【彼らの日常へ】

24

 黒狗が寝室を抜け出て来ると、居間で剣鍵と杖錠がお茶を飲んでいた。


「主様あ、如何でございましたあ?」


「まあそこそこだな、言うだけあって上手いものだよ。悪くない」


 寝室では疲れ果てた鼈甲が小さな寝息を立てている。


「差し出口でえ失礼致しますけれどもお、よろしかったのですかあ?」


「まあ、俺は寛大な男だからね」


 右の銃で死ぬか? 左の銃で死ぬか? 皮肉のつもりだったのだが。


『真ん中のじゃあ、だメ?』


 上目遣いに彼女が媚びてきたとき、黒狗は不覚にも少し楽しくなってしまった。

 絶体絶命のこの死地でなりふり構わず縋り付くでなく、自尊心を捨てて地に伏して額をこすり付けるでもなく、一言たりとも助命の嘆願はなく。

 彼の言い出した皮肉を手に取って、その言葉を逆手に取って。

 目が死んでいなかった。媚びて屈せず。肝の据わった娼婦がたまにやる目だ。


「まあ、やったことは許し難いが彼女自身有能ではあるからね。殺すには少し惜しかったのさ」


 もっともらしく語る黒狗の顔を見て、杖錠が目を細めて笑う。


「くふふ、そんなことおっしゃってえ」


「なんだい」


「ほんとはあ、お食事のお趣味がお合いになる部下があ、欲しかったのではなくってえ?」


「お。うーん、あー」


 黒狗は苦笑を浮かべて己のソファに腰を下ろす。


「それも否定はしない。彼女の食卓は実に俺好みだったからね。というか上出来過ぎてちょっとムカつくほどだよ。……そうだな」


 杖錠が盃を出してきて酒を注ぐ。昨晩鼈甲と共に持ち帰った酒だ。


「彼女を一度も俺の晩餐に招かずに、俺だけが感心させられたまま幕を引くのは少々シャクだった」


 最高級の酒をゆっくりと味わって飲み干す。


「ある意味杖錠の言う通りだ。それが最大の理由かな」


「ふふ……主様らしくてよろしいかとお存じますわあ」


「それで、彼女の具体的な処遇はどうなさいますか」


 杖錠の話に一区切りついたところで剣鍵が初めて口を挟む。


「そうだな、当面は偽名を使って孤児院で洗濯女でもやってもらうか。出来れば目立たない、角の立たないところで才覚を発揮してもらいたいものだが……そっちはおいおい考えるさ」


「承知致しました。院には連絡を入れておきます。それと…虫の息だったあの男を回収して闇医者に運び込んだ者の裏が取れました。特に役職も無い一介の雑誌記者です」


「ほう」


「ただ……同日【大奥様】と面会していたそうですが」


「ちっ、またババアかよ」


 黒狗の柄にもなく子供じみた悪態に、剣鍵と杖錠が聞かなかった顔で視線を逸らす。


「ったく……もういい、雑誌記者のことは放っておけ。男のほうはせっかく拾った命だ。やはり《大憤怒ダーフェンヌー》にでも預けてみるか。となれば息があるうちに少しはマシな医者に診せるのが先だな。杖錠、《大強欲ダーチィァンユー》のところからひとを回させてくれ。金はいつもの口座に言い値で払っておけ」


「承知致しましたあ。でもお、その前にい」


 杖錠がソファに体を沈めている黒狗にするりと這い上がる。


「わたしもお……“三丁め”のご相伴に預かりたいですわあ」


 黒狗は残り香に当てられたのか蕩けた吐息を吐いて強請る部下の姿に苦笑すると、その縊れた腰に腕を回す。


「仕方のないヤツだ。いいとも、俺は寛大な男だからね」


 その横で目の前で始まった情事に微塵の関心も示すことなく剣鍵が電話を始める。

 血生臭い夜も、早朝の痴態も、その後始末も次への布石もなにもかもが日常。


 そう、彼らの日常なのだ。

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