第三話 時計塔・執務室

 時計塔の執務室へ入るには三枚の扉を開く必要がある。無機質な金属の扉の前で立ち止まり、右手をかざすと光学スキャンが始まる。実際はコンマ一秒以下で行われる作業を可視化していることには、特に意味はないらしい。

『コードネーム〝魔術師マジシャン〟・〝外科医サージャン〟データ照合完了。第一壁解除』

 機械合成音の後、一枚目の扉が開き二枚目の扉まで五メートルの廊下を歩く。


「面倒だな。一度で三枚開けられないのか?」

「前にお前を追いかけて突入してきた馬鹿がいただろ? 扉を閉じてから次の扉を開く。でないと危なくてな」

 光正を彼女の浮気相手と勘違いした男が、非常階段等を使ってこの廊下までたどり着いたことがあった。二枚目の扉の中へ侵入された場合はAIの自動判断で殺処分対象になるので、侵入者にとって危険極まりない。


 商業施設内から迷い込む客は度々いるが、その都度厳重に対応していては、何の施設があるのかと逆に興味を引いてしまうことになりかねない。扉の前までたどり着いてもメンバーでなければAIが反応しないし、一切のアナウンスを行わないことにしている。そうすれば、窓も無く何の特徴もない廊下に興味を示す客はいない。


「今、追いかけてきそうな奴はいるか?」

「いない。女にも男にも興味ねーよ。俺は患者しか興味ない」

 普段愛想のない光正は、患者に対してだけ異常な程優しくなる。その優しさを自分へと向けられた特別な好意と勘違いする者がいて、一度も交際経験のない本人が全く身に覚えのない『元・彼女』や『元・彼氏』が多数存在している。


「またお前に会いたいとかいう理由で自傷する奴がいそうだな」

「俺は二度目は診ないって知ってるだろ。完全に事故なら診てやってもいいが」

 二枚目の扉に向かって歩く途中で、背後の扉が閉まった。咥えていたタバコを携帯灰皿に入れ、開いた扉の中に入る。


 二枚目の扉の中は殺菌室。網目状の床を歩きながらエアシャワーを浴び、特殊な光で殺菌していく。三枚目の扉にたどり着く頃には、体と服の表面についた有害菌がほぼ死滅。許可されない侵入者がいた場合は、殺菌ではなく殺処分用の神経ガスが充満する。

「この殺菌設備をうちの大学の研究室にも導入したいが、維持費が洒落にならん」

「そうか? それ程でもないぞ」

「慣れると気が緩む馬鹿が多数だからな。空間を密閉せずに運用すれば、薬剤の使用量がとんでもない」


 三枚目の扉の前で薬液を使って手を洗い、人体用に調整された殺菌ガスを吸い込んで吐き出す。こうして殺菌消毒を行うのは、街中でのバイオウイルステロを警戒してのことでもある。ここまでしても完全に防ぎきれるものではないが、気休め程度にはなる。


『最終ゲート、開きます』

 扉の中、執務室にはすでに学生二人とガブリエルが座ってテーブルのモニタを覗き込んでいた。窓の無い部屋の三方には巨大モニタが壁に掛けられ、中央にはモニタ機能もあるテーブルが置かれている。壁も天井も床も鈍い銀色の自動再生金属で覆われており、多少の傷は放置するだけで自己修復される。


 室内は快適な温度と湿度が保たれ、ホコリはすべて床と壁の合間に作られた穴へと吸い込まれる。


「待たせたな」

「別に待ってねーよ」

 瑠璃夜の反射的な返事に苦笑しながら、俺は一番奥の司令席に着き、光正は空いた席に着いた。


「よーっし。本日のパーティの趣旨を説明するぞ。外部接続を全てカットしてくれ」

「了解」

 瑠璃夜と幸人の前には、キーボードタイプの入力装置が設置されている。二人が同時にコマンドを打ち込み、外部との通信が遮断された。


「時間がねーから、さっさといくぞ。世界平和福祉事業団WPWOの『楽園』に五名の子供が連れ込まれた。今回の依頼は子供の救出。制限時間は朝までだ」

 WPWOと聞いて学生二人の顔つきが緊張の色を帯びた。瑠璃夜も幸人が誘拐されて犯罪組織に売られたことを知っている。


 青ざめた瑠璃夜が口を開いた。

「おっさん、それは……」

「ハッカーとして、じゃない。四歳から六歳の健康優良児だ。養子か臓器、もしくは『供物』だろう。明日の午後に『第一段階の処置』が行われる予定だ。それまでに何がなんでも救出するぞ。瑠璃夜、場所の説明を頼む」


「……了解。まずは各自のモニタを見てくれ。映ってる島は、直近まで住人不在で『離島B-136』が正式名称。近隣の島の住民からは大開島おおあきじまと呼ばれてる。島の周囲は七百二十メートル。中央に鉄筋コンクリート製の建物。短いが滑走路とヘリポート、灯台と船着き場を備えている。住民基本台帳による人口は一名。警備会社のデータベースによると、この島の所有者の男が居住。執事二名と家事使用人十五名が交代で滞在。建物が完成してから数人の外国人が頻繁にヘリに乗って訪れていると非公式メモが付いてた。富裕層向け医療ツーリズムを目的としたホテルとしての開業申請が行われているが、まだ許可は降りていない」


 場所の数値だけで、瑠璃夜は〝無名〟と同程度のデータを探り出していた。目の前の端末でデータを見比べ、その精度に舌を巻く。この短時間で、執事二名と家事使用人十五名全員の顔写真と経歴までが揃っているのは驚きだ。


「次に建物の俯瞰写真と内部設計図を表示する。全体的にイギリスのドーバー城を模していて、第一外壁、第二外壁の内側に、ヘリポートを屋上に備えた五階建ての建物が作られている。……胸糞悪いが、四階に子供部屋と手術室がある」

 拡大した四階の設計図には、広い子供部屋と複数の寝室。三つの手術室があった。四階のすべての部屋が窓の無い防音室になっていることが、ここで子供相手に何が行われる予定なのかを如実に示している。


「で。今朝、近くの空港から宅配を装ったヘリのフライト記録がある。十五分の滞在で子供五名を引き渡せるのか?」

 その記録も〝無名〟からのデータに記載されている。公安が組織で収集した情報をたった一人で拾い出す能力は凄まじい。


「薬で眠らせて箱に詰めていれば可能だな。という訳で、目的地はこの部屋か。警備は何人いる?」

「驚異の三人だぜ。しかも民間警備会社の一番安っすいランク。警備室で監視カメラとにらめっこで、異常があれば駆け付けて警察に通報するだけだってさ」


「うへぇ。そーれーは警備費ケチり過ぎだろ。『楽園』に民間警備会社なんか雇うなよなー。めんどくせぇ。執事と家事使用人が用心棒兼任か?」

「無理無理。執事は武道の経験一切ない帝大卒の五十代と四十代、家事使用人は近くの島に住む普通のじーちゃんばーちゃんだ。給料は島周辺と比べると割と良い時給出してる」


 正直に言えば、楽な仕事になったと若干の安堵もある。相手が民間警備会社なら、まず間違いなく銃を持ってはいない。日本の重火器使用免許は民間警備関係の職に就く者には与えられないし、転職した場合は免許が無効になる上に銃器を没収されると決められている。

 昔、海外の『楽園』を叩き潰したこともあるが、その際には警備の全員が銃を携帯していた。


 瑠璃夜が顔を上げ、テーブルを挟んで正面に座る幸人に声を掛けた。

「気になるのは警備会社が通常使ってる警備システムと、もう一つAIの警備システムが入ってるってことなんだよな。幸人、『メデューサ』って聞いたことあるか?」

「……それは昔、僕がDEEDにいた頃に作った警備システムだ。五年以上前に組んだものだけど、日本の平時なら十分通用する。一部に有線を組み込んでいるから現場でなければ処理できない。……竹矢さん、僕なら故障したとみせかけて潰せます」


 そのシステム名は〝無名〟のデータに記載されていたが、製作者までは判明していなかった。幸人の表情はまだ硬いが、過去の自分との対決を志願するのならサポートしてやりたい。

「おう。それなら幸人が現場同行で決まりだな」

「え? 俺は?」

「瑠璃夜はネットでサポートしてくれ。前回はお前が現場に出ただろ?」

 経験の少ない学生二人は現場へと出たがるが、ネット上でのサポート力は特務二課メンバーの誰よりも高い。片方ずつ連れ出して経験値を上げていくのが現時点での最善だと思う。


「今回の作戦は、このメンバーで行う。救出実行は光正とガブリエルと俺。幸人は現地でシステム潰し。瑠璃夜は自室でログインしてくれ」

 瑠璃夜の自室は俺の住む新宿のマンションの五階にある。軍用の強力な回線に直接繋がっているから、この執務室よりもネット環境は良い。


「瑠璃夜、『楽園』を作った男の写真を出してくれ。……花広司はなこうじ 権蔵ごんぞう七十五歳。不動産と運送業で一代で資産を形成し、今は引退して相談役だそうだ」

 今回の作戦には関係ないが、一応確認しておくべきだろう。興味無さそうに写真を見ていた光正がぽつりとつぶやいた。

「この男、見覚えがあるぞ。……十年前だと思うが、欧州で爵位詐欺にあってるだろ」

 その言葉に瑠璃夜が答えた。

「大当たりー! 爵位を餌にされてエグい金額寄付してる。ただの紙切れと似非勲章授与でも寄付だから金は返ってこなかったみたいだな。……ふーん、こんな詐欺もあるんだな」

 欧州では複数の団体が歴史も正当性も無い爵位を勝手に発行して授与しているが、はっきり言えば詐欺でしかない。資産を築いた者が名誉欲に駆られて詐欺にあうことはよくある話だ。俺にもその手の話は持ちかけられるが、すべて辞退している。

 

 『楽園』を完全な自費で作ったことも、WPWOの名誉職にでもしてやるとでも誘われたのか、それとも……。


 沈みかけた俺の思考を、光正の声が引き上げた。

「こいつも確保するのか?」

「いや。今回の依頼は子供五名の救出のみだ。万が一にも出会ったら、催眠ガスで眠らせるだけでいい。それなりに丁重に扱ってくれ」


 考えるのは後だ。まずは子供五名を確実に助けるのが先。 

「作戦の詳細は道中で説明する。外部接続をオンにしてくれ」

「了解」

 二人の操作で外部へのアクセスが可能になった。マイクの電源を入れて、地下の船着き場で待機しているであろう哲一に呼びかける。


「哲一、参加者は四名だ。いけるか?」

『へいへーい。四名様ー、ご案内ーっと。船と装備は準備できてます。いつでもどぞー』

 軽すぎる返事に苦笑しながら、俺たちは執務室から駆け出した。

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