第5話

 いつの間にか俺の体は宙に浮いていた。見下げているのは今まで自分が運転していた車、煙を上げて自慢だった車は無残にも正面がひしゃげて、綺麗に塗装されたぴかぴかの外装は擦れてボロボロになっている。

「糞が、あの馬鹿野郎めが!」

「失礼します。私死神の辞世の句担当の言霊と申します」

 俺が毒づいていると、突然背後から声が聞こえて、振り返るとピシッとスーツを着こなしたビジネスマンらしき男が、俺と同じように宙に浮いていた。

「死神だぁ?俺は死んだのか?こんなつまらない事で?」

「生き死にに関する是非については議論するところにありませんが、山口様はもうすぐお迎えが参ります」

「クソッ!クソクソクソ!何だって俺が死ななきゃならない!ふざけやがって!死神てめえ何とかしろ」

 俺が死神の襟を掴んで凄むと、言霊と名乗った死神は残念そうに首を横に振った。

「死の運命を変える事は誰にもできない事です。受け入れていただくしかありません」

「受け入れられるかよ!こんなつまらない死に方!」

 俺は思い切り振りかぶって拳を言霊に叩きつけた。しかしその拳は言霊に届く事はなく、空ぶって派手に転ぶだけだった。

「死に憤る山口様のお気持ちは分かります。理解はできかねますが、それは無念でございましょう」

「すかしやがって、ごちゃごちゃうるせぇんだよ。てめぇは何しに来たんだ?俺を天国にでも連れて行くのか?」

「いいえ、私は山口様より辞世の句の聞き取りに参りました」

 言霊はそう言うと、バッグから紙とペンを取り出して、指をパチンと鳴らすと、空中に机と椅子が現れて俺はそこに座らされた。

「どうぞペンを手に持ち紙に向かってください、そうすれば自然と言葉は紡がれていきますから」

 言霊の言う事は気に食わないが、座ってペンを握ると何故だか無性に過去が頭に浮いては消える。俺は静かになって記憶と向き合う事になった。


 俺は車が好きだった。自慢の愛車も高い金を出して買ったスポーツカーで、高級車を所有するという優越感は、俺の自尊心を大いに満たしてくれた。それからも高い金を出してメンテナンスやカスタマイズを行い、自分好みに変えていくと、車は俺に応えるようにぴかぴかに光り輝いて、アクセルを踏み込めばその加速は俺の体をどこまでも連れて行ってくれるような感覚を与えてくれた。

 そんな中、世間の馬鹿共はちんたらちんたら道を空けずに走りやがる。俺と相棒が気持ちよく走っているのを邪魔するかのように、ちっともスピードを出さずに走っている。それが俺は許せなかった。

 そして俺はいい事を思いついた。ちんたら前を走る馬鹿に車間を詰めて教えてやるのだ。遅いんだよ、前を空けろ、邪魔な車め、こうして念を込めて俺は車間を詰めて走る。前に出られたら今度は急ブレーキをかけて脅してやる、馬鹿で鈍間な奴らは俺に怯えた顔をする。それがたまらなくすがすがしかった。

 今回だってそれが上手くいっていた筈なんだ、いつも通りに煽りに煽ってやった。間抜な顔を晒しながらあいつは怯えていた。俺はそれが楽しくて、車間を詰めたり離したり、パッシングを繰り返して遊んでいた。そしたらあいつはハンドル操作を誤って車が横滑りを始めた。俺はそれを避けようとしたが、詰め過ぎた車間距離のせいで避けきる事が出来なかった。そのままそいつの車に巻き込まれて、俺は勢いよくガードレールにぶつかった所で意識を失ったのだった。


「畜生、やっぱりムカつくぜあの野郎」

 俺は毒づいてペンを遠くに放り投げる、時世の句なんてバカバカしい真似に付き合ってられるかと思った。

「おい言霊!俺を事故に巻き込んだあの馬鹿野郎もくたばったんだろうな!?」

「いえ、あちらのお方は多少の怪我はあるものの命は助かりました。よかったですね」

 俺は激怒した。何故俺を事故に巻き込んだあいつが生き残って、この俺が死ななければならないのか、俺は机と椅子を蹴飛ばして言霊に詰め寄った。

「何で俺が死んであいつが生き残るんだよ!おかしいだろうが!」

「そう申されましても、生き死にを決めるのは私の役目ではございませんので」

「何だと!?死神だとかぬかすわりに使えないな!死ぬべきはあいつだろうが!俺じゃないあいつだろう!?」

 言霊は表情一つ変えずに俺が蹴飛ばした椅子と机を直して、ペンと紙を改めて用意した。

「私は貴方の最期に残す言葉を聞き取りに来ました。貴方の不満を聞くのも悪くはありませんが、そろそろ言葉も出てくるのではないのですか?」

 俺は言霊の暖簾に腕押しな態度に、急に何もかも馬鹿らしくなってしまった。もう一度椅子に座ってペンを取る。紙に向かっているとある文言を思いついてそれを書き留める。

「オラ!書いてやったぞ」

 言霊に紙を強引に叩きつけてやった。

「我が前に 立ちはだかるは 鈍間共 報いを受けろ 速度知らずが」

 俺の渾身の句を前に言霊は声もなく立ちすくんでいる。俺はそれを見たら少しだけ溜飲が下がった。

「それ持ってとっととどっか行けよ、お前の役目はこれだけなんだろ?ご苦労なこったなこの程度の事が仕事だなんてよ」

「ええ、確かに頂戴したしました。お迎えの死神がすぐに参りますので、山口様はこのままもう少しお待ちください」

 そう言って言霊はバッグに紙を仕舞うと、突然目の前から姿を消した。堅苦しくて小うるさい奴がいなくなって清々していると、今度は派手な格好をした美人が突然目の前に現れた。

「あー、お前が今死んだ山口だな?アタシの名前は先導、お前をあの世に連れてってやるよ」

「おいおい、いい女が来たじゃねぇか、あの世に行く前によ、少しばかりいい思いさせてくれねえのか?」

 先導は大きくため息をついた。その態度に俺はムカついて悪態をつく。

「おい、てめえよ、もう少し愛想よくしたらどうなんだよ?こっちは死んでんだぞ?」

「うるせぇなお前はよ、ちょっと黙ってろや、今準備してんだよ」

「あ?準備?」

 先導は何かをぶつぶつ唱えていたと思ったら、手に大鎌が握られていた。

「お、おい、そりゃなんだよ…」

「何だよって、死神の鎌だよ。てめえの魂を地獄に送ってやんだよ」

 地獄と言われて俺は恐怖におののく。

「何で?俺は天国に行くんじゃないのか…?」

「お前、自分が今まで何やってたのかちゃんと分かってんのか?煽り運転に危険行為、しかも何人も事故に巻き込んで、しかもそれを楽しんでやってただろ?お前が行く天国なんかどこにもありゃしねえよ。きっちり地獄に送ってやる」

 先導は女性の細腕では信じられない程、堂に入った構えで大鎌を握りしめる。そしてそれを振りかぶってギラリと鈍く光る刃をこちらに向けた。

「お、おいやめ」

 先導は無言で大鎌を振り下ろした。首と胴体が分かたれた山口は音もなくその姿を消した。

「お仕事終了~、後は裁きを待つばかりってな。言霊のとこ行ってあいつがなんて言葉残したのか見てみっかな」

 先導は大鎌を消すとそのまま自分の姿も消して言霊の所に向かった。


「このドライブレコーダーの映像から見ても、犯人は最近暴れ回っていたやつで間違いないようですね」

 警察が現場で、煽り運転被害者の車に取り付けられたドライブレコーダーの映像を確認する。暫く前から目をつけられていた被疑者は、決定的な証拠を残して死亡してしまった。

「まあそれにしても被害者の方が助かってよかったよ。何だか少し複雑な気持ちだがな」

「そうですね、煽り運転の啓発活動はまだ足りないようです。どれだけ危険であるかもっと周知していかないと」

「そうだな、惜しむべくはもう被疑者には反省する機会も与えられないって事だ。もしかしたら、こんな蛮行に及ぶ前はもっと純粋に車の運転を楽しんでいただけだったかも知れないからな」

 凄惨な事故現場でそんな話をしながら、警察は仕事をしている。そんな様子を言霊は空から眺めていた。

「彼は反省できるのでしょうか?この句を見た私には分かりかねますね」

 言霊がそんな事を呟くと、懐にしまってある携帯電話が鳴った。表示名に先導と出ているのを見て、やれやれと思いながらその電話に出ると、足早にその現場から消えていくのであった。

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