第八章2
「シェア?」
「どういうこと?」
井ノ瀬さんと詩衣奈の質問に羽伊奈は嬉しそうに手を合わせた。
「この男を、わたくしが皆さんに貸し与える、と言っているのですわ」
「あんた、何言ってんの?」
正気か疑うような声で詩衣奈が問い質す。
「良子さんはまだ椎那さんと別れていないのでしょう?」
その言葉を無視し、弾んでいるかのような調子で羽伊奈は良子に訊いた。少し演技臭く見える。
「そう言ってるでしょ」
「わたくしも椎那さんとは交際中。絵里さんも色んなことがあったようですけれど明確に別れを口にしたわけではないのでしょう?」
「そう……うん。そう!」
確かに絵里とは自然消滅で終わっている。
良子だって似たようなものだ。消滅したのは交際じゃなく、悪魔でも友人関係だが。良子がどう思っているのかは別として。
どっちにしろだ。今更やり直すも何もない。
「そして、未無生さんも椎那さんとの関係をこれまで通りに続けたいと願っていると」
井ノ瀬さんが一切の躊躇もなく頷いた。
詩衣奈が片眉を上げ、胡散臭気に羽伊奈を見やる。俺は未だ羽伊奈の言ってる意味がいまいち伝わってきていない。何言ってんだ、こいつ。
「だったらみんなで付き合えば良いではないですの。つまるところハーレムですわね」
一同、ぽかんと口を半開きにした。
そりゃそうだ。改めて思う。正気か?
「あんた自分で何言ってるか分かってんの?」
「もちろんですわ。詩衣奈さんも身に沁みて分かっているでしょう? どうせ、この男の口を塞いだところで、わたくしたちのような例は今後も増えていくんです。この学校という閉鎖空間で、三年間、全く口を利かずに過ごすなんてこと事態、土台無理な話ですし……ましてやこの男が、ですわ」
「そりゃ、そうかもしれないけど……」
「ならばそういうこともある、と始めから受け入れれば良いだけの話ですわ。役割としてはそうですわね……。相互監視、と言ったところでしょうか?
椎那さん、またはここにいる誰かが、不用意なことを口にしないように。中学時代の時のように誰かが彼に攻撃を加えないように、守るのです。守り、さらにお互いを監視し合う――ようするに彼を中心としたそういうサークルみたいなものを作ろうと言っているのです。そして、これはわたくしのただの推測ですけれど――」
と、一瞬俺に視線をやってから、詩衣奈に向かって羽伊奈は言う。
「これまでは、その役割を詩衣奈さん、あなたが担っていたのではないかしら? 私立の難関校に二人で入学。それは良いでしょう。しかし双子揃って同じクラスに所属というのは妙ですわ。前者はともかくとして、後者は彼の問題、病気を頭に入れると……」
つと、顎に指を立てて、考えるように言葉を紡ぐ。
「その江藤先生――聞けば一年生の学年主任らしいじゃないですか。その先生にも元々問題視されていたようですし、入学に際してそういう話し合いでもあったのではないかしら? あなたと、それからご両親と。監視じゃありませんが問題を起こさないようにあなたが常に側にいるように、とかなんとか」
「それは……」
詩衣奈が口を噤む。
そうだったのか? それは俺も知らない情報だ。
ただの当てずっぽうにも思えるが、だが、答えに逡巡しているような詩衣奈の態度はもうそれが回答だと告白しているように思えてならなかった。
それがどうというわけではないが……。胃の辺りが重くなる。詩衣奈にしなくてもいい負担を掛けさせているようで。停学の件や、今現在のこの状況だってある。
苦労のさせっぱなし。これじゃあ介護だ。今後もそんな負担を掛けていくのだと思うと、その役目を交代でやってやると言う羽伊奈の提案は一瞬魅力的にも映る。
が……、こんなことを思ってしまった自分自身に嫌気も差した。
いや、だが……、俺はもうけっこう頑張っているのに……。ああ、そんなことはない。まだまだやれるはず。いや……。
「あたしはそれでも構わない。つか、始めっからあんたのじゃないし」
「わ、わたしは……よくわかんないよ……そんなの変だよ。絶対おかしい」
「ほら、絵里の反応が普通――」
「でも……またお喋りするくらいなら……」
「……井ノ瀬さんは?」
「椎那くんが良いならそれでいいよ」
考えに耽っていた俺を置いて話が進行していた。だめだ。そんなわけのわからないことさせられない。させたくない。止めなければ――。
そう思い、俺はマスクに手を伸ばす。
「何言ってるのですか」
羽伊奈が被せるように遮った。
「この男に拒否権などありません。これだけの女を泣かせたんですもの。自業自得ですわ。己の病気にかこつけて、絵里さんや良子さんを散々放置してきたのでしょう? 自然消滅を狙ったようですが、そうは参りませんわ。彼女たちをここまで来させ、彼女たちにここまで言わせた以上、最後まで責任取りなさいな。彼女たちの納得のいくまでね……。
まあ――見る限り、多少頭のネジが緩んだ子たちばかりですけれど」
言いながら羽伊奈は俺の方に近寄って来る。
何をするのかと思わず身を固くするが、先程投げつけた扇子を俺のポケットから抜き取っただけだった。持った扇子をバッと広げ、口元を覆い隠した。隠していても、目で分かる。
嘲笑っていることが。
俺はここに来て本当に心配になってきた。どうしてそんなことをするんだろう? 羽伊奈の気持ちはどこにあるのだろう? こいつは俺のなんなんだろう? 彼女ではないのだろうか? 本当に俺のことが好きなのだろうか? 好きだったらどうしてそんな提案をするのだろう? 一体全体なんのために?
湧いた疑問は、口を覆うマスクのせいで言葉には出来ない。
なんでもないことのはずなのに、俺にとってそれは狂おしいほどの強烈なストレスになる。
涎が、口の端から垂れた。いつものこと。いつもの動作。さっと手で拭う。
そんな俺の様子を面白おかしそうに眺め、羽伊奈はやがて口を開いた。
「わたくし、思うのですわ。あなたと付き合うということは、こう言った問題が常に付き纏う。ならば、飼い慣らしていかないといけません」
飼い慣らす?
人を安心させる微笑みで。わざわざ俺に顔を近づけて。扇子越しに羽伊奈は喋る。
マスクと扇子が無ければきっと唇と唇が触れ合っていたかもしれない距離。けれど、決して触れ合えない距離。
羽伊奈は続けた。
「わたくし、思うのですけれど、あなたが問題に常に悩まされているのは、そのご病気のせいもあるでしょうが、あなたの人間としての性質の問題も多分にあると思うのです。今回の提案は、決してあなたを甘やかそうだとか、あなたのご病気に付き合って差し上げようだとか、そんな気持ちは毛ほどの先もありませんわ。そこは誤解なきよう――。あまりにも面倒な女ばかり引っ掛けているので、とりあえず、一旦の妥協案を提示したまでですわ。どうせ、言ったところで聞かない子たちばかりでしょうから」
羽伊奈は俺に顔を近づけたまま、周囲に目をさっと走らせた。
視線は再び俺へと固定される。
どうしてだろう。俺はその言葉から逃げてしまいたい。
「どれだけ言葉を重ねたところで、行動に移さなければいい話ですし。今まであなたがそれを散々破ってきたからこその今なのでしょう? 所詮、クズはクズ。医者がどう言おうが、姉がどう言おうが、あなたは、その本質が腐っているのです。それは自覚なさい」
言われなくたって。
睨み返す俺に、羽伊奈は溜息一つ付いて――それから目を伏せた。
出会って初めて見るほんの少しだけ弱気な表情だった。秘めた何かを憂えるような。もちろん扇子越しである。本当にそうなのかは不明だ。が、俺にとってはそう見える。
ああ――、こうしていると、本当に人形みたいだ。
「……しかし、我ながら……、真に遺憾ながら、そんなあなたに惹かれてしまったのも事実です。わたくしにもわたくしの気持ちがわからない……。あなたに惹かれてしまったのか、或いは、あなたのその病に惹かれてしまったのか……。自分自身を見極める意味でも、あなた自身を見極める意味でも、……せいぜい、最後まで付き合って差し上げますわ」
そう告げて、最後の方は、黒い扇子で顔全体を覆って羽伊奈は離れていった。
チャイムが鳴った。
昼休み終了を告げるチャイムではなく、五時間目終了を告げるチャイムが旧校舎まで鳴り響いて聞こえている。
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