死神さん辞世の句課

ま行

第1話

 私は長いこと生きた、大好きな家族に囲まれてベッドの上で死ぬことができるなんて、最後に幸せをありったけ貰って逝けるとは皆に感謝しなければ。

 しかし口がもう動かない、目線だけが家族を捉えるが感謝は伝わっているかしら。

「皆さま、あなたの事を愛しておりますから、十分に伝わっているでしょう」

「そうだといいのだけれど...あらあなたどちらさま?」

 真っ黒なスーツを着て、黒いネクタイをピシッと締め、髪を後ろに流し整えた、上品なビジネスマンの様な男性がいつの間にか枕元に立っていた。

「突然失礼いたします、枕元に立つのはマナーでして、私死神の言霊と申します」

 名刺入れから取り出した紙を、しっかりとしたお辞儀で渡される、妙なほど丁寧な仕種だ。

「おや?死神と聞いてもあまり驚かれませんね、皆さま様々に反応していただけるのですが」

「私はもう十分生きましたから、お迎えが来ても驚かないわ、皆に出会えてとても楽しかった、寂しい思いをちょっとだけしてくれたらもっと嬉しいわね」

 死神さんはにっこりと笑った。

「素晴らしい生きざまでございます、あなたが愛されている訳がよく分かります」

「そんな大したことじゃないわよ、それより気がついたら宙に浮いてるじゃない!びっくりした」

「はい、この後直ぐに貴女は亡くなられるのですが、その前に私の仕事がございまして、こうして少しの間時を止めさせて頂いた次第でございます」

 よく見ると横たわる私の体から白いもやの様なものが、宙浮かぶ私に繋がっている。

「あの死神さんこれは?」

「そちらは貴女の魂です、あちらのお体では私とのやり取りができませんので」

 何だか難しい話なのねと思い、用件を聞いてみることにした。

「私死神でも辞世の句担当でごさいまして、お亡くなりになられる方々から辞世の句の聞き取りを行っております」

「辞世の句?それってお侍さまが残してた短歌とか俳句みたいなもの?」

「博識でいらっしゃいますね、俳句であったり短歌であったり、死に際して現世に別れを告げるお言葉でございます」

 なるほど、死神さんにも様々な役割があるのだ。

「でも私、歌や俳句を詠む知識は持ち合わせていないわ」

 言葉を短くまとめて意味を持たせ繋げるなんて、手紙を書くとき端までギリギリ詰めてしまう私には無理だと思った。

「いえ問題ありません、私どもが集める辞世の句は厳格な決まりがありません、形に拘ることなく素直な気持ちでお言葉を残してください」

 死神さんはどこからかビジネスバッグを取り出すと、紙とペンを私に差し出した。

「41文字までを目安に考えてみてください、制限が無いのもお気持ちの整理がつきませんから」

 死神さんが指をパチンと鳴らすと、空中に椅子と机が現れる。

「まあ、色んな事ができるのね、すごいわ」

 死神さんは笑みを浮かべ「恐れ入ります」と言うと、私のために椅子を引いてくれた。

「椅子に座り、紙を前に、ペンを握り、これまでの人生を振り返ってみてください、そうすると言葉は自然と貴女から紡がれます」

 その言葉を皮切りに私は私の思い出の中へ深く潜っていった。


 私の両親はあまり褒められた親ではなかった。

 父は酒を飲んでは暴れて、陽気になったり陰気になったりを繰り返す不安定な人だった。

 母はそんな父を疎んで男の友達を作っては、取っ替え引っ替えして遊んでいた。

 父は母が男遊びに行く日は大層荒れて、私は押し入れに隠れて過ごしていた、ある程度酔えば寝てしまうのでそこまで辛いと思っていなかった。

 しかしある時隠れるのが遅れて父が私に手を上げた事があった、母はその時男遊びに出掛けていなかった。

 そうして夫婦は離婚し、私は母と共に家を出た。

 母の実家へ身を寄せて、祖父と祖母の世話になることになり、しばらくすると母はまた男遊びを始めた。

 祖父と祖母はそんな母の事をいつも悪く言い、私に謝罪ばかりしていた、優しい人達だったが母に手を焼く姿だけは情けない気持ちと悔しい気持ちで心の複雑な傷になった。

 そのうち母は男を作って出ていった、私は連れていってもらえなかった。

 祖父と祖母は必死で私を育ててくれて、私は二人のためにできる事は何でもやった、その度に申し訳なさそうにされる事には目を背けて明るく笑って過ごした。

 私は高校を卒業して会社に就職して一人暮らしを始めた、祖父たちからは引き留められはしたが、反対はされなかった、二人とも私の気持ちを分かって尊重してくれたのだと思う。

 あの家に居るとどうしても両親の事がちらついて離れない、母を思い出せば父を思い出し、父を思い出せば母を思い出す、二人は何も悪くないけど息が詰まって仕方がなかった。

 仕事はとても楽しかった、右も左もわからない私は無我夢中に目標をこなし続けた、そのうちに周りからも認められるようになり自信がつくようになった。

 仕事の繋がりで後に旦那になる彼氏ができた、優しすぎるくらい優しい性格で、明るく笑って根っからポジティブな人だ。

 それからすぐに祖父が亡くなり、祖母は後を追うようにその一年後に亡くなった、本当に家族と呼べる二人を喪って一晩中泣いていた私に彼はずっと寄り添っていてくれた。

 私たちは結婚し、子供も三人育てた。

 夫に私の子供時代の事を語り、苦しくても底抜けに明るい家族を作りたいと願った、夫は何も言わず胸を叩いて「任せて」と笑った。

 私たちは無理矢理にでも家族で多くの時間を過ごした、思春期の難しい年頃も反抗期で感情が尖りきっている時も、根気よく対話を止めなかった。

 それは紛うことなく私の我が儘だった、だけど対話もせず酒を飲んで暴力を振るい、向き合うことなく自らの幸福に逃げる親にだけはなりたくなかった。

 夫はそんな私の我が儘を時に支え、時にたしなめて家族の大黒柱になってくれた、子供たちも大人になってそれぞれの道を歩むようになると、それぞれ結婚し私たちには孫が生まれた。

 長い休みには皆で集まり、互いに連絡を取り合い、助け合ったりした。

 私は私が思う仲の良い家族になれたと思う、高齢になって体が悪くなっても、ちっとも不幸に思うことはなかった。

 精一杯生きた。私は私の幸せに囲まれて天寿を全うする。


「いかがですか?」

 その言葉にハッと気がついた。

「死神さん、お待たせして申し訳ないわね、でも中々書けないものね」

 死神さんは首を横に振って笑った。

「とんでもございません、とても素敵な辞世の句を頂きました」

 えっ?と思い紙を見てみると、すでに文字が書き記されていた。

「家族との 幾年月を 思うほど 我が生涯は 誇り高けり」

 いつ書いたかは分からないけど、確かに私の字で書かれている。

「これが私の人生から出た言葉なのね」

「ええ、書き直しも出来ますがどうしますか?」

 私は筆を置いて立ち上がった。

「いえ、これが良いわ、死神さんありがとう」

「こちらこそ、とても素晴らしいものを見させていただきました」

 死神さんは丁寧に紙を折り畳むとビジネスバックにしまった。

「そうだ祖父と祖母、あと私の父と母に会えるかしら」

「これから担当の死神がお迎えにあがりますので、その旨を伝えていただければお会いになれますよ」

「死神さん、もう一度言うけど本当にありがとう、何だかとても晴れやかな気持ちだわ」

「いえ、私は役目を果たしたまでにございます、それより差し出がましいですがご両親には何をお伝えになるのでしょうか」

 私は満面の笑みを浮かべこう言った。

「産んでくれてありがとうって伝えるのよ」

 死神さんは私の手をがっしり握って別れを告げた。

「貴女に会えて良かった、素晴らしい辞世の句をありがとうございました」

 そのまま死神さんは光る砂粒のようになって消えていき、私の意識も薄れていった。


「父ちゃん、婆ちゃんの机の引き出しに何か入ってるよ」

 母の病室を片付けていると、息子が見つけたものを見せてくれた。

 母の字で短歌が書かれている、辞世の句の様なものだろうか、こんなものを残していただなんて少し驚いた。

 父に渡すと、一筋涙を流し、家族を集めて母のあまり語りたがらなかった生涯を教えてくれた。

 母の知らなかった所がすらすらと出てくる、父は普段は少し耄碌してしまったが、思い出だけは色褪せることなくその心に刻まれているのかなと思った。


「人それぞれの人生があり、それらを言い表すには辞世の句はあまりに短すぎます、だからこそ込められた思いは、時に力強く時に悲しく、様々に感情を呼び起こすのでしょう、さて次の方はどんな思いを書き残すのでしょうか」

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