第2話

 空を見上げて雲を眺めていると、後輩の山本が声をかけてきた。

「先輩何してんすか?」

「何って休憩時間なんだから休憩してんだよ」

 山本は俺の答えに肩をすくめて、缶コーヒーを一本渡してきた。

「ありがとう、お前は本当に気が回るな」

「俺のことをそうやって誉めてくれるのは先輩だけっすよ」

 二人して缶コーヒーを啜る、喉を通り抜ける苦味を心地よく思うようになったのはいつ頃からだろう、少なくとも子供の頃には口につけることも嫌だった。

「先輩、最近ボーッとする事が多くないですか?」

 山本の指摘で最近の行動を思い返すと、確かにこの頃どこか遠くを見つめたくなる時間が増えた気がする。

「確かにそうかもな」

「桂さんまだ四十代でしょ?老け込むには早いっすよ」

 人生百年時代と言われている事を思うと、俺はまだ半分も生きていないことになる、時代が進むにつれまだ長くなるのかと考えると少しうんざりもする。

「お前の言う通りだけど、別に俺が呆けるのは老け込んだからじゃないよ」

「何でですか?」

「昔っからボーッとするのが癖なんだよ、最近はそれが多くなっただけだ」

 俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。

「それって子供の頃からって事っすか?」

「ああ、親父や学校の先生によく叱られたよ」

「先輩の子供時代ってどんなだったんですか?」

 俺が一瞬嫌な顔をしたのを山本は見逃さない、にやにやと笑いながら話すのを待っている。

「そんな面白いもんでもない、成績も生活態度もずっと平均的な子供だったよ」

「でも叱られてたんですよね?」

「自分では気づかなかったけど、突然ボーッとする事があったんだと、遠くを見つめたまま動かなくなるから、心配して色々言ってくれてたんだ」

 缶をゴミ箱に捨てて、そろそろ戻ろうと言う。

「しかし子供の頃の癖も中々抜けないものっすね」

「よく言うだろ、三つ子の魂百までってやつだよ」

「三つ子って兄弟って事ですか?」

 俺は久しぶりに大笑いした。


 中年の痩せこけたスーツ姿の男性が道端に倒れている。

「あれが俺ですか?」

 やけに身なりの良い真っ黒いスーツの男に尋ねる。

「ええそうです、誠に御愁傷様でございます」

 黒いスーツの男は深々と頭を下げた。

「死因とか分かります?何で死んだの俺?」

「誠に申し訳ありませんが私では分かりかねます、後程お迎えの死神が来ますので、そちらに聞いていただけると分かります」

 そう答えてまた深く頭を下げた、いちいち丁寧なやつだ。

「じゃああんたはどんな死神なの?」

「私は死神辞世の句課の言霊と申します、桂さまから辞世の句をお伺いするために参りました」

 辞世の句課と言われても、なんの事だかさっぱりだ。

「辞世の句なら死ぬ前に残すものだろ」

「ええ、ですから桂さまはまだ死亡しておりません、その直前に少しばかりお引き留めした次第です」

 地面に転がっているのは死んだ俺じゃなくて、死にかけている俺と言うことか、そしてこいつが死神なら。

「俺を生き返らせたりは出来ないのか?」

「残念ながら」

 そりゃそうだ死神だからな、こうして宙に浮いているのは死神パワーなのだろうか。

「こんなに急に死は訪れるものなのか?」

 死神ならさぞ多くの死を見てきたのだろう。

「私が担当した方の情報は明かせませんので、所感だけを述べますと突然死はそれほど珍しいことではありません」

「本当か?」

「ええ、理由は様々ですがよく起こる事でもあります」

 そうだったのか、まあ死について深く考えたり調べたりしたこともない、死にかけて不勉強を思いしるとは不思議な感覚だ。

「そうか、しかし未だ信じられないよ、まさか自分が死ぬなんて生きてるときには思わなかったから」

「そうですね、生と死は常に表裏一体で最も身近ですが、最も遠ざけるものでもあります」

 死神とこんな哲学的な話をする事になるとは、一つ苦笑をして本題に入る。

「それで辞世の句だったかい?俺が書くのか?」

 死神の言霊が指をパチンと鳴らすと、机と椅子が現れた。

「どうぞお掛けください、貴方が遺したい言葉が見つかりますよ」

 引かれた椅子に腰掛けて机に出された紙に向き合う、まっさらな紙に何かを書くのはいつ以来だろうか。


 そう言えば山本と話していた子供の時を思い出す、昔はこんな紙に色んな絵を描いていた。

 そして子供時代に親父によく叱られていた事も思い出した。

 昔から俺が突然ボーッと呆ける事を親父はよく叱っていた、その時はうるさく言われる事の煩わしさで忘れていたが、こんなことを言っていた。

「自分の意思で呆けるのはいい、でもそれが不注意につながって誰かと自分を傷つけることになるかも知れないから気を付けなさい」

 親父も先生や周りの大人たちはきちんと俺の事を考えて叱ってくれていたんだ、思いやりがあったんだ。

 そう考えると、よく叱るうるさい親父だと思っていたが、その言葉が俺に根付いて刻まれている、何を言われたかを覚えていなくても注意しなければならないことやってはいけないことを沢山教えてくれた。

 お袋は先に逝ってしまって、親父は一人暮らしをしている。

 まさか俺が先に逝くことになるとは思わなかった、頻繁に会うこともなかったし、電話口で声を聞くくらいだった。

 俺は途端に親父のことが心配になった、もう間に合わないしどうにもならないけど、感謝と愛していると伝えたい、俺はボーッとしてるから色々気づくことも知ることも遅くなってしまった。

 どうしようもない後悔と悲しみが襲いかかる、同僚や山本にも感謝することが沢山あるのに、もう伝えることができないんだ。


「桂さまお疲れ様でございました」

 言霊の声に我に返る、気がつくと涙が出ていたようで紙はぐしゃぐしゃになっていたが、書かれた文字は滲むことなくハッキリと記されていた。

「残したる 悔いに無念は 有り余る されど伝えたい 感謝と愛を」

 俺は呆然としながら書いた文字を指でなぞった。

「これを俺が書いたのか?」

「はいそうです、私はとても素晴らしい辞世の句であると思っています」

 これを俺が書いた。

「そうか、死の間際に愛を伝えたくなるなんて、俺にも詩的な一面があったんだな」

「気づけなかったこと見つからなかったもの忘却の忘れ物、どれだけ正しく立派に生きてもすべてを見つけることはできませんから、貴方がたどり着いた感情は人生の答えの一つです」

 言霊の言い分がストンと胸に落ちた気がする、もう何も間に合わなくても最期にたどり着いた答えとしては納得のいくものである事には間違いない。

「言霊さん、少しだけ頼みを聞いてもらえませんか?」

「私奴に出来ることでしたら何なりとお申し付けください」

 俺は言霊さんに耳打ちで伝えた、誰に聞かれている訳でもないが何だか少し気恥ずかしかったからだ。

「それでしたら問題ありません、お申し付け承りました」

 俺の辞世の句が書かれた紙を受け取り、深々と頭を下げ感謝を述べると、言霊さんは足元から光の粒が風に吹かれるよに消えていく。

「言霊さん、何だか変に思うかも知れないけど、ありがとう感謝してます」

 言霊さんはにっこりと笑ってそのまま消えた。


「これを僕にですか?」

 先輩のお父さんに形見分けとして、先輩が使っていた手帳を貰ってくれと頼まれた。

「ああ、後輩の山本君に渡してくれと書いてあった」

「中身を拝見してもよろしいですか?」

 お父さんがこくりと頷いたので、ページをめくってみる。

 予定や聞き取った内容、取引先の相手の情報やちょっとした気を付けることまで細かく記されている。

 几帳面な先輩らしいなと思っていたら、あるページに目が止まった。

「山本色々とありがとう、お前はよく気が回るし場の空気を読んで立ち回ることに長けている、少し仕事が雑になるところもあるが、お前にしかできない大きな強みだと俺は思う、お前の明るさと人懐っこさに随分と助けられた、元気でやるんだぞ」

 俺は涙が止まらなかった、先輩は俺の事をよく見ていてくれて、フォローもしてくれて、優しくて最高の人だった。

「山本君息子の部屋を片付けていたら、こんなものも見つかったんだよ」

「これは俳句?あいや短歌でしたっけ?」

「何だか辞世の句みたいだろ?こんなもの残していたなんてあいつ死期を悟っていたのかもな」

 そう言えばこの文章も、別れ際の言葉の様だ。

「だから最近空を眺めてボーッとしていたんでしょうか?」

「そうかも知れないな」

 俺は先輩の手帳を受けとる事にした。

 何だか先輩が遠くで見守ってくれているような、暖かな気持ちにさせてくれるようだった。


「望み通りに事が成るのはそう多くありません、突然の選択を懸命に生きることの連続が大切なこと、しかし人は最良ではいられないもの、最期に遺す言葉に悔いが無いように生き続けるのです」

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