16

 一番後ろの、仲間の誰の目に映っていなかったひとりが無言で踵を返すと部屋を飛び出す。一目散とはこのことだった。


「おい馬鹿野郎! 逃げるなっ!」


 気付いた指揮官が声を荒げるがそんな程度で背を向けて走り出した足が止まるはずもない。

 そして、ひとりが崩れたらあとはくずしだ。


「うわああっ!」


「もういやだ! くそがっ! やってられるか!」


「この変態野郎! 覚えてやがれっ!」


 黒狗は逃げていく者を追うことも後ろから撃つこともしない。

 剣鍵と杖錠も呆れと侮蔑の入り混じった視線で彼らを見送るばかりだ。

 このふたりは黒狗が見逃すと言った以上なにがあろうともそれを違えはしない。見逃したところでなんの益もないどころか後腐れのひとつもありそうなことはもちろん承知しているが、そんなものは主様のご意向の前には小さな問題だ。


 十秒としないうちに食堂に残ったのはわずかに四人だけとなった。

 黒狗、剣鍵、杖錠、そして最初に鼈甲の傍に控えていた側近と思われる指揮官の男。


「ふーむ、一人目を撃って静止していれば総崩れは防げたと思うんだがね? 指揮官としてはそうすべきだったのではないかな?」


 黒狗はそう言って杖錠が捧げるように差し出す酔蝦を頬張って咀嚼する。


「同じ酒を使った方が旨いのは道理だし、旨い酒を使ったほうが旨いのも道理だ。が、さすがにこいつはちょっともったいない気がしないでもないな。くく、いやしかしそれにしても旨いな。旨いことは正しい」


 上機嫌の黒狗に対し、指揮官は疲れたような表情で首を振ると銃口は向けないままに自動小銃を握り直す。


「そうは言うがな、あんなクズどもでも何日かは同じ釜の飯を食った仲なんだよ。そのケツを撃つってのは、なんだ、やっぱいい気分じゃねえよ」


 指揮官の男は悲しそうに言った。黒狗はその気持ちがわからないでもなかった。

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