第百十七話:速水学人が壊れた日

 速水学人がくとという人間について話さなくてはならない。

 

 生まれはごく普通の家庭。経済面でいえば平均より少し上くらいである。

 父親は大手の雑誌ライターで、母親は専業主婦。

 速水リュウトという5歳上の兄が一人いる。


 一見すればどこにでもある普通の家族。

 しかし、実態は普通とはかけ離れたものであった。


 速水学人が初めてカードに触れたのは4歳の時であった。

 この時既に両親は、ファイターとしての英才教育を施し初めていたのだ。

 ただし……本当にファイターとして躍進させる気など、両親には最初からなかったのだが。


 サモンのルールを覚え、ファイトができるようになった頃。

 速水学人に対する、両親の態度が変化し始めた。

 これまでは普通にあった「褒められる」という行為が消え去った。

 事あるごとに、兄とファイトをさせられるようになった。

 そして自分がファイトに負ければ、兄は両親からの愛を受け、学人は両親から激しい叱責を受ける。

 だがそれは始まりに過ぎない。


 両親からの叱責はファイト以外にも広がってきた。

 小テストで満点を取れなかった。叱責。

 運動会の徒競走で一位ではなかった。体罰。

 通知表の成績が当時の兄に劣っていた。絶食。


 とにかく兄と比べられる。

 兄だけが両親から愛される。

 そして兄は、そんな学人を都合のいい人形と認識していた。


 ファイトをするなら、自分だけ高レアリティのカード使う。

 弟を蹂躙できるなら、相手のデッキに不要なカードを入れる。

 弟の罪を庇う兄を演出できるなら、他人のカードだって躊躇いなく窃盗する。

 そしてこれら全てを知った上で、両親はリュウトだけを愛した。


 元々、速水リュウトにはサモンの才能があった。

 平凡なファイターであった両親から生まれた、奇跡の子ども。

 そんな息子の才能を伸ばすという名目で、両親は手段を選ばなくなっていたのだ。

 速水学人という弟が生まれたのも、あくまでリュウトの相手をさせて、踏み台にするため。

 最初から、両親は学人を愛してなどいなかったのだ。


 それでも、速水学人という少年は前向きに努力を続けた。

 学校の成績を伸ばせるなら、夜遅くまで教科書に目を通す。

 目が悪くなろうとも、本を読んで知識をつける。

 人に好かれる人間が褒められるなら、クラスでもリーダーシップをとれるようになろう。

 全ては両親から褒められたい、かつて向けてもらえた愛情が欲しい。ただそのためであった。


 天川ツルギと出会ったのも、小学生の頃であった。

 この頃はまだ学人も、ツルギのことは数あるクラスメイトの一人としか認識はしてない。

 だがツルギは、速水学人という人間には薄っすらと、表現し難い違和感を覚えていた。


 学校という表面上では、速水学人は優等生。

 兄のリュウトに冤罪をかけられても、必死に努力をして周囲の信頼を得ようとする子ども。

 だが同時期、速水リュウトは数多くの公式大会で成績を残すようになっていた。

 故に周囲が抱く、速水学人の評価変化していく。

 素晴らしい兄に追いつけない、凡才の二番手と。


 速水学人は努力する。

 兄に追いつく。兄を追い越す。

 そして両親に褒められ、普通の家族として接してもらう。

 その一心で、努力を続けた。



 そして……速水学人が10歳。小学四年生の時の出来事だ。


 地元で開催された小学生以下を対象とした公式大会で、学人は見事に優勝をしたのだ。

 この大会は兄であるリュウトも優勝できなかったもの。

 学人はついに成し遂げたと確信をした。


 無邪気な様子で、彼は帰路を駆け抜ける。

 ようやく褒めてもらえる。

 ようやく他の子達と同じ、普通の家族になれる。

 速水学人という少年は、それを信じて疑っていなかった。


「ただいま!」


 そう叫んで、家の玄関を開けた学人。

 だがそこに待っていたのは両親でも兄でもない。

 あったものは、何もない家の中であった。


「……え?」


 文字通り、何もなかった。

 家財道具も、兄が獲得したトロフィーや賞状も、何もかもがなくなっていた。

 テーブルも、冷蔵庫もない。

 食器もなく、電気もつかない。


 あるものは床に乱雑に置かれていた一冊の通帳。

 そして、壊されたトロフィーや破られた賞状が捨てられたゴミ袋が一つだけ。

 ゴミ袋の中身は全て、学人が獲得してきたものであった。


 書き置きなんてものは無い。

 だが後で聞いた話によると、兄のリュウトがプロチームにスカウトされたので、両親は本拠地の近くに引越したのだ。

 もちろん、学人を置き去りにして。


 そんな事情など、10歳の子どもには察する事はできない。

 だが少なくとも、この時の学人は……自分が両親に捨てられたという事だけは理解してしまった。


「――――――――――――――――!!!」


 言葉を成さない叫びが、空き家の中で反響する。

 泣いても誰も慰めてはくれない。

 優しい言葉をかける者もいない。


 この日、速水学人という少年の心は一度……壊れた。



 後に、近所の住民が通報した事によって学人は保護された。

 そして彼を迎えにきたのは両親ではなく……物心がついてから初めて会った祖父母であった。


 祖父母は必死に学人を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と何度も泣きながら謝罪した。

 しかし……速水学人という少年の心が癒える事は決してない。

 求めたものは、既に失われていたのだ。


 そして月日が経ち、空っぽになった家に祖父母が引っ越して来て、速水は転校することもなく学校に通い続けた。

 元々教師をしていた祖父母のおかげか、ズタズタだった学人も徐々に元の状態へと回復していった。

 これで何とか終わる……という事はない。

 表面上は立ち直った速水学人……しかしその心は決して元には戻っていない。


 討つべき相手は決して変わらず。

 一秒たりとも、その思いに変化はなく。


 速水学人という少年の最深部で燃えるものは、力への欲求。

 そして、速水リュウトへの勝利であった。

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