第31話 へその緒

「ふ~、あれが社ですか?」


「悪くない社じゃの」


 わたしたちは下野国(しもつけのくに)の、明神山(みょうじんやま)の山頂にある宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)に来た。


 足が棒のようになりながら、ここまでたどり着いた。


「コココココ!」


 わたしの隣の大木で音がした。

 見ると大木の上に1尺(30センチ)ほどの童女(どうじょ)と童男(おぐな)が座ってこちらを興味深そうに眺めていた。


「木霊か・・・木霊は好きな者にしか話しかけぬ。そなた、木霊に好かれておるのか」


 ククリさまも木霊を見ていた。

 ククリさまが手を振った。

 木霊も笑顔で手を振った。


 人間が森の中で大声を出すとどこからか同じ声が帰ってくる。木霊という妖怪がいたずらで真似をしている。

 木霊は人間に姿を見せない。見せるときは、木霊がその人を好きになる時だという。


「良い木に宿っていますね」


 二人の木霊の笑顔を見ているとわたしも嬉しくなって、手を振った。


「ククリ!!!」


「きゃぁ!」


「なっなんじゃ?」


 突然、離れた所にいたホロさまの大声にわたしとククリさまは心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 木霊はどこかへ隠れてしまった。


「ご飯食べよう~」


「あぁ・・・ご飯ね・・・そうじゃの・・・」


 狼のように大声を出したかと思うと、今度は木霊に負けないくらいの笑顔になった。


「ホロさまは木霊と・・・仲良くなれるでしょうか?」


 ここまで来る途中、10人の山賊がわたし達を襲った。狙いは金品とわたしとククリさまだった。


 10人の山賊をホロさまは一瞬にして倒した。

 そしてその連中は、古狸達が人間に化けていた。


 古狸達は10匹いれば、人狼にも勝てると思ったが、ホロさまの大声と怒りに恐れおののき、逃げていった。


 あれはわたしも怖かった。


「昔、1人の木霊がホロに近づいたことがある・・・」


「あっそうなんですか!?」


「恐る恐る近づいて、ホロの裾に触れおった・・・」


「その時、ホロさまはどうなされたのですか?」


「木霊の大好きなドングリをあげおった。狼というのは凶暴に見えて、優しいからの・・・」


 ククリさまの話を聞きながら、ホロさまを見た。


「あ!?」


 社の屋根の右端に1人の木霊がホロさまと光さまを見ていた。光さまが気配を察したのかその屋根に眼を向けた。

 それと同時に木霊は隠れてしまった。


「よし、ここで良いだろう!・・・しかしお前の仲間ってのは大したもんだな。鍋が欲しいと言えば鍋を持ってくる」


「我ら天狗党は日本中に散らばっておる。それを使えば大抵のものはすぐに手に入る」


 光のもとに、いちが定期的に報告に飛んでくる。

 光はいちに鍋を持ってきて欲しいと言った。

 するといちは鍋を持ってきてわたした。


 そして食料となる獲物はホロが仕留める、山菜は山に豊富にある。光達は食事には困ることはなかった。


 ホロは光が背負っていた薪と鍋を奪い取ると途中山の中で仕留め、解体したイノシシの肉を境内の真ん中で焼こうとした。


「なっ何をしているのですか!?」


 ホロが境内の真ん中で薪を組もうとしたら、神主が慌てて止めに入った。


「何だとこら!俺がククリにおいしいイノシシの肉を食べさせようってのに邪魔すんのか、てめぇ!」


「ぎゃぁああああ!」


 ホロは神主の襟を掴んだ。


「ホロ落ち着け!」


 側にいた光が慌てて止めに入った。それでもホロは神主の襟から手を離さなかった。


「・・・はぁ・・・あれじゃ、あれを何とかして欲しい」


 ククリが止めに入ると、ホロは神主から手を手を離した。

 ホロは境内の側にある安産の神、女体宮のところで石を集めてかまどを作って焼こうとし始めた。


「その前に身体を清めたいのじゃ。のぅサクヤ殿」


「はい・・・」


 道中色々な事が起きたせいでわたし達は疲れていた。たまった疲れを綺麗に洗い流して心をさっぱりしたかった。


「神主どの!」


 光は神主を探した。

 宿房から神主が現れた。


「湯堂はございますか?」


 寺には病を退けて福を招来するために湯堂や浴堂があったりする。

 光は神社にないか神主に尋ねてみた。


「いえ、ありません・・・手水舎(てみずや)しか・・・」


 やはり神社には無かった。


「は~仕方ない・・・諦めよう」


「・・・そうですね」


 身体を洗いたかったサクヤとククリだったが、諦めようとした。


「障子を外せ!あと戸板も!」


「「えっ?」」


 突然、ホロが意味不明な事を言った。


*        *        *


 バッシャァァァン!


「あ~冷たい!」


 ホロの考えはこうだった。

 手水舎で二人に小袖だけになっていただいて、桶で水をかぶって貰うことにした。

 周りを障子や戸板で囲ってあるので外からは見えない。


「ククリ、川で身体を拭くのとここで禊ぎをやるのはどちらが気持ちいいー?」


「バカなことを聞くでない!」


 布の向こうからホロさまの笑い声が聞こえた。


 わたし達は手拭で身体を拭くため、宿坊に入った。

 その間、光とホロは途中の村で手に入れたゴボウ、森で手に入れた椎茸、ホロが仕留めたイノシシを鍋で煮ていた。


「ククリさま、お背中を」


「あ、かたじけない」


 わたしはククリさまの背中を拭いた。ククリさまの身体は引き締まっていた。

 光さまやホロさまほどではないが腹にはうっすらと割れ目が見え、背中の肩甲骨の筋肉も引き締まっていた。


「では、次はわらわが・・・・」


 今度はククリがサクヤの背中を拭いた。


「ホロのばか。身体を洗いたいと言ったら、あんなところで禊ぎをやらされるとは思わなかったわ」


 ククリさまが、ホロさまの突然の思いつきに怒っていた。わたしとククリさまは最初は「それならばけっこう」と断った。

 

 だが、ホロさまは神主に巫女達を集めると巫女達に障子や戸板で周りを隠して強引にわたし達に禊ぎをやらした。

 巫女達はわたしたちが宿坊に入るときも、ついてわたしたちを隠してくれた。


「でも、ホロさまはククリさまを大切に思っておいでですわ。多少荒いところはありますが、ちゃんとククリさまを気遣ってますわ」


 わたしがそう言うとククリさまの口角が緩んだ。


「わらわの初恋の男は年上で故郷の村で一番優しかった。釣りが得意でな。鮎を釣ったりしたときなどは美味しい鮎の焼き方を教えてくれた」


「あら、素晴らしい御方ですね!」


 昔に返るようにククリは、まだ幼さが残っていた頃の自分の恋物語をサクヤに聞かせた。


「ホロは奥州に古くから住んでいた民の末裔でな、出会った時は狼のようじゃった。まぁ今ではその狼になってしまったのじゃが。理想の男と自分の生き方を守る2人の男がおった・・・と言いたいが!」


「いたっ!」


 突然ククリさまの背中を拭く力が強くなった。


「初恋の者はわらわを裏切りよった!ろくでもない男にわらわの身体はやれんわ!」


「っ・・・それで・・・ホロさまを選んだ?」


 話の続きが気になり、そのまま聞きたかったので痛みに耐えながら聞いた。


「まぁそういうことじゃ・・・正直言うとな、初恋の者は救えなかったので見捨てた」


 強い力が止まった。

 もしかしてククリさまは辛い過去を呼び覚ましてしまったのだろうか?


「ホロは良い夫じゃ・・・わらわがしばし、ホロと別れたいと言ったとき、嫌な顔をせずわらわを自由にしてくれた。ホロがもう一度奴と戦うと聞いたので戻ってきた・・・」


 サクヤさまの声が哀しそうだ。

 話をここで終わらせるべきか。


 だが、わたしは一緒に旅をしているククリさまにあることを聞かずにはいられなかった。


「子供はどうなされたのですか?」


「死んだ、わらわの腹の中で・・・」


「・・・そんな・・・」


 とても嫌な事を聞いてしまった。


「本当じゃ・・・わらわの血を引いたあの子をわらわは育てることができるか、もし鬼神があの子の前に現れたらと思ったら心配で耐えられなかった・・・そして流してしもうた」


 ククリさまがうつむいて、胸の内の悲しみをわたしに打ち明けている。

 女武者のククリさまも辛い悲しみを背負っている。


「申し訳ありません。辛いことを聞いてしまって」


 わたしは謝った。

 ここで話を終わらせようと思った。だが、ククリさまは最後まで話した。


「あの時、わらわはホロに思いっきり八つ当たりしてしもうた。ホロは何も悪くないのに・・・それでもホロは嫌な顔をせずにわらわの悪口を最後まで聞いてくれた。そのうちわらわは泣き出してしもうた・・・ホロは抱きしめてくれた」


 ククリさまが勇ましい瞳に涙をためていた。


「・・・優しいですねホロさまは・・・」


 話は終わった。

 小袖を着始めた。


 すぅ・・・。


 ククリさまがわたしの髪を撫でた。


「わらわで良ければ、そなたの心の痛みを教えてくれぬか?」


「・・・はい・・・」


 わたしは衣服から、母から受け取った紙に包まれたものを取り出した。

 中には赤児のへその緒があった。

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