第七章2

「さてと。どこから話したものかしら――未無生さん。あなた、今まで不思議には思わなかったんですの?」

「……なにが?」

「こんな、調子に乗った阿呆の男子高校生代表みたいな男が、あなたみたいな奇特な根暗女子高校生代表みたいな女と仲良くなると思います? お昼休みの度に、こんな辺鄙な場所まで通って。正反対じゃないですか。普通、同じお仲間の阿呆の男子高校生たちと遊ぶなりなんなりしません? 何を好き好んであなたみたいな根暗なのと毎日毎日机付き合わせてこんなおままごとの真似事、――って一度でも不思議に思わなかったんですの?」

「それは……」

 言い過ぎですよ? 羽伊奈さん……。井ノ瀬さんも言いたいことあったら否定してもべつに構わないのよ……。

 まあ、奇特は言い過ぎにしても特殊だよな。こんな場所でお昼食ってんだもん。よっぽど友達いないんだろう。人のこと言えないけど、俺は事情があるし。

 変な子ではある。小説のことといい、たった今の良子との喧嘩も。猪突猛進とかいうか……。何かに夢中になると他のこと目が入らず暴走するタチなんじゃないのかな。

 ていうか、詩衣奈は分かるとして、絵里は何の為にいるんだろう?

 良子も今更絵里の存在に気づいたのか、二人して視線を交わした後、お互い気まずそうに逸らしている。

「重ねて――、身も心も清らかで、その上美人で、可愛くって愛嬌もあって、おまけに巨乳であるこのわたくしが、こんな性欲の塊と付き合うだなんてこと、あると思いますか? 釣り合わないでしょう? これっぽっちも」

 おい。

 さっきから、おい。

「はあ。最初、あんたが羽伊奈と付き合うって言い出した時は、遂に頭までどうかしたのかと思っていたけど……ある意味お似合いよね。あんたら」

 詩衣奈が俺に近づいて来て手を差し伸べた。俺はその手を取り起き上がる。はあ……。詩衣奈の声聞いて、やっと一息付いた気分だ。

「あら、詩衣奈さん。聞き捨てなりませんわ」

「聞き捨てときなさい」

 とりあえず俺は椅子に座らされた。

 詩衣奈が俺の背中に周り肩に手を回した。一応、男と女だが双子。俺も詩衣奈もお互いひっついてても何とも思わん。むしろひっついてると落ち着くのだ。俺も詩衣奈もお互いの手を掴んで手持ち無沙汰を紛らわすことにする。いつものこと。いつもこんな感じで癖みたいなこと。そんな俺たちを周囲の人間は何とも言えない表情で見ているが、こんなのは慣れっこである。

 羽伊奈は呆れるように溜息を吐いた後、首を振って話を再開し出した。

「それに――この手の調子の良い男は友人だって多いはず。それなのに、この男と来たら、教室では決まりきった人間以外にほとんど口聞かないんですのよ? 詩衣奈さんくらい? わたくしも一番はじめ話しかけられた時は何かと思いましたわ。存在感無かったですし。それなのに、口を開いてみれば、終始この調子――ま、最初は一応驚きましたけれど、そこまで気にも留めませんでした。ほら、いるでしょう? 自分が打ち解けた人間意外、口数が少なくなる人間。みんな中学から上がって来たばかりですものね。その手の類かと思いましたわ。けれど……、この男を見ていると、どうにも引っ掛かりました」

「引っ掛かった?」

「ええ。思えば、ヒントはそこかしこに散りばめられていました。椎那さんの行動、発言を思い返してみれば、その答えに到達するのは案外簡単でしたわね」

 やはり。最初から感づいていたのか。それか俺が口を滑らしでもしたか。たぶん、後者の方が俺らしいけど。

「どういうこと?」

 井ノ瀬さんが訊いた。


「椎那さんは精神に障害を持っています」


 井ノ瀬さんを見まいと、きつく目を閉じた。向けられる視線には一向に慣れそうにもない。仲良くしていた者の目が一瞬にして変わるのを何度も見てきたから。あんな瞳はもうごめんだ。

「……精神病ってこと?」

 人によっては、障害を病気と認定することに様々な意見があるようだ。障害は病気じゃないとかなんとか。だけど、俺としては、いっそのこと病気って言われた方が落ち着く。割り切れるというか。機能的な不全とされると救いようがないように感じてしまうが、病気だとまだ治る見込みがありそうというか……。まあ、個人の感想。

 最も、俺はそのどっちとも言えないらしいのだが。

「……より正確を付すなら、脳に、でしょうか? まだほとんど認知されていない症状の一つですが、類例は彼以外にもあります。その名称さえまだ割れているそうですわ」

 そう言って肩を竦めてから羽衣奈は言う。

「――仮称〈思考言語化症状(しこうげんごかしょうじょう)〉。文字通り、思考を、思ったことを、考えたことを、僅かでも心に浮かべたことを、好意から嫌悪に至るまで――果ては深層心理までをも――本人の意思に関わらず口を付いてしまうという、非常に厄介で稀な症状です」

 恐れ入る。そこまで辿り付いていたのか。

「凄いわ。羽伊奈さん。全部言い当てられたんだもの。後はもう答え合わせって状態だった」

 詩衣奈がぎゅっと腕の力を強めた。

 それを知られる――それだけで俺たち家族にとっては相応のリスクを伴うものだ。その秘密を、俺が辿ってきた道筋を、今から共有しようとしている。ぶる、と体が震えた。

「思ったことをそのままって……それの」

「それのどこが病で何が問題だと言うのでしょう? わたくしたちは、本音を隠して日々生きている。

 本音、真実を吐露してしまうことはそのままリスクにも繋がるからですわ。一方、あなたのように、自分の本音を上手く言葉にすることのできない人も多くいる。そういう人にとって見れば、彼のような人は、いっそ魅力的に映るはずです。取り立てて騒ぎ立てることもない。

 結局のところ受け取り方の問題だと。何も否定的になるようなものでもない。現に、わたくしは彼のその在り方が魅力的に見えたからこそ、交際を許可した人間ですわ。しかし、彼のそれ――病気と言ってしまいますが――には常に問題が付き纏います。だからこその椎那さんの現状、だからこその今のあなたたち――いいえ、ここにいるわたくしたちのような人が生まれるのです。それをあなたには知っておいて欲しい。心に留めて欲しい。だからこうして話しております。……さあ、順を追って説明しましょうか」

 羽伊奈はその場にいる全員を順繰りに見た。

 交際を許可って……。遥か上から目線っすね、羽伊奈さん。まあ、いいんですけどね。

 俺は思い出す。

『あなたの在り方には好感が持てます。いいですわ。付き合って差しあげましょう』

 始めの段階でほぼ分かってたってことじゃねーか。

 だが、あの前後のことはよく覚えていない……俺が言ったか、ただ俺の様子から当たりを付けたか。どちらだろう。後に、調べ物をしているって言ってたような気もするから後者だろうか。確信はあったけれど、推理していったって感じか。

「始めはADHDかと思いましたわ。解説しておくと、注意欠如、多動症、つまりは衝動を抑えられない障害の一種です。しかし、どうにもしっくり来なかった。

 先程も言ったように、教室では彼、大人しい方ですし。

 近いと感じたのは、統合失調症と躁鬱病ですわ。統合失調症は、妄想に囚われ、一見しただけでは意味不明な会話や行動を取ったり……。躁鬱病はその名の通り躁状態と鬱状態を繰り返す病気ですわね。ハイテンションな躁状態と無気力な鬱状態の繰り返し。どちらも聞いたことくらいはあるのでは? だけど、この二つとも彼の症状はどこか違いましたわね」

 俺が二年前に言われたことそっくりそのまんまだな。精神科医にでもなれるんじゃねえか。そんな簡単なもんでも無いだろうけどさ。

「他に依存症。これは最後まで捨てきれずにいたので、一応後で詩衣奈さんに確認を取りましたが……、やっぱりと言うべきか違いましたわね。ようは喋ることに対して依存に近い症状が出ているといった可能性を検討したのです。検査の結果、喋ることでドーパミン等、神経伝達物質に異常が見られるなどそういったことは無かったようですわ」

 見れば、絵里は目を丸くしている。そういえば、絵里は知らなかったのか。良子は、一応は静かに耳を傾けているようだ。まるで違う方向を向いているけれど。

 肝心の井ノ瀬さんはといえば、必死に理解しようとしているのか、ずっと眉根を寄せたままだ。まあ、日常会話でそう話すことでもないだろう。

 羽伊奈は続ける。

「……それに、こういうありふれた――と言ってしまっていいのか……症状は、どちらかと言えば、上手く喋れなくなる、状況に即した適切な言葉が見つけられなくなる、そういった症状が多く見られます。――あなたも知っての通り、どちらかと言えば、彼の症状は、それと真逆ですわね」

 一周回ってお喋り上手だと褒められて……いないか。

 それ系の検査なら幾つも受けた。だが、そのどれでもなかった。

「話している分には普通。けれど、普通の人だと口にするのも憚るようなことまで、何の躊躇もなく、恥ずかし気もなく平気な顔して言ってくる。会話の流れとしては特段不自然でもない。未無生さんも彼といると経験ありますでしょう? 唐突な下ネタから、聞いててこっちが恥ずかしくなるようなテレビドラマにでも出てきそうな口説き文句。後は……一生懸命書いた小説へのボロクソな批評」

 羽伊奈は意地悪く笑い、井ノ瀬さんが悲しそうな目をして俺を見た。先程の泣いていた時より、どうしてだか悲しげに見えた。

 俺が話したんだってのを改めて他人の口から聞かされてショックなんだろう。

 ちくしょう。睨んでくれた方がまだ良かったぜ。

「自分の言ったことを何とも思ってないようでもあり、しかし時折、言ったことに対して酷く慌てて取り乱したりもする。先に挙げた症状でも見られるような、会話の流れを無視したような発言でもない。精神の乱高下なども見られない……まあ、テンパっている時はありますが……それでも、ある程度はコントロール出来ているように見える。やっぱり、ただの自分に正直な人か……けれど、どうにも違和感は拭えなくて……。

 そんな違和感が確信へと変わったのは、彼の家へ招待されてからですわ」

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