第6話

「おはよーございます」

「はい、おはようございます。気を付けて行ってらっしゃい」

 登校する子供達の為に見送りを始めて、挨拶を交わす事が日課となって久しい、溌剌とした子、眠そうに目をこする子、暗く下を向いて歩く子、子供達の感情は日々様々に変わりゆく、なるべく元気に登校して欲しいと思い、私も精一杯声を出して挨拶をする。

「羽田さんおはようございます。今日も精が出ますな」

「ああ、加山さんおはようございます。いやなるべく元気よく声をかけてあげないと、子供達も暗くなってしまうと思いまして」

「いい事ですよ、こうして見送りに立つ人も減ってしまいましたし、私たちだけでもこうして立っている事に少しでも意味があればいいじゃないですか」

 私は加山さんの意見に同意して、一緒になって見送りを続ける。子供達の登校が大体終わって、加山さんとも別れを告げて自分も家に帰る事にした。

 帰宅途中、一人の学生が通学路をとぼとぼと歩いているのを見つけた。どうやら具合が悪いようで、顔が青白くふらふらとしている。私はその調子で道に飛び出しでもしたら危ないと思い、その子に駆け足で近づいた。

 その時、恐れていた事が現実となった。ふらつく足のまま子供が車道側に倒れてしまった。そして道の先からは、子供の通学路なのに、スピードを出して走る車が近づいてきている。私は咄嗟に道に飛び出して、倒れた子供を歩道側へ突き飛ばし、スピードの出し過ぎで止まり切れなかった車に撥ねられた。


 ふと私が気が付くと、場面は私が轢かれた状態のまま静止していた。何事かと周りをきょろきょろと見渡すと、急に後ろから声が聞こえた。

「もしもし、失礼いたします。私死神の言霊と言う者です。羽田様の辞世の句の聞き取りに参りました」

 声の方向へ振り返ると、髪も服装も小物に至るまでピシッと揃えた。スーツ姿の男性が立っていた。

「あ、あんた今死神って言ったか?」

「はい、左様でございます。私は死神の言霊です」

 言霊と名乗った男性は、そう言うと深々と頭を下げて礼をした。そのあまりの礼儀正しい姿勢に、つられて私も礼を返す。

「そ、それで私は死んだのか?この事故で?」

「より正確に申し上げますと、死の直前、今際の際に私がお邪魔させていただいています。辞世の句の聞き取りが私の役割ですので」

 つまりこの状況は私が今死の直前という事か、それを俯瞰して眺めていると思うと何だか不思議だが不気味な感覚に襲われた。

「そうか、私は死ぬのか」

「はい、残念ながら。この運命は変える事ができません」

「いや、それはいいんだ。そんな事より、私が庇った子供は無事だろうか?」

 言霊はにっこりと笑顔を向けて答える。

「ええ、貴方のお陰で彼は助かりました。多少の擦り傷はありますが、命に別状はありません」

「それならよかった。一つ大きく安心したよ。ちなみに彼は何で倒れたのか分かるかい?何か大きな病気とかだったら大変だ」

「貧血のようですね、普段は何ともない健康な子ですが、今日ばかりは調子が悪かったそうで、運悪く車道に倒れてしまったようです」

 私はほっと胸を撫でおろした。あのくらいの年の子にはたまに起こる事だ。何か大きな病でも隠れていたら大変だが、死神のお墨付きとあらば、その心配もないだろう。

「あの子が無事だったのなら良かった。私が思い残す事はもうない、貴方が言う辞世の句とやらに付き合おう」

 言霊はではと言うと、指をパチンと弾いた。宙に机と椅子が現れて、私には紙とペンが渡される。

「どうぞ座ってください、そしてペンを握って紙と向き合ってみてください。そうすれば自ずと言葉は紡がれます」

 私は言われたままにペンを握って、まっさらな紙を眺めた。


 私はお世辞にもいい人間ではなかった。小さい頃から暴れん坊で、人に暴力ばかり振るっていた。それが私の自尊心を満たし、周りの人間に迷惑をかけた。特に両親には多大な心労をかけてしまい、母親はその心労が祟って早死にしてしまった。

 父親はそんな私を勘当して、私はたった一人になった。そして一人になって思い知る事となる。乱暴者で周りに迷惑ばかりかけていた。そんな私を受け入れてくれる人は誰一人としていなかった。

 私は一人になって、自分には何もない人間だと思い知った。私は住み慣れた街を離れて、心を入れ替えてただ人に親切でありたいと願い、別の街で、ボランティアに積極的に参加したり、街のイベント事に関わり運営を行ったりと、人との繋がりを大切にするようになった。

 そして資格の勉強をして介護士となり、老人ホームの職員として生計を立てた。力だけは昔から強かったので、割かし重宝してもらえた。お世話をさせてもらっていると、自分が少しだけいい事を出来ていると思う事が出来た。

 そんな生活を送っているある日、本当に偶然に、昔馴染みに遭遇した。すっかり変わった私を見て、その人が実はと教えてくれたのが、父親が病気で床に伏せっているとの話だった。

 私はすぐに父親の元へ駆けつけた。追い出されてもいい、それでもこれまでの事を謝りたい、そんな気持ちで父親に会うと、父は私を温かく迎えて、今までどうしていたかと話を聞いてくれた。私が泣きながら今までの経緯を話すと、父もまた親として何処までも味方であってやるべきであったと後悔の念を話してくれた。長年の蟠りもなくなり、私は自分の家に帰る事が出来た。そして父の最期を看取る事が出来た。

 私は父と母の供養をしながら、地域の活動に積極的に参加するようにした。それが自分に合っていたし、いつの間にか心から安心できる事になっていた。

 そんな私が誰かを救って死ぬ事が出来るなんて、出来過ぎた話だと思った。それでも誇らしくも思えた。父と母に会えたなら褒めてくれるだろうか?そんな事を思った。


「羽田様、書けたようですね」

 言霊の声掛けでハッと我に返る。紙にはいつの間にか自分の文字で句が綴られていた。

「かの日々を 思い起こして 遂げたりは 未来を生きる 命を繋ぐ」

「そうか、これが私の辞世の句なんだな」

 文字を指でなぞって想いを馳せる。突然訪れた死にしては、自分に満点をあげられる程立派な死にざまになったと思えた。

「羽田様、ご立派な句をありがとうございました。この後お迎えの死神が参りますので、暫くお待ちください」

 言霊はそう言うと、私が書き遺した句を大切に仕舞う。

「なあ言霊さん、あの子は大丈夫かな?」

 私なんかが心の傷になるとは思えないが、事故に遭ったという事実が彼を苦しませるのではないかと、少しだけ心配になった。

「大丈夫です。貴方に繋いでもらった命を彼はきっと大切に慈しむでしょう」

「そっか、何かありがとうな」

 言霊は笑顔でお辞儀をすると、そのままスゥと消えて行った。


 羽田の葬式会場には多くの人々が参列していた。その中には勿論命を救われた子が親と共に来ていた。

 その子は泣きながら羽田に謝った。事故の前日、夜更かしをしていたことで貧血を起こした。自分の不注意から招いた事故で、死なせてしまった事を悔いていた。

 そんな泣いている彼の耳元で声が聞こえたような気がした。

「まあクヨクヨするな、無事でよかった。じゃあな」

 彼にはその声が誰の声か分からなかった。でも優しく心に響くようなその声を聞いて、彼は涙を拭うと、遺影に向かって深々と頭を下げるのだった。

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