第33話 守れなかった命

「静御前を守りし者が参られたか!」


 次の日、行信は鎌倉殿が留守の間に御台所に会いに行った。


「あんたはうちの旦那が呼ぶより早く、この政子にこっそり会いに来て、大姫の心を癒やす代わりにこの政子に静御前を守らせた・・・やりおる」


 行信はサクヤを鎌倉殿から守るに当たって強力な仲間が必要だと判断した。

 その仲間こそが鎌倉殿の妻である御台所を味方につけることだった。


「あんた、義経に似とるというのは真か!」


 母屋の前で頭を下げる行信に御台所自ら縁側を降りて、行信の肩を強く叩いた。


「いっいえ、それほどでは!?」


 行信は後ずさりした。


「はっはっはっ、して・・・用件は礼だけかえ?」


「静さまの、赤児を守っていただきとうございます・・・」


 御台所の表情が変わった。

 御台所は縁側に座り考え込んだ。


「あんた、鬼神を見たことはあるのか?」


「・・・幼い頃に・・・」


「夫が子供を殺したがっておるのは間違いない」


 権力者は宿敵の息子を殺すのは、この時代の慣わしだ。

 かつて頼朝と義経も平清盛に殺されそうになった。だが2人は殺されること無く、今日まで生きて平家を滅ぼした。


 頼朝は運が良い。そして息子を生かすとどうなるか身を以て知っている。


「政子は大姫の心を救ってくれた静御前に深く感謝しておる。じゃが、政子が頼朝を止めても、どうせ頼朝は奴に頼むわ!」


 御台所が悔しそうに床を叩いた。


「あんたの、願いは政子も叶えたい。じゃが、あやつが動けば・・・人間は阻止できんわ」


*         *         *


「あっ、今、お腹を蹴ったわ」


 7月、臨月の時期に入った。お腹は大きくなり、いつ生まれてもおかしくない状況になった。


「ただいま戻りました・・・」


 行信さまが帰ってきた。

 その表情は暗かった。


「この子のことですか?」


 行信さまはだまって頷いた。壁に掛かっている新三郎さまの薙刀を見た。


「この子はわたしの子です。故に死んでも守ります!」


「奴が来ます・・・」


「そ・・・それが・・・なんっ!」


 最後まで言おうとしたが言葉が詰まった。

 わたしはこの時はまだ鬼神を見たことがなかった。

 それでも行信さまが怖がっている様子を見るとよほど恐ろしいものだと感じた。


「某に案があります・・・」


 行信さまの案はこうだった。鎌倉殿は何としてでも赤児を殺すために、鬼神に頼ることが十分考えられる。


 奴には出てきて欲しくない。


「それならば、こちらから赤児を殺す・・・と騙してしまう」


「それでこの子はどうするのですか?」


「近いうちにこの鎌倉を去って都に戻りましょう。それまでの間、赤児をある者に預かって貰うのです」


「それは誰です?」


「我が師匠!鬼神を欺くには天狗の力を借りて守るのです!奴の力には、天狗の力を持って抗するしかありません・・・」


 わたしはその案を飲んだ。あの鬼神相手にわたしの力などたかが知れている。

 行信さまはすぐに新三郎さまに策を伝えた。


「母上・・・」


「どうしたのです?」


「わたしは、鬼神と戦えるのでしょうか?」


 この子を何としてでも守りたかった。

 わたしは母上にも助けを求めた。


 母上は腹をくくるようにしてわたしに言った。


「静・・・あなたと赤ん坊を周りの人たちが守ってくれています。あなたは独りでは戦ってはいない・・・まずは行信さまを信じることです」


 素人のわたしより経験豊富な行信さまの策と天狗の力を信じることにした。


*        *        *


「新三郎殿、鎌倉殿に情報はもれておらぬな?」


 行信が鬼神と同じくらいに警戒しているのが、この策が鎌倉殿に漏れていないかどうかだった。

 もし、この館に鎌倉殿の間者がいれば策がばれてしまう。


「ご安心下さい。何一つもれておりません」


「よし!」


「行信殿~」


「来たか!さすが無学殿。よくぞ危険をかいくぐって、ここまで来られた!」


 無学がやって来た。


「へっへっへ、バカの得意技でしてね・・・バカは死なないんですよ~」


 自分は無敵だと言わんばかりの自信を持って無学は自慢した。

 行信は「頼もしい」と一緒に笑った。


「これが偽の赤児です・・・」


 無学がおくるみに包んだ”偽物”を行信に渡した。


「・・・本物ではないのか?」


 無学が持ってきた偽の赤児を見て驚いた。柔らかさ、温もり、呼吸する音まで、どう見ても本物の赤児に思えた。


「いえ鞍馬天狗様いわく、これは”偽の命”だそうです」


 どうやって作るのかは分からないが、天狗は秘術によって妖怪でもだませるほどの偽物を作ることができるらしい。


「これが偽物だと・・・」


*        *        *


「あぁ!」


 戌の刻くらい。

 陣痛が走り、出産が始まった。


 わたしは無限の刻とも思える激痛に耐えた。


「オギャァァァァァー」


 すっかり朝日が昇りきったとき、赤児が生まれた。


 男の子だった。

 それを見届けた無学さまはあるものを大事そうに抱えて鞍馬山へと走り出した。


「新三郎さま、お願いします・・・」


 母上が温もりを感じる孫をおくるみに包んで新三郎さまに託した。

 新三郎さまは床板を外した。

 軒下に穴が見えた。

 

 抜け道だった。

 新三郎さまは赤児を抱えて抜け道を走っていった。


 無学さまは、おくるみの束を抱えて走っただけだった。本物は新三郎さまが高徳院で鞍馬天狗の遣いに渡す手はずになっていた。


「鎌倉殿よりの使者が参りました!」


 すぐに鎌倉殿からの使者がやって来た。

 鎌倉殿も動きは素早かった。


「鎌倉殿の命である。その子をこちらに渡していただきたい!」


「・・・はい」


 わたしは天狗が作ったという偽物を使者に渡した。


「うむ、では!」


 使者は全く疑いもせず偽物を腕の中に抱くと屋敷を後にした。


 わたしは疲れが出たのか床に寝そべった。


「行信さま。これであの鬼神をだませるのでしょか?」


「某は新三郎殿を信じております。静様も仲間を信じてください!」


 行信さまが信じて欲しいと言っている。

 わたしはこの人達を信じる。


 だが、行信さまの仲間が大慌てでやって来て、恐るべき事を告げた。


「新三郎は由比ヶ浜に向かったとの報が!」


「何故、由比ヶ浜だ?高徳院だろ!?」


「まったく分かりません」


 恐怖の空気が流れ出した。

 その空気に皆、凍り付いた。


「まさか!?」


 行信さまは屋敷を飛び出した。

 わたしに恐怖と共に屋敷に残された。


「わたしの子・・・」


*        *        *


「新三郎!」


 行信が由比ヶ浜まで行くと、波打ち際で新三郎が座り込んでいた。


「貴様、裏切ったのか!?静様の子供を海へ流したのかー!?」


 行信は新三郎を砂浜に打ち付けた。海の水が顔にかかりながら新三郎は告白した。


「あなたたちが・・・来る前に・・・鬼神が、拙者の前に現れた!逆らえば・・・拙者も、妻も・・・子も殺されるんだ!」


 行信は顔を震わせながら新三郎の襟を握りしめ聞いていた。


「奴の策にはまっていたのか?初めから!?」


 行信に悔しさがこみ上げてくる。必死に考え御台所を味方に付けたのに、奴は先手を打っていた。


 神斬を抜いた。


「静様も殺せと言ってきたのか?」


「あなたと静御前は・・・生かせと言っていた・・・」


*        *        *


 夕刻、行信さまが屋敷に戻ってきた。


 赤児を抱いていない。


「わたしの子は?」

 

 わたしはわたしを見ようとしない行信さまに身体を震わせながら訴えた。

 行信さまは、黙ったまま地面に頭を付けて必死に詫びた。


「わたしの子供を返してください!」


 9月16日、わたしと母上は京へと帰ることが許された。そして御台所さまはあるお方を付けてくれた。


「御台所様に、お二人をお守りするよう命じられました・・・」


 この後、行信さまは光へと名前を変えた。


*        *        *


「わたしは我が子を守れなかった・・・」


「サクヤさま、ククリ殿、食事の用意が出来ました」


 外で光さまの声がしたが、返事が出来なかった。あの時、光さまに八つ当たりをするつもりはなかった。

 だが、わたしは光さまに我が子を返して欲しいと何度も懇願した。


「すぐに参る!」


 代わりにククリさまが返事をした。


「その悔しさは、わらわにも痛いほど分かる・・・」


 ククリはサクヤの涙を拭いた。

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