第32話 八幡宮の舞い

「静さま、こちらが住む屋敷になります」


 行信さまが吉野山でわたしを迎えに来てくれたその後の出来事だった。

 行信さまが迎えに来てくれた時、すでに吉野山は鎌倉武士達がわたしたちを探し回っていた。

 行信さまはやむ無しと鎌倉勢にわざと捕まり、わたしは北白川の母上の元へと戻った。


 家には帰ることが出来たが、わたしたちは鎌倉武士達に常に監視されていた。


「鎌倉へですか?」


「はい・・・」


 鎌倉殿から母上と共に鎌倉まで来るようにと言われた。

 行信さまはわたしと母上を鎌倉の安達清常(あだち きよつね)こと新三郎さまの屋敷まで連れて行った。


「鎌倉殿は気づいていないでしょうが、この者は仲間です」


「行信殿のおかげで一介の民に過ぎなかった拙者は鎌倉殿のもとで吏僚(りりょう)にまで上り詰めることが出来ました。お二人は拙者がお守りいたします!」


 新三郎さまは自分の屋敷を我が家と思って、心を休ませるよう言ってくれた。


 わたし達は新三郎さまに甘えることにした。

 床に座り込みお腹をさすった。


 まだお腹は出てきていない。

 けれど、わたしのお腹の中に確かにいる。わたしと義経様との間に出来た新たなる命。


「ココココココ!」


 外で木霊の声がした。

 縁側へと駆け出した。


「行信さま・・・」


「あぁ、静様・・・」


 行信さまが母屋の側に立っている大きな杉の木の前で立っていた。


「久しぶりに、木霊の声を聞きました」


 行信さまは木霊がどこにいるか探していた。わたしも一緒になって探した。


 高いところに伸びている枝の一本一本、丁寧に探した。

 しかし木霊は声を聞かせてくれても姿を見せてはくれなかった。


「木霊を見たことがあるのですか?」


「ずっと幼い頃に母上と一緒に山菜を採りに行ったとき、木の根元に一尺ほどの小さな童男が立っておりました。母がその者は木霊だと教えてくれました」


「あら、木霊に好かれたのですね!」


 わたしは嬉しかった。

 やはり、この人は木霊に好かれるお人なのだ。警戒心の強い木霊は人を観察して悪い人間だと判断すれば、遠くからからかうように声真似くらいしかやならい。


 良い人間と思うとその人に近づき、いい人だと確信したら姿を見せる。


「きっとその木霊は行信さまに好意を抱いたのでしょう」


「ですが、木霊はもう某には姿を見せんでしょう」


 行信さまが無表情で言った。


「何故でございますか?」


「あの頃の某はすでにいないからです・・・」


 わたしはその言葉を否定したかった。

 否定しようと口を開きかけた。

 だがそれよりも早く行信さまが頭を下げると、どこかへと行った。


 1人残ったわたしは杉の木をもう一度見た。


 木霊は消えたのだろうか?

 何も感じない。


「悪い人間ではありませんよ・・・」


*        *        *


「静様、ある御方に会っていただきたいのです。禅師様、笛をよろしくお願いいたします」


 ある日、行信さまがある人に会って欲しいと牛車を用意した。牛車に乗り、その人がいる屋敷へと向かった。


「行信さま、このお屋敷はまさか!?」


「大倉御所です。鎌倉殿は今、出かけているようですが・・・」


 連れて行かれたのは鎌倉殿が住んでいる貴族の屋敷の2倍はあろうかという大倉御所だった。


「我が名は北条政子である!」


 鎌倉殿の妻、御台所(みだいどころ)さまが現れた。

 まるで女帝のようなお方だった。


「あんたが静御前か!?大姫(おおひめ)の心を癒やしてみせい!」


 御台所さまがそう言って連れてきたのは源義仲(みなもとのよしなか)の長男、源義高(みなもとのよしたか)11歳に恋をした鎌倉殿の長女、大姫6歳だった。


「静と申します・・・」


 わたしの挨拶に大姫さまは感情を閉じ込めたまま頷いた。


 理由は知っている。

 この傷ついた幼き心を癒やせというのか?


「わたしの舞いを見ていただけますか?」


 大姫さまは黙って頷いた。


 わたしは立ち上がると小さく一呼吸した。

 自分が出来ることと言えば舞いしかないと思い、舞いを見て貰うことにした。


 母の笛の音が鳴り出すとわたしの舞いが大姫さまの前で披露された。


「春のやよいの あけぼのに・・・」


 大姫さまの恋人はもういなかった。

 木曽冠者が鎌倉殿と和議を結ぶため大姫さまと婚約させた清水冠者(義高)さまは、義経さまが木曽冠者を討ち取ったとき、鎌倉殿が彼を殺害した。


 敵の子供は親共々殺さねばならん。

 6歳の少女の心は父親の争いで潰されてしまった。


 舞いが終わり、大姫さまを見た。


 その無表情の少女の目から大粒の涙が流れ出していた。


「わたくしも・・・舞うことが・・・できますか?」


 大姫さまが口を開いた。


「大姫さまも、誰かのために舞うことができます・・・」


 大姫さまが笑顔になった。


「何と・・・かたじけない!本当にかたじけない!」


 反対に御台所さまから大粒の涙があふれた。


 わたしは大姫さまに舞を教えるために何度も屋敷を訪れるようになった。


「静さま、見て!」


 大姫さまが屋敷の中にある一本の木を指さした。

 それは職人が丁寧に剪定された大きな梅の木だった。


「ほら、木霊がおります!」


「ココココココ!」


 木霊の声がした。

 一本の松の枝から女童の木霊がこちらを見ていた。


「木霊さま、こちらは静さまです!舞いがとても上手なんですよ!」


 大姫さまが木霊にわたしを紹介してくれた。

 興味を持ったのか木霊が降りてきてこちらに近づいてきた。わたしのお腹を興味深そうに見ていた。


 わたしは女童の前で座った。

 女童はわたしの膝の上に乗るとわたしのお腹に耳を当てた。


 聞いているのだろう。

 お腹の中にいる命の鼓動を。

 大姫さまも女童と一緒にわたしのお腹に耳を当てた。


*        *        *


 桜の季節。

 鶴岡八幡宮にて御台所さまが静御前の舞を見たいと屋敷までわたしを迎えに来ていた。


 大姫さまもいる。

 そして鎌倉殿もいた。


 わたしと義経さまの幸福を潰した男。


 その人の前で舞いを舞う?


「サクヤ・・・」


 どうすればよいか分からぬ時、母上がそばに寄ってくれた。


「母上・・・舞いたくありません!」


「舞うのです!」


 あの時は母の言葉に腹を立てていた。

 だが、確かにわたしには舞うことくらいしか出来ない。。


「・・・はい」


 わたしは腰を上げた。

 外で牛車が待っていた。

 牛車の前に行信さまが立っていた。


 手に薙刀を持っていた。

 天狗党の仲間から弓を持った者が3名。行信さまはその仲間を従えてわたしを守ってくれていた。


「待たせて、申し訳ありません・・・ちょっと怖いものですから」


 行信さまに思わず本音が出てしまった。


「あなた様のその心が好きなのです」


「え?」


 行信さまの言葉が心に響いた。


「判官様がですよ・・・」


 行信さまが耳をかきながら言った。


「静様には強い味方がついております。鎌倉殿に少しばかりの、怒りを投げつけてやりましょう」


「・・・守ってくれるのですね」


「は・・・ははっ!?」


 腹が決まった。

 牛車に乗り八幡宮へと向かった。


*        *        *


「その薙刀を貸していただけませんか?」


 静御前になり行信さまが持っていた薙刀を借りて社の前にある舞殿に立った。


 目の前に鎌倉殿がいる。

 義経さまとは腹違いのせいか似ていなかった。

 少年のように潤いがあった義経さまの眼とは違い、鎌倉殿のその乾いた眼は大人になりきっていた。


 どの神も憑依しない。

 自分だけの力だけで舞うのだ。


 息を整え、舞いを始めた。


「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき・・・・」


 だがいつもの舞は舞わない。

 薙刀を持って鎌倉殿にその刃を見せつけ、鎌倉殿の眼前で義経さまを慕う歌を歌った。

 鎌倉殿の表情が変わっていく。


 最後にわたしは薙刀を上に振り上げると鎌倉殿を睨み付けて振り下ろした。


「義経を守るために、ワシと勝負する気か!」


 鎌倉殿が太刀を握りしめた。

 御台所さまがその手を止めた。


「静殿は、大姫の心を癒やしてくれた恩人というのを忘れよったか?静殿を斬るのならばあたしがあんたを斬る!」


「まっ政子、この者を守る気か!?」


 鎌倉殿が信じられない表情をした。その鎌倉殿に御台所さまはさらなる迫力で迫った。


「女の多少の怒りがどうしたのじゃ!?そんなもんで太刀を抜くような腑抜けが武士の棟梁やっておるんかー!そんならば政子が代わりに棟梁・・・いいや将軍になったるわー!」


 御台所さまは従者から太刀を奪い取るとわたしを守るように鎌倉殿の前に立った。

 御台所の迫力に鎌倉殿はやむなく太刀から手を離した。


 少しばかりの仕返しが出来た。

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