第2話 仙川千尋には自覚がない
母・
「よぉ、千尋。母さんから話は聞いたぞ。修行に出るんだってな!」
「
男の名前は
「なんだ元気ないじゃないか。不安になる気持ちもわかるが俺や
「そ、そうかな……へへ」
尊敬する実兄からの励ましに千尋の不安は少し和らいでいた。
千尋と千春が話していると横からひょっこりと顔を出してきた男がいた。
「おっす千尋!元気してっかー?」
「
男の名前は
伊織と千尋は同い年でありながら幼馴染ということから唯一無二の親友関係であった。また、役者仲間としてお互いを高めあう良きライバル関係でもあった。
「おう。ちょうど今休憩に入ろうとしてたところだ―――で、お二人は何の話をしてたんです?」
「千尋がこれから修行に出るから励ましてやってたんだよ」
ハハハと笑いながら千春が答えると伊織も相槌を打つ。
「ああ、あの16になる年にやらされるっていう」
「僕、メイドとして
千尋が溜め息交じりにぼやくと伊織が目を見開いて驚いた。
「メイド!?……めちゃくちゃ似合いそうだなお前」
「もぉ~少し馬鹿にしてるでしょ!」
「いや、結構マジなんだけど……」
伊織がそう考えるのも当然。なぜなら千尋の容姿は一目では男とわからないほどかわいいのだ。先ほどの兄・千春からの励ましもこの女子といっても差し支えないほどの見た目あってのものであったが、千尋本人にはその自覚は全くなかった。それどころか自分が女の子と間違えられるのは仙川家の教育で今までずっと女の子の恰好をしてきたせいだとばかり思っているのであった。
「千尋ちゃーーーーーーーーん!!!!!」
「この声は……」
三人が振り返ると廊下の奥から猛スピードでこちらに駆け寄ってくる者がいた。
「
「もう!私のことは姉さんって呼びなさいって言ってるでしょ!」
勢いそのままにスパーンと千尋の頭を引っ叩いた男(?)は
「千秋、その手に持ってるものはなんだ?」
千春が問いただすと、千秋はふふんと誇らしげにその手に持っているものを広げて見せた。
「じゃじゃーん! 千尋ちゃんが修行に出るって聞いてからうちのオリジナルブランドで大急ぎで作ったメイド服でーす! どう? かわいいでしょ!」
千秋の手から広げて見せられたのは黒を基調としたフリフリしたメイド服であった。
「千尋ちゃんにとーーーーってもよく似合うと思うんだけど!」
「おお、こりゃまたすげえな」
千春が感心の声を上げる中、千尋が申し訳なさそうにおずおずと言った。
「せっかく作ってもらって悪いけど、実はもう着るメイド服は決められちゃってるんだよね……」
「ガーン! そんなぁ……せっかくかわいく作れたのになぁ」
「うん……僕が着る服はもう部屋に用意されてるらしいからこれから着替えて向こうのお屋敷に挨拶に行かなきゃなんだ。そういうわけだから千春兄さん、千秋姉さん、伊織、またね!」
千尋はそう言い残すと自分の部屋を目指して駆けだした。
「千尋、がんばれよ!」
駆けだした千尋の背中に向かって伊織が叫ぶと千尋は振り返り笑顔で手を振りながらその背中を小さくしていった。
× × × × ×
「そう言えばお二人も16の時に修行に出たことがあるんですよね。千尋と同じことやったんですか?」
千尋の姿がすっかり見えなくなった頃に、伊織がふと疑問に思ったことを口に出していた。
「いいや全然」
「え?」
千秋があっけらかんと答えると伊織は困惑した。
「俺の時は別の名家にお邪魔して通し稽古を一年間毎日ぶっ続けでやるくらいだったな。まあ厳しかったと言えば厳しかったけど」
「私もそんな感じねえ。ちょっと前のことなのに随分昔のことみたい」
千春の後に続いて千秋もそう続けた。お互いに顔を合わせて昔を懐かしむように話す二人を他所に伊織は一人納得いかないといった顔をしていた。
「え? え? じゃあ、なんで今回の千尋の修行はお二人の時と違うんですか!?」
「詳しくは聞いてないからよく知らないけど、うちのママ、千尋にかなり期待してるみたいだからねぇ……」
「千尋は俺から見てもかなりセンスがいいからな。母さんが期待して無茶な修行をさせるのも頷ける」
うんうんと声を揃えて腕組みをしながら感心する仙川家ブラザーズを見て、ああ、この一家ほんとに色々とぶっ飛んでるんだなと呆れる伊織であった。
がんばれ千尋―――伊織は心の底からそう願わずにはいられなかった。
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