第四話 東京湾・航路哨戒地区

 入り口とは別の扉は、ヘリポートや船着き場へと繋がっている。新宿の自室に戻る瑠璃夜と別れ、船着き場へと通じる地下道を走る。


 ドーム状の金属屋根を持つ船着き場には、中と小二台の水中翼船と小型船舶が停泊していおり、中型の水中翼船の甲板で作業していた哲一が俺たちを迎えた。

「待たせてすまんな」

「いいえー。もうちょいかかるかと思ってましたー」

 時刻は昼の十二時を過ぎている。離島までの距離を考えると最速でも午後九時に到着することになる。


 出発前の最終点検が哲一の手で行われる中、海へと繋がる水路から一台の水上バイクが走り込んできた。

「よかったー。間に合ったー!」

 明るい笑顔を見せて大型の水上バイクを操るのは、茶髪の少年にも見える男。半袖のシャツにチノパン、スニーカーというカジュアルスタイル。〝供給者サプライヤー椿見丘つばみおか司苑しおんは、グローバルな総合商社『金剛寺グループ』の御曹司。母の姓を名乗って出自を隠し新人社員として傘下の企業で働いている。


「どうした、司苑。お前、会社だろ?」

「昼休みだから平気だよ。最新装備を届けに来たんだ」

 司苑の水上バイクには標準積載量を超える大量の荷物が載せられていた。黒い防水バッグが、一つずつメンバーに投げられる。


「それは作戦着一式。うちのグループが誇る最新鋭の研究技術で制作した自信作」

「今までと違う特殊機能があるのか?」

「着けてる整髪料の匂いまで消臭する機能と速乾性。反射光をカットして簡易の光学マスキングと織り込んだ特殊繊維で熱センサーによる感知低下。他にも新機能あるんだけど、実験段階だからデータ取らせてもらうよ。さっき瑠璃夜君には連絡してある」

「そうか。それなら活用してくれ」


 金剛寺グループは、衣類だけでなく、ありとあらゆる物を取り扱う。粉ミルクから戦車まで、金さえ積めば何でも手配してくれる。元々は司苑の父との付き合いだったが、未来のグループ総帥になる息子を鍛えたいと言われて特務二課へと迎え入れた。


 大きな四角い荷物を持って船着き場に上った司苑が、中から箱を取り出した。

「んでもって、これが新作戦闘糧食レーション!」

 プレゼンよろしくA4ファイルサイズの段ボールケースを開けてメンバーに披露すると、中にはスティック状の黒いアルミパウチが並んでいた。


「スティックライスの小豆飯と炊き込みご飯。牛ステーキ、チキンと野菜スープのセットで一食分。ケース横についてる紐を引くと三分で温まる。この小さなアルミ袋にはデンタルフロスピックと歯磨きタブレットが入ってるから、食後にね」


「スティックライスの幅がデカ過ぎないか? もう少し厚みを持たせて細身にした方がいいと思うぞ」

 腕を組み、黙って見ていた光正がぼそりと呟く。


「成程ー。開発チームに伝えるよ。他にも加熱材の使い勝手とか味の改良点あったら、後で教えて欲しいな。ガブリエルさんも幸人君も遠慮しないでいいからね」

「このメニューなら、牛肉好きの瑠璃夜が絶対食べたいって言うと思いますよ」

 司苑から人数分プラスαのレーションの箱を受け取った幸人が笑う。


「そっか。後で瑠璃夜君にも届けとくよ」

 そう言って笑った司苑は、荷物の中から大きな紙袋を取り出した。

「これは昼食分の新作バーガーセット。ちょっと多いかもしれないけど、光正さんとガブリエルさんがいるから大丈夫かな。幸人君も遠慮しなくていいからね」


 先読みし過ぎの傾向は否めないが、衣食に関する細々とした気配りは父親譲りで笑ってしまう。ありがたく受け取って、船に乗り込む。


「いってらっしゃーい」

「おう、いってくる!」

 手を振る司苑に挨拶を返し、船はゆっくりと進みだした。


      ◆


 白く塗られた中型の水中翼船は煌めく海上を進んでいる。東京湾は世界でもトップクラスの混雑海域で、海軍による航路哨戒が行われているから通過するまでは最高速度を出すことはできない。公安特務二課と連絡を入れれば航行の優先を保証されるが、正規の記録を残すことは可能な限り避けたかった。


 AI制御での自動運行貨物船が増え船員は激減しても、事故は起きる。AIの故障による暴走もあれば、小型客船や釣り船、漁船との接触事故。東京湾を安全航行するには、荒れ狂う嵐の中を進むよりも慎重でなければならないと聞いている。


「あー、そこの釣り客のみなさーん、そっち大波来てますよー。避けてー逃げて―」

 楽しそうに呟く哲一の操舵は軽く、船の航路も自由自在。通常の水中翼船はジェットエンジンとウォータジェット推進機を使って海上を飛ぶように進むのが普通だが、哲一は出力を極限まで抑えて通常運行時にも利用している。


 東京湾を出るまでは、船を急かすこともできないと頭では理解している。苛立たしい気持ちを隠して、差し入れのハンバーガーの包み紙を剥がして噛みつく。国産食材にこだわったとネット広告で見ていたが、肉に付けられた下味が濃すぎるのを除けば美味い。

「……結構美味いな」

「そうだな。想像よりは十倍美味い」

「そうですね。美味しいと思います」

 俺の呟きに反応した光正とガブリエルは、その体躯に似合わず、かなりの大食漢の部類に入る。光正とガブリエルはすでに四つ目のバーガーを口にしていた。幸人は二つ目を口にしながら、タブレット端末を操作している。


「幸人、何してるんだ?」

「〝メデューサ〟のプログラムコードの確認です。さっき瑠璃夜から貰ったデータを見てるんですが、誰も手を入れていないのが不思議で。セキュリティシステムは毎日アップグレードするのが普通なんですが、僕が更新を辞めた後、全く確認しないままパッケージとして使ってるみたいです」


「それは手を入れるまでもなく完成されてるって認められてるんじゃないか? 他の施設にも導入されてるだろうな。全部消してスッキリしたいなら、時間限定でフルアクセスの権限コードを発行するぞ」

 幸人は犯罪組織に利用されていた被害者だが、本人は未だ自らの罪として自責の念を持ち続けている。


 俺が持つ衛星を使って全世界のデジタルデータに手を加えることができるライブラリに接続すれば、オリジナルデータを消去することもできる。瑠璃夜には制限なしのフルアクセスの権限コードを与えているが、幸人は受け取ることを拒否していた。

「いいえ。このまま放置しておいた方が便利だと思います。僕が現場に出る理由も作れますから」

「まぁ、それはそうか。同じのが出て来たら出番だなー」

「はい。任せて下さい」

 瑠璃夜との喧嘩の後、脳手術による支配から解放されたのが一年前。まだ自分自身を信じることができないのかもしれない。少々の硬さを残した笑顔を俺は見守ると決めた。


      ◆


「東京湾、航路哨戒区間を抜けますー。最初だけ何かに捕まってて下さいねー」

 哲一の楽しそうな声とほぼ同時に、船体が海上へと浮き上がって速度を上げる。通常の水中翼船の最高速度である時速八十キロを超え、百二十キロで船体が安定した。


「ほーい。後は離島までまっしぐらー」

 ハンバーガーを手渡し、舵に付けたドリンクホルダーにリンゴジュースのボトルを差し込む。

「お疲れ。昼飯だ」

「あざーっす」

 普通なら水中翼船の操舵中に食事をとることはないだろう。三度の飯より運転が好きという哲一は、片手で器用に操舵しながら、片手でハンバーガーにかじりつく。


 哲一が食事をする間に、他の四人で作戦着へと着替えた。

 真新しいタクティカルスーツは黒に近い鉄紺色。軽量ながらもボディアーマーの機能を持たせたオペレーションジャケットの左上腕部には、公安特務二課を示す雷をまとった龍の刺繍ワッペンが付けられている。

 タクティカルスーツの下、脛と腕先は不確定粒子装甲〝IPA《イーパ》〟で覆われている。不確定粒子と名付けられた特殊樹脂で作られた装甲は、衝撃を受けるとダイヤモンド並みの硬度になる。不用意な攻撃は、すべて攻撃者に戻る便利な装備だ。


 今回銃は所持しないが、それぞれが特有の武器をあちこちに忍ばせており、武器を持たないのは『非殺傷制圧』を信条とするガブリエルのみ。

 

「司苑には悪いが、この服の何が変わったのかさっぱりわからん」

 肌触りも着心地も、これまで着用していた作戦着と全く変わらない。

「……そうですね。僕もわかりません」

 苦笑する幸人に、光正とガブリエルが同調して頷く。


 船窓から見える太陽はまだ高く、広大な海の果てはまだ見えない。

「具体的な作戦内容の確認に入るぞ。……と、その前に。ガブリエルと幸人に言っておくことがある」

 ガブリエルには妻がいて、幸人にはまだ恋人の一人もいないが伝えておきたいことがある。光正と哲一には、昔々に宣言済みだ。


「これから先、万が一にも俺か愛する女のどちらか一人を助けるか選ぶ場面がきたら、迷わず女を選べ。俺はお前らか紗季香なら、間違いなく紗季香を選ぶからな。お前らは自力で助かれよ」

 これは俺の本音。他の誰を犠牲にしても、俺は紗季香を選ぶ。この二人は俺を恩人だと思っているが、いざという時には俺を斬り捨てて構わない。

 案の定、二人は理解し難いという戸惑いの表情を浮かべている。


 数秒の空白の後、ガブリエルが口を開いた。

「……理解しました。ならば両方助けます」

「は? だからだなー。どちらか片方っていう前提条件を無視すんなよ」

「条件ごと叩き潰せば良いのです」

 普段の穏和な顔とは全くことなる自信に満ちた表情は、異世界の騎士の大胆不敵な笑みを伴っている。


「竹矢、お前は素直におとなしく助けられとけよ。俺は真っ先に逃げるからな」

 俺の背を叩きながら笑う光正に、俺は肩をすくめるしかなかった。

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Beasts & Flowers ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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