第3話

 紙に書かれた辞世の句を、保護加工してバインダーにまとめていく作業をしていると、お迎え課の先導さんに声をかけられた。

「言霊、部長が呼んでたぞ」

「ありがとうございます、すぐに向かいます」

 作業の手を止めて立ち上がろうとしたら、先導さん肩を押さえられた。

「まあまてまて、お前さんは相変わらず真面目だな」

「呼ばれたから応じるだけなのですが、何かご用があるようですね」

 先導さんは空いている席の椅子を引いて持ってくると、自分の横に座った。

「先導さん、スカートで足を組むのはやめなさいと言ったでしょう」

「アタシがどう座ろうが勝手だろ、見えても構わない性格なんだよ」

 何度かはしたないと注意したが改める気はないようだ、美人だが我が儘でがさつな性格なためかあまり人気がない、自分にはやけになついているが。

「最近よ、お迎えに行った魂がよセクハラが酷くてよ、ケツ触って来たからブッ飛ばしてやった」

「またやったんですか、いつも手を出すなと言っているでしょう」

「反射的に手がでるんだよ!死んだから何しても良いと思いやがってムカつくぜ」

 お迎え課の死神に不義理を働く魂は少なくない、生から剥がれ倫理の枷が取れたと勘違いしてしまうからだ。

「それでもですよ、手を出すまでないと言っているんです」

「黙って触らせておけってか!?」

「殴らず、振り払うか言葉で諭しなさい、殴れば貴女も痛いのですから」

 先導さんはまだ納得していないようだが、口を尖らせて椅子に座ったままくるくると回っている。

 死後の世界は、空の上でも遥か彼方星の向こうにもない、生きている人の世界の裏側に常に存在している。

 見ることも触れることも絶対にできない背中合わせの世界が死後の世界なのだ、生の世界にあるものは死の世界にも存在する。

 自分たち死神はそんな世界の境界を跨ぎ、辞世の句の聞き取りや魂のお迎え等が務めである。

「先導さんの気持ちも分かりますよ」

 先導さんは意外そうな顔をした。

「辞世の句の聞き取りでも何かあんのか?」

「勿論、死の運命を受け入れられず取り乱すものや、死神の役割に罵詈雑言を浴びせられる事もあります」

「そんなときはどうするんだ?ムカつくからブッ飛ばすのか?」

「貴女じゃないんですから、いいですか?不義理や不誠実に敬意を払う必要はありません、死する魂に敬意を表するのです」

 先導さんは頭を左右に捻って上を向くと「分からん」と吠えた。

「結局どうすりゃいいんだよ」

「死というのは、ご本人様だけでなく周りの方々や関係するすべてに大なり小なり傷を残すものです、慈しみ優しい心で接してあげてください」

「分かったけどセクハラはムカつく!」

「そうですね、だから自分たち死神には仲間がいるんですよ、話ならまたいつでも聞きますから」

 先導さんはやっと得心がいったようでうんうんと頷くと、立ち上がって大きく背伸びをした。

「今、時間空いてるからセクハラオヤジの様子でも見に行ってやるか、他の魂にセクハラしてたら頭叩いてやらないと」

 程々にしなさいと言い含めて、部長室へ向かうことにした。


「やあやあ、待っていたよ言霊くん」

「お待たせして申し訳ありません、次の仕事についての連絡が入り時間を押してしまいました」

 深々と礼をし謝辞をのべる。

「いやいや、我々死神は仕事第一だよ気にしないでくれ」

「ありがとうございます、ご用件は何でしょうか」

「実は先日本部の方で会議があってね、その時に君の働きについてとてもお褒めいただいてね、言霊くんにも伝えないとと思ったんだ」

 部長は実に満足そうに笑った。

「それはとても恐縮です」

 上機嫌な部長とは逆に自分はあまり気乗りしなかった。

「おや、嬉しくないのかい?」

「そんなことはありませんが、誰かに認めてもらうために務めている訳ではありませんので」

「そ、そうかい、何か悩みや困りごとはあるか?」

「いえ、今のところご心配には及びません」

 部長の想像通りの反応が出来なかったからか、あからさまに狼狽えさせてしまった、しかし自分の気持ちに嘘はつけない。

「辞世の句課はあまり気に入っていないかい?僕が推薦した手前気乗りしない事をさせるのも気が引けるな」

「ああいえそういうことではありません、しかし...」

「やはり何か言いたい事があるようだね」

 お腹のそこから大きく息を吐いて話を始めた。

「死の間際、生きてきた世に遺したい言葉は実に様々です、綺麗なものもあれば口にするのもおぞましい醜い呪詛もあります」

 誰も彼もが感謝や感動を心にしている訳ではない、怨み辛みも勿論人の心で、死に際するとその淀んだ気持ちが溢れだす事もある。

「私は辞世の句の聞き取りが好きです、でも辞世の句を記録し続ける日々に疑問を持つこともあります」

 自分の言葉を聞き、部長は少し嬉しそうな顔をした。

「言霊くんが大鎌を振るっていた時には、悲しそうな顔をして役目の感想を聞いたことなんか無かったね」

「そんな顔してましたか?」

 部長は頷いて続ける。

「僕にはそんな君が憔悴している様に見えてね、ちょっと無理矢理に配置変えをしたんだ、あの時はごめんね」

「そんな、実際私は刈り取り課に向いていないと悩んでいました、部長には感謝しています」

「ありがとう、君は役目に一切文句を言わない、どんな事にも真面目に誠実に取り組む、だからこそ命を摘み取る役目は君の心に影を落としたのかもしれないね」

 確かに言われてみるとその当時は誰ともコミュニケーションをとっていなかった、先導さんや他の課の死神と話すようになったのも辞世の句課に移動してからだ。

「言霊くん、我々死神の役目はどれもかけがえのない物だ、僕はその中でも辞世の句課は生と死を結ぶ重要な役目があると思っている」

「生と死を?」

「死神は生を終らせ魂を死に導く事が仕事だ、でも辞世の句は死に行く魂の生の叫びを聞き記録する、我々は人が懸命に生きた証を忘れてはならない、辞世の句はそれを死神に教えてくれているんだよ」

 目から鱗が落ちた。

 辞世の句を紡ぐとき、人が見せる感情は実に様々だ、しかしどの人も死の世界を想った人は居なかった、どんな言葉も生の世界に向けられていた。

「部長ありがとうございます、私が辞世の句が好きな理由が一つ見つかりました」

「言霊くんこれからもよろしく頼むよ、真摯に誠実に役目に取り組んでくれ」

 部長と固く握手を交わし部屋を去る、そろそろ次の魂のもとへ向かおう。

 廊下を歩いていると休憩所に先導さんの姿が見えた、こちらに気づくと鼻をすすって顔を上げた、泣き腫らした目をしている。

「先導さん何かありましたか?」

 彼女は確かセクハラを受けたおじいさんの顔を見に行くと言っていた。

「あのオヤジ生前の家に送り届けたんだ」

 お迎え課の魂にはそれほど珍しくない要望だ。

「あいつ誰もいない部屋で、残した婆さんの名前呼んで泣いてたよ、伏せてうずくまって声をあげて泣いてた」

 先導さんにハンカチを渡した、彼女は礼をいって涙をぬぐう。

「寂しかったんだなあのオヤジ、スケベなだけだと思ってたけど」

「彼の辞世の句は残したお婆さんを想ったものでした」

 借りてきた紙には「いつの日か 一緒に逝こうと 笑い合う 君残す僕を 許しておくれ」と書かれていた。

「そうか、ありがとな言霊私のために」

「いえ、その後おじいさんは?」

「一頻り泣いたあと消えた、還っていったよ」

 死後の世界の魂がどうなるか死神は知らない、気ままに過ごしていたと思ったらいつの間にか居なくなっていたりする、ずいぶん長く居たと思えば、すぐに消えてしまう事もある、消えることを還ると表現するが、実際のところどうなっているのか誰も知らない。

「泣きつかれて消えてしまったのでしょうか」

「いや案外満足したから消えたんじゃねぇか?」

 そんな話の途中に、二人とも携帯電話のコールが鳴る。

「では行きますか」

「ああ、そっちも頑張れよ」

 先導さんと別れ歩き始める、それぞれの魂のもとへ。

「辞世の句課言霊です、聞き取りを待つ魂はどこでしょうか?」

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