第3話 立派な屋敷にはインターホンがない

 千尋が自分の部屋に着くと母が言ってた通りそこはすっかりものけのからになっていた。部屋の真ん中には千尋が運ぶ分の荷物がまとめられたボストンバッグがポツンと鎮座していた。そして壁には千尋が着ていくメイド服がハンガーによって掛けられていた。


「これから毎日これを着るのか……」


 千尋はそう呟くと壁に掛けられていたメイド服に手を伸ばし静かに姿見鏡の前に立った。

 上は白のブラウスに黒いジャケット、胸元には青いブローチにリボンがあしらわれていた。下は足首が隠れるほどの長さの茶色いロングスカートの上に白いエプロンが巻かれ、全体的に落ちついたクラシカルなタイプのメイド服となっていた。

 体型をある程度ごまかせるため、千尋にとっては嬉しいデザインであった。


「これなら何不自由なく動けそうだな」


 千尋はささっと着替えを済ませると改めて姿見鏡の前に立ちくるくると回って見せた。

 おかしなところがないことを確認し終えると千尋は用意してあったヘアゴムで長くサラサラとした自分の髪を短く纏め上げ、荷物を持って母が待つ玄関口まで向かうことにした。




 × × × × ×




「あら、よく似合ってるじゃない千尋」


 荷物を持った千尋が玄関まで来ると余所行きの恰好をした母がお付きの運転手と共に待ち構えていた。


「それじゃあ行きましょ♪」


 えらく上機嫌な母とは裏腹に千尋は一抹の不安を燻ぶらせながら車に乗り込んだ。

 車が発進してからしばらくの間、車内では無言の時間が続いていた。その間、千尋はこれから自分がお世話になるお屋敷はどんなところなのだろうかと思いを馳せていたが、静寂の時間は母によって唐突に打ち破られた。


「一年も千尋に会えなくなるなんて寂しくなるわね。千尋も不安かしら?」


「ええ、まあ……」


「あなたならきっと大丈夫よ」


 そう言うと千鶴は少し何かを憂うような表情を見せ千尋に優しく微笑みかけた。


「奥様、到着いたしました」


 お付きの運転手が言うや否や車は動きを止め、その反動で千尋は少しだけふらついた。


「私が付き添えるのはここまでだから後は自分の足で行きなさい。向こうにちゃんと話はついてるから心配することはないわ。さあ、いってらっしゃい」


「はい。いってきます」


「それじゃあね」


 千尋が荷物を持って車を降りると母を乗せた車はそのまま今来た道を戻っていった。その後姿を見送った後、千尋は正面に向き直った。

 一人残された千尋の目の前には大きく立派な門が立ち構えていた。メイドとして雇われるというのだから千尋はてっきり洋風のお屋敷を想像していたのだが目の前にあるのはどうみても和風のお屋敷であった。『桐生』と書かれた表札があるだけでインターホンらしきものは見当たらない。


「これ、どうすればいいんだろう」


 千尋が少し焦り始めていると、大きな門が音を立てておもむろに開きだした。

 突然のことに千尋が呆気にとられていると中から黒スーツに身を包んだ大柄な男がぞろぞろと現れ、あっという間に千尋の周りを取り囲んだ。


「え、な、なに? 何?」


 千尋の周りを取り囲んだ強面の男たちは一斉に腰を低くすると声を揃えてこう言った。


『仙川千尋様、ようこそ桐生組へ!』


「お嬢!……お見えになられましたよ」


 黒スーツの男の一人がそう言うと道を開けるように男たちは列を作った。そしてその道の奥に一人の少女が立っていた。

 お嬢と呼ばれた彼女の見た目は千尋と変わらないくらいの年齢だろうか。整った顔立ちをした彼女は学生服らしきものを纏い、長い黒髪をポニーテールにしていた。控えめにいって美少女である。

 彼女は千尋のもとまで駆け寄ると、千尋の両手を取り目を輝かせながらこう言った。

 

「あなたが私のメイドになってくれる千尋ちゃんね! 聞いてた通りすっごいかわいい~~~!!!! あ、自己紹介が遅れたわね。あたしの名前は桐生楓きりゅうかえで! 今日からよろしくね!」


 ぶんぶんと楓に両手を振られながら千尋は燻ぶらせていた不安を再び大きなものにしていた。それもそのはず、桐生組とはここら一帯を取り仕切る大きなヤクザ組織の名前であったことを千尋は思い出したからである。屋敷のいたるところに掲げられた桐生の家紋が千尋の不安を確かなものとした。


 ヤクザのお屋敷でメイドとして一年間住み込みで……しかも男とバレたら仙川家を追い出されるどころの騒ぎじゃない! きっと殺される―――――嘘だあああああああ!!!!!!!

 声にならない叫びを千尋は心の中で上げたのだった。




 × × × × ×




「うーん……なにか千尋に大事なことを言い忘れていたような気がするのよねえ」


 千尋を送り出した後、仙川家の敷地に戻った千鶴は茶の間で千春たちとお茶を啜っていた。


「忘れるぐらいのことなら大したことじゃないんじゃない?」


 お茶菓子を頬張りながら千秋がそう言うと、そうそうと千春が相槌を打ち、それもそうねと千鶴は湯飲みに口をつけた。


「千尋、一人で上手くやっていけるといいけど……」


 呑気にお茶を啜る仙川家を傍目に伊織は一人、千尋の身を案じながらお茶を啜るのであった。

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