゴムでラビット・スタイルのツインテールに仕上げられており、制服姿であることから登校中であることが容易にうかがえた。


「やっぱり千尋君だー! もうすっごい美人がすっごい恰好で歩いてるから気になっちゃってよく見たら知ってる顔なんだもん! びっくりしたあー!」


「だ、だよね……この恰好目立つよね……」


「相変わらず女の子の恰好が似合うなあ。なんだか私、負けた気分になっちゃうよ! ……あれ? そういえば中学卒業したからもう女の子の恰好しなくてもいいんじゃなかった? もしかして目覚めちゃったとか?」


 そういうと小糸はニンマリとした笑みを浮かべ、千尋をおちょくるような仕草をしてみせた。千尋は慌てて弁解する。


「ち、違うよ! 実はねーーー」


 かくかくしかじかと、千尋は修行の一環でメイドとして奉公に出るまでの経緯を小糸に話した。もちろん桐生家の名前は伏せてあるが。


「なるほどね~ 女子校通いの次はメイドさんかぁ~ 大変だねえ」


「まあね。でもこれぐらいやらないと兄さんたちみたいに舞台に立たせてもらえないからさ」


「昔から歌舞伎役者になりたい夢は変わってないんだね!」


「うん。……長谷川さんは学校に行くところ?」


 千尋がそう聞くと小糸はその場でくるりと回って見せた。


「その通り! ふふん、千尋くんどう? 女子高生のわ・た・し! 結構イケてると思うんだけど?」


 そういうと小糸はチラチラと千尋の様子をうかがってきた。小糸は内心では千尋の慌てる様を予想し小悪魔的な笑みを浮かべていたのだが……


「うん。とってもよく似合ってるしかわいいと思うよ」


 残念ながらこの男は思春期男子にありがちなそれとは完全に無縁であるため、このようなことを恥ずかしがることもなくさらりと言ってしまうのだ。


「え、あっ、そ……そう? ほんとに?」


 思わぬカウンターパンチを食らい、逆に慌てる羽目になる小糸。しかしながら千尋の攻撃はこの程度じゃ済まなかった。


「特にその髪型とか中学の時には見たことなかったし髪色も少し明るくなってるよね。ヘアゴムもかわいいの使ってるし。爪も綺麗に手入れされてるし少しお化粧もしてるでしょ。これくらいのネイルやメイクだったら学校でも怒られなさそうだしいいね」


「ス、ストップ! ストーップ!!!! それ以上は言わなくていいからあ!」


「え?……あ、ごめんつい」


 千尋の容赦ない褒め殺しにすっかり顔を赤らめてしまう小糸であった。


「もう……じゃあ私、そろそろ行くね。遅刻しちゃうから」


「あ、うん。またね……っと、行ってらっしゃい長谷川さん」


「うん! またね千尋くん、いってきまーす!」


 そう言うと小糸は笑顔で手を振りながら駆け出して行った。


「……さて、僕も用事済ませて帰らなきゃ」


 そういえばあの制服、よく見たら楓お嬢様と同じ制服だったな……二人は学校のどこかですれ違ったりするのかな。同じクラスだったりして

 そんなことを考えながら千尋は商店街に向って歩を進めるのであった。

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