第7話

 その日言霊は所謂心霊スポットと呼ばれている場所に訪れていた。ある特殊な事情をもつ存在に辞世の句を聞き取りするためだ。森深く薄暗い道を歩いていると、ボロボロに朽ちた廃墟に辿り着く、様々に落書きをされ、踏み荒らされてはいるが、暫くの間誰も立ち入ってないようだ。

「失礼します。私死神の言霊と申します。アンナ様出てきていただけますか?」

 言霊が声をかけると、ぼうっと薄暗い影で空間が捻じ曲がり、一人の女性の霊が現れた。

「何だお前?今更死神?私はもう死んでるんだけど?」

「存じ上げています」

 アンナは露骨に怒りの形相をした。

「何なんだよお前?死神だか何だか知らねぇが、その舐めた態度ムカつくぜ」

「それは失礼いたしました。私いつもこのような態度で誰とでも接しておりまして、アンナ様のご希望に添えず申し訳ありません」

 言霊が深々と頭を下げると、アンナは毒気を抜かれたかのようにフンと鼻をならして、胡坐に肘をついて顎を手に乗せた。

「何だか妙なペースの野郎だな、で、何しに来たんだ?私を地獄に送りにきたか?」

「いえ、私はそちらの担当にありませんので、今回はこちらの不手際で聞き取り損ねたアンナ様の辞世の句を聞き取りに参りました」

 アンナは怪訝な顔をした。

「辞世の句ってのは死ぬ前に詠うモンだろ?死んで幽霊になった私に何を聞こうってんだ?」

「ええ、そこが今回の問題点でして、実はアンナ様がお亡くなりになる直前に聞き取りを行う筈の死神に問題が発生しまして、聞き取りが行われず取りこぼされてしまったのです」

「私が死ぬ前ねぇ…」

 アンナが言霊を睨みつける。それでも言霊はニコニコとした表情を崩さない。

「私がどうやって死んだか知ってんだろ?悪霊になってここで霊障をまき散らしてた理由だって分かってんだろ?」

「勿論存じ上げています。アンナ様は複数人の男性から性的虐待を受けて、衰弱した状態で放置されて、徐々に苦しんで死にゆく中怨みを抱いて死亡しました。その際に悪霊に転じて、地縛霊としてここに留まる事となり、心霊スポットとして有名になったここで、生ある者への怨みから霊障を与えて苦しめていました」

「ああ、その通りだよ。男どもに滅茶苦茶にされて、怨んで怨んで死んだんだ。ここに来る奴には容赦しない、私が眠るこの場所に入り込む馬鹿共にはなあ!」

 アンナは最後に叫び声を上げると、どす黒く爛れて腐った悪霊に姿を変えて、言霊に襲い掛かった。そのおぞましい光景の前でさえ、言霊は表情一つ変える事なく、手に死神の鎌を出現させると、瞬間の刃の閃きで悪霊となったアンナを切り裂いた。

「あ、あれ?」

 アンナの姿は元に戻っていた。残っていた傷跡や汚れなども綺麗になって消えていた。

「私、前の担当部署で退魔を担当していましたので、アンナ様の怨念を切らせていただきました」

 穢れが濯がれ、身が嘘のように軽くなったアンナはぽかんと口を開けて言霊を見た。

「この度はこちらの不手際で多大なるご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。改めて、時世の句を賜りたくお願い申し上げます」


 アンナは言霊から渡された紙とペンを握って悩んでいた。自然と言葉が紡がれると言われても、アンナには俳句を詠んだ事などなかった。文体は知っていても、自分がそれに則って物が書けるとも思えなかった。

 アンナが亡くなったのは十七歳の時だった。思春期からくる、何もかもから反発していて、所謂不良の真似事をしていた。集まっていたのは自然と同じ境遇の人間ばかりで、アンナにとって同族とつるむのは居心地が良かった。

 その集まりの中で、特に仲が良くなった女がいた。名前をハルカと言い、同い年で趣味も合っていて、話も盛り上がれば、ノリも似通っていた。姉妹のように仲良くなった二人は、いつも一緒に居て、何をするにも一緒にやらなければ気が済まなかった。

 ある時、アンナとハルカはいつものようにたまり場で仲間達と居た。ハルカはそのたまり場のリーダー格の男シュンに恋している事をアンナにこっそりと教えていた。アンナはその恋を応援していたし、実を結んでカップルになればいいと思っていた。しかし、そのシュンはアンナに恋をしていた。

 シュンはアンナに強引に関係を迫った。自分ならばアンナに相応しいと思っていたし、女によく好かれるシュンにしてみれば、自分の誘いを断る女なんて居ないと思った。しかし、アンナはその誘いを断った。親友であるハルカから話を聞いていたのもあるし、単純にシュンが好みではなかった。そんなアンナに腹を立てたシュンは強引にアンナにキスをした。アンナはシュンを突き飛ばして拒んだが、運が悪い事にキスの瞬間をハルカが目撃していた。

 それからと言うもの、二人の関係は悪化の一途をたどった。相変わらずシュンはアンナに関係を迫っていて、ハルカとも仲良くする事が出来なくなったアンナは、いつの間にか心地よくないたまり場から離れて、ごく普通のなんの変哲もない生活を送るようになっていた。

 そんなある日、久しぶりにハルカから連絡があった。今までの蟠りが嘘だったかのように仲良く話す事ができて、アンナは胸のつかえが取れたかのように嬉しくなった。ハルカからたまり場に使っていた場所の一つに呼び出されて、久しぶりに会おうという話になった。アンナはそれをとても喜んで、目一杯めかし込んでその場所に赴いた。そこが人生の終の場所になるとは思わずに。

 その場所で待っていたのはハルカだけでなく、昔たまり場に居た有象無象の男達だった。事情がのみ込めなかったアンナはハルカに説明を求めた。そこで告げられたのはアンナにとって衝撃的な事の数々だった。

 アンナが居なくなって、シュンに関係を迫ったハルカだったが、一度は受け入れられるも、シュンはすぐに飽きたと吐き捨ててハルカとの関係を解消した。ショックを受けたハルカに追い打ちをかけるように、シュンの口からアンナはどうした?アンナを連れて来いと告げられたハルカは、嫉妬と怒りに燃え上がった。自分は飽きてすぐ捨てられる程度の女だったのに、どうしてアンナにはそんなに執着するのか、ハルカは怒りの矛先をアンナに向けた。有象無象の男共を体を使って懐柔すると、アンナへ復讐する為に計画を練り始めた。

 そんな事は露知らず、のこのことその場所に現れたアンナに向かって、ハルカは恨み節を吐き捨てると、手駒にした男共を使ってアンナを襲わせた。何をしてもいい、そんな命令を受けていた手下達は、あらゆる手を使ってアンナを貶めた。そうしてハルカの溜飲が下がる頃には、ボロボロになったアンナが息も絶え絶えで地面に伏せっているのが見えた。それを見て恐ろしくなったハルカは手下を連れ立って逃げた。掠れる小さな声で「待って」と呼び止めるアンナの声は、ハルカに届く事は無かった。

 視界が霞み、指の先すら動かせないアンナは、地面に転がされたまま衰弱していった。上手く呼吸もできず、強烈な吐き気と悪寒に襲われながら、ゆっくりと死にゆくアンナに芽生えた感情は怨みだった。何で私がこんな目に合わなければならないのか、何故何故何故!そんな強い強い怨みの感情は、彼女の死を悪霊へと変えて、その場所は穢れとして残る事となった。


「アンナ様、書き終わりましたね」

「は?」

 言霊に声をかけられた事でアンナは我に返った。まだ手も動かしていないのに書き終わっている訳がない、そんな事を思って紙を見ると、そこには自分の文字が書かれていた。

「君といた 出会い思い出 振り返り 戻りたかった あの日あの時」

 アンナはそれを見て何だか全身の力が抜けるように感じた。あれだけの仕打ちを受けても、もし違う運命があったのなら、ハルカとまだ仲良く遊ぶ事ができた自分がいたのでは無いか、そんな未練を感じさせる言葉だった。

「アンナ様、怨みつらみは離れがたいものです。消し去るなんてとても出来る事じゃありません。だけどこの場からはもう離れてもよろしいのではないでしょうか?許しを与えるのも与えられるのもアンナ様次第だと私はそう思います」

 言霊はアンナの書いた辞世の句を大切に仕舞いながら、そんな事を話した。アンナもそれを聞いて、悪霊としてこの場に留まる事の無意味さを思い知った。

「それで私はどうすればいいの?あんたがあの世に連れてってくれる訳?」

「いえ、そちらは別の担当の者が参りますので、今しばらくお待ちください」

 言霊はそう言うと、アンナに頭を下げて消えようとする。

「ちょっと待てよ!」

 アンナはそんな言霊を呼び止めた。

「何か、その、上手く言えないけどありがとうな。最期に綺麗な体に戻してもくれたし、それに、確かにあった楽しかった事も思い出せた」

 言霊は満面の笑みでアンナに笑いかけると、そのまま深々と礼をしてスウっと消えて行った。アンナは久々に空を見上げて、その透き通るような青さに思い切り手を伸ばすのだった。

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