第8話
言霊は机に向かって作業をしながら昔を思い出していた。考え事をしながらでも手の動きは軽やかで、淀みない手つきは止まる事はない、他の死神が傍から見れば、いつも通りバリバリと作業をこなす言霊にしか見えなかったが、言霊の思考は遠い日を思い出していた。
言霊が辞世の句課に所属する前は、退魔刈り取り課に所属していた。
退魔課とは、死神がその象徴とも言える大鎌を振るい、その命を刈り取る屈指の武闘派な活動をする集まりだった。霊は生きている者からも死した者からも常に生まれいずる、強い感情は常に人間から発せられ、その力の奔流の中から、悪意という他の感情と結びつきやすい単純な感情から、雪だるま式のように大きく強くなっていく、霊体は実を持たないがゆえに、その悪意に簡単に飲み込まれて悪鬼悪霊へと転じる。
そうして生まれた悪霊は、周りに瘴気をまき散らし、霊障をばら撒いて人々に害を為す。そんな悪霊を刈り取るのが退魔刈り取り課の仕事であった。
大鎌を手足のように使いこなし、強力な悪霊を相手に日夜戦う、そんな仕事を言霊は淡々とこなしていた。悪霊は実に悪知恵が働く、卑劣で姑息、騙し嘯き悪意のままに行動する。そうして犠牲になる死神も多かった。死神の中でも花形と言えるような象徴的な業務ではあるが、言霊はただただ機械的に大鎌を振るい、その存在を切り裂いて切り裂いて切り裂く、そんな毎日にあまり意味を見出せずにいた。
ある時命乞いをしてくる悪霊がいた。死霊なのだからそんな行動に意味はない、乞う命がないのだから、口から出まかせを言っているにすぎない、しかし言霊はもしかしたら改心するのかもしれないと、そんな事をその時には思ってしまった。
「もう悪さはするな」
そんな一言をかけて、悪霊から背を向けて去ろうとする。そして悪霊は、その時を待っていたと言わんばかりに言霊の背後から襲い掛かる。しかし言霊は、その攻撃を大鎌の柄で簡単に防ぐと、そのまま慈悲もなく、大きく弧を描き振り抜かれた刃の一撃にバラバラにされて霧散するのだった。
その時に言霊が感じた無力感は筆舌に尽くしがたいものだった。自らの存在意義のすべてを見失ってしまう程に深く絶望した。悲しさも怒りも何も感じない、そんな抜け殻のような状態でただただ大鎌を振るい続けた。悪霊が生まれる度、その存在をつぶさに刈り取る、言霊はより機械的な存在になっていった。
いつものように悪霊を刈り取っていた言霊の元に、突然配置換えの話が上がってきた。辞世の句課という聞いたことがない部署への転換、それを聞いた時は一笑に付して断るつもりであった。しかし、当時は面識のなかった後の部長が、ひたすらに熱心にその話を推し進め、言霊に対しても何度も面接を重ねて辞世の句課への転属を勧めた。あまりの熱意に言霊は次第に押され始めて、刈り取り課に居る事に限界を感じ始めていた事もあって、その話に乗る事にした。
辞世の句課に転属して初めての仕事は、若くして亡くなった父親からの聞き取りだった。幼い子供二人とまだ年若い妻を残してこの世を去る事になった父親からは、悲壮感が漂っていた。その感情を死神である言霊には理解が出来なかった。死に一番近く、死そのものである死神は、それゆえにその価値から一番遠い所にいた。
仕事内容は単純だった。死の間際に少しの時間に入り込み、時世の句を書いてもらいそれを回収する。ただのそれだけで済む、言霊はそれがとても簡単で単調に思えた。しかしその印象はこの仕事ですべて覆った。
「あのー、すみません、死神の言霊です。辞世の句の聞き取りに参りました」
「死神?やはり僕は死ぬのかい?」
「はい、もう少しで。お迎えはまた別の者が来ますが、その前にちょっと頼みたい事がありまして」
言霊はたどたどしい口調で告げる。
「そうか、まあ末期癌だからな、それに最近眠くて仕方がなかった。きっともうすぐだと思ったよ」
男は寂しそうに言う。
「この度は何と申し上げればいいか、その、ご愁傷様です」
「ああ、いいよそう言うのは、死んでしまうのは仕方ない事さ、命ある限りそれは誰にだって訪れる。僕が気になっているのは僕の小さな二人の天使と、愛する妻を残してしまう事さ、それがどうしようもなく寂しい」
男はそう言うと遠くを見つめて本当に悲しそうな顔をした。それを見て言霊は何故か心の奥底が少し寂しくなった。それに言霊は驚いた。
「あの、聞いても良いですか?」
「うん?いいよ何だい?」
「自らの死よりも、残す人の事が悲しいのは何故ですか?」
「そうだなあ、なんて説明したらいいだろうか、難しいが、大切な人たちなんだ。何よりも大切で掛け替えのない、だから僕が彼女たちの先に居なくなる事が辛い、自分の死よりも」
その男の答えに言霊は中々合点がいかない、もう一つ男に聞いた。
「彼女たちは生きる、貴方は死んでしまう、それでも自分の死よりも残す彼女達についての方が悲しいのですか?」
「ああ、そうだよ。僕の死よりも彼女たちの生に悲しみを覚えるのさ」
言霊には悲しみは分かった。確かにこの男は悲しんでいる、表情も雰囲気もそのすべてが悲しみを表しているのが分かる。それでも、自分の死を悲しむものではないのだろうかと思った。
「僕は死神という存在を知らない、今日ここで初めて出会ったからね。だから君の知りたい事が何なのか答えを上げられないだろう、だけどヒントにはなるかも知れない、僕の話を聞いてくれるかい?」
男はゆっくりと話し始めた。
男とその妻となる女が出会ったのは、中学生の時だった。いじめられていた男を助けたのが仲良くなる切っ掛けだった。それから男と女は交流を続けた。それから交際に発展して、そして二人は結ばれて、やがて子供が生まれた。
二人は子供を愛情込めて育てた。共働きで二人とも生活は大変だったが、子供の喜ぶ顔を見ただけで疲れは嘘のように吹き飛んだ。両親は子供に愛情を注いだ。暫くすると家族が増えた。慣れてきて生活にも余裕が出来てきて、子供に囲まれた二人は幸せで一杯だった。
そんな幸せも突然に終わりを告げる日がやってくる。男に癌が見つかった。進行が早くて切除するのが難しい、非常に無慈悲な物だった。妻はそれを悲しんで泣き、男はそれを受け入れた。悲しんで欲しくないと妻に願って、闘病の日々は続いた。しかし、すべての人の努力は虚しく、男には死の運命が迫っていた。
男が願ったのは家族の幸せであった。どうしても死してしまうのであれば、残せるものはすべて残す。その努力の甲斐あって、彼女達に十分な遺産を残す事はできた。しかし日に日に弱っていく父親の姿を見て、子供たちは不安に駆られた。その感情を取り除いてあげる事は男には出来なかった。もうその力も残っていなかったからだ。
男は子供達に子守唄を歌う事にした。体が動かなくても口は動く、子供たちの頭を撫でて歌を歌う、慈しむ心を込めてゆっくりと口ずさむ、子供達はそれを聞いて喜んだ。穏やかな笑顔を父親に向けた。それを見て男は心の底から安堵した。この子達なら大丈夫だと願いを込めた。
「死ぬのは怖くない、それでも別れは辛いものさ、だけど彼女達なら大丈夫だとも思っているんだ。矛盾してるし破綻してるかも知れないけど、これが僕なんだ、どうだろう何か分かったかい?」
言霊は手渡された辞世の句を手にして男の話に耳を傾け続けた。そして手にした紙に書かれた言葉を読み上げた。
「残したる 君を思えば 忍びなく されど心に 輝き満ちる」
言霊にはやはり理解が及ばなかった。だが、ここの書かれた言葉を読んだ時に、何かとても大切な物に触れたような気がした。
「何も分かりませんでした。だけど、何かが変わったような気がします。ありがとうございました。貴方と出会えて良かったと思います」
「そう言って貰えたなら良かったよ、答えのないものを見つけるのは大変だろう、だけどそれは尊いものだと僕は思うよ、挫けても頑張ってくれたら嬉しいな、いつか僕にも答えを聞かせてくれ」
言霊は男に礼を述べて別れた。初仕事を終えて言霊は、きっと自分は辞世の句課に向いている、そんな事を思った。
言霊が考え事を終えて我に返ったタイミングで呼び出しがかかってきた。新しい仕事に向かうためいつもの道具を手に取ると、言霊はまた新しい辞世の句を集めに行くのであった。
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