第4話

 一人の小さな女の子が、ごみが散乱した部屋の一角で倒れていた。女の子は極度の飢餓状態で、もうすぐ餓死する寸前であった。そんな時、女の子の目の前に不思議な男の人が現れた。

「おじちゃんだあれ?」

「これは申し遅れました。私死神の言霊と申します。咲様の辞世の句の聞き取りに参りました」

 少女は不思議そうな顔で言霊を見上げる。言っている言葉の意味が分からないようだ。言霊はしゃがんで咲の目線に合わせるて言った。

「咲様はもうすぐお亡くなりに、死んでしまうのです。その前に、私言霊が今際の際にお言葉を頂戴しに参りました」

「咲死んじゃうの?」

「残念ながらもうすぐお迎えが参ります。生と死の間、その隙間のお時間に少しだけお邪魔させていただいている次第です」

 咲と呼ばれた少女は暗い顔で落ち込んだ。自らの死を自覚する事はとても難しい事で、尚且つそれが年端もいかない子供となると、それが何を意味するのかを理解も出来ない事もある。

「咲、もうちょっと生きていたいな」

「すみません、私では対応しかねます。どうしてもう少し時間が欲しいのですか?」

「咲ね、パパとママからお留守番を頼まれたから、そろそろ帰ってくるかも知れないから、もうちょっと待ってないと」

 咲の両親は彼女を置いて遊び歩いている。食料を置いていく事もなく、ただ残酷に少女に留守番を申し付けて、博打に快楽に耽っている。

「咲様、私には生の時間を引き延ばす事は出来ません。ですが、咲様のお願いを一つお聞きする事は出来ますよ」

「本当!?じゃあ咲公園に行きたいな!」

「かしこまりました」

 言霊が指をパチンと鳴らすと、ゴミだらけの部屋から遊具が沢山ある公園へ一変した。

「ここ前にパパとママと来た事がある公園だ!おじちゃん一緒に遊ぼう!」

「私でよろしければお相手させてください」

 咲はまずブランコに飛び乗った。言霊はその後ろに立って、咲の背中を優しく押す。揺れが大きくなるにしたがって、咲の笑い声も大きく楽しそうに響く、言霊はそれを見て優しく微笑みかける。

「おじちゃん!もっともっと!」

「咲様、あまり勢いよくすると危ないですよ」

 そう言いながらも、言霊は危なくない程度に力を込めて勢いをつけて、咲の背を押してあげた。キャッキャと笑い声を上げて楽しむ咲は、無邪気で無垢で、これから死の運命が待っているとは思えない程だった。

「次!次はこっちだよ!」

 咲は公園を駆け回って言霊を連れまわす。次に向かった場所はシーソーだった。

「咲はこっちでおじちゃんはそっちね!」

「では失礼します」

 咲の対面に言霊は座る。勿論腰を少し浮かして、咲の体重と釣り合うようにする。ぎったんばっこんと上下に揺れる咲は楽しそうに笑う、上に下に上に下に、こうして単純に思える行動でも、子供には遊びに変える力がある。

「おじちゃん思いっきり行くよ!」

「ええ、どうぞ」

 咲が力を込めてシーソーに体重をかける。言霊はそれに合わせて少々過剰に飛び上がって見せる。それを見て咲は大喜びで笑った。

「次!次はあれだよ!」

 咲は次に動物を模したばねの遊具を選んで乗った。咲はパンダを模した物、言霊はその隣にある馬を模した物に乗り込んだ。

「よーし!競争!」

「私も負けませんよ?」

 ばねの遊具を揺らして咲と言霊は空想のレースをする。どちらが前に出ているか、どちらが遅れているかなんて分からない、それでも確かに二人にはレースの道が見えていたし、勝負は真剣そのものだった。

「咲の勝ち!!」

「残念、負けてしまいました」

「でもぎりぎりだったね!おじちゃんも速い速い!」

「お褒めに与り恐縮です」

 咲と言霊は公園内の遊具で目一杯遊び回った。お腹がすく事も、のどが渇く事もない、ただただ楽しい時間だけが流れた。咲は走り回って遊んで、言霊はその後ろについて回る。そんな幸せで穏やかな時間が流れて、公園の空はいつの間にか夕焼け色に染まっていた。


「咲様、そろそろお時間のようです」

 ボールを投げて遊んでいた咲に言霊は声をかける。咲は残念そうな顔をしながらも、夕焼け空を見上げて言った。

「お空が赤くなったから帰らないとね」

「そうですね、咲様は偉いですね」

 言霊がそう言うと、咲は一瞬嬉しそうに笑ったが、すぐに悲しそうな顔になった。

「咲偉くないよ、パパもママも咲のこと駄目な子だってよく言うもん。咲もそう思う、もっと咲がいい子だったらパパもママも苦労しなくてよかったのに…」

 そう俯いて言う咲に言霊は優しく声をかける。

「私はそうは思いません。咲様は、自分の出来る事を精一杯やりました。そんな悲しい事言わないでください」

「でも、パパもママも咲の事嫌いだって言ってた。咲はパパもママも好きなのに、きっと咲がいい子じゃないから」

 そう言って咲は泣き始めた。霊体から零れる涙は地面を濡らす事はないけれど、心から溢れ出る涙を止める事は誰にもできない。言霊はただ静かに咲を抱きしめて、泣き止むのを待っていた。

「落ち着きましたか?」

 咲が泣き止むと、外は夕焼けから夜空へと変わっていた。

「うん、遅くなっちゃったね。ごめんなさい」

「何も謝る事はありません。咲様と過ごしたこの時間、とても楽しかったです」

 そう言って言霊は咲の頭を撫でた。咲はくすぐったそうにして笑う、そしてすっきりとしたような顔になると、自分の運命を悟った。

「おじちゃん、咲はどうすればいいの?」

「はい、これから紙とペンをお渡しします。そちらに今のお気持ちを書いてみてください、文字は自然と書けるようになりますからご安心ください」

 言霊はビジネスバッグから紙とペンを取り出すと、咲に渡した。それを受け取ると、咲は紙にさらさらと文字を書き始めた。

「書けたよおじちゃん、これでいいかな?」

「拝見させていただきます」

 咲が紙に書いた文字は悲痛な叫びのようにも、切なる祈りのようにも思えた。

「パパとママへ わるいこでごめんなさい だいすき」

 言霊は受け取った紙を丁寧に仕舞う。

「受け賜わりました。咲様、これからお迎えの死神が参ります。私とはここでお別れです」

「分かった。おじちゃんありがとう。すごく楽しい時間だったよ」

「私もです。とても素敵な時間と辞世の句を頂きました。ありがとうございました」

 言霊は咲に手を振って別れる、咲も言霊に向かって、千切れんばかりに手を振ってお別れをした。


 とある家庭でテレビを見ていた妻が夫に話しかける。

「見てよこのニュース、痛ましいわね」

「何だい?ああ子供の虐待殺人か、嫌なもんだこんなニュース、どうしたって無くならないものかね」

「色んな事情があるんでしょうけど、この子は可愛そうだわ。虐待の末にネグレクトされて餓死だなんて、非道すぎる」

 ニュースの原稿を読み上げるキャスターが、当たり障りのないコメントを述べて咲が殺されたニュースは流れて行った。咲の両親は逮捕され、警察の車両に乗せられる所で映像は切れる、両親が残したコメントも、実に簡素なもので反省を微塵も感じさせないものだった。こうして何も無かったかのように時が流れて、一人の小さな命の物語は静かに終わりを告げた。


 言霊は集めた辞世の句のファイリングをしていた。数あるうちの一つ、何てことはない死の流れ、誰にも引き留める事の出来ない運命、それでも言霊はその少女との思い出と共に大切に大切にその言葉を仕舞ったのだった。

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