第二話 首都・新東京
都庁や昭和時代の建造物の劣化を受けて再開発された首都『新東京』は一部の恒久的環境保全地区を除いて乱雑さを増していた。情報通信網を使った勤務形態が一般化したことで出勤を伴うオフィスワークが激減し、大企業の本社が地方へと分散はしていても首都を目指す者たちは増加する一方だ。
首都に住居を持つことは利便性の点では優れているが、社会的地位の高さの一つとされているのは理解し難い。たとえ路地裏や僻地であろうとも、住所に『新東京』が入っているだけでもうらやましいと考えるらしい。
都心で高騰し続ける一軒家やマンションを購入できない層が法の穴を潜り抜けてオフィス用の賃貸物件をリフォームして住居とする迷惑な流行もあり、一つのビルの中にオフィスと住居が入り乱れる混沌状態も生まれている。
リニアモーターカーの完成で、地下鉄はさらに深度を増して複雑化。地上の電車やバスはほぼ廃止され、AI制御の無人モノレールが主流になった。
車の自動運転を目指した計画は多数の犠牲者と共に葬り去られ、人が車を運転する状況は昔と変わらない。一時期に世界的流行を見せた電気自動車は一定の割合のままで市場を席巻することはできず、ハイブリッド車、ガソリン車、水素自動車の四種類が走っている。
増加する人口と車の為に新しく設計された首都高速道路は第一から第三まで建設され、今も延長工事は続く。第一は一般車、第二は商用車、第三は緊急車両と公用車と表向きには示されているが、通常の十倍の通行料金を支払うことができれば、一般車でも第三を通行することができる。
第三首都高のあちこちに仕掛けられた速度計に引っ掛かるギリギリを攻めながら湾岸に向かって車を走らせる。一般車が走る第一、第二首都高とは違って交通量は少ない。ハンドルについた通信ボタンを押して特務二課全員に呼びかける。
「俺だ。今晩、朝まで飲みに付き合ってくれる奴は時計塔に集まってくれ」
車のフロントガラスのモニタに映る通信状況データを見れば、俺の言葉に反応している者は四名。残りのメンバーにはメッセージとして届く。子供五人の救出を考えると少なくとも三名は確保したい。
『おっさん、どこに飲みに行くんだ?』
最初の返信は〝
「瑠璃夜、お前はまだ
成人年齢は十八歳に下げられているが、飲酒は二十歳まで許されていない。隠者のカードを転送スロットに差し、『楽園』の場所を独自の全地球測位システムの数値で送る。
『おっさん、いい加減子供扱いやめろよな。せめてノンアルにしてくれよ』
「育ち盛りにはミルクだろ。二十歳になったら大人扱いしてやるぞー」
『超うぜーな、おっさんは!』
ぷつりと通信が切れたが、これは数値を受け取ったという合図。俺が執務室へと向かう間にネットから情報を収集してくれるだろう。
『今夜のパーティには、何乗りますー?』
へらりとした軽い返答は〝
話し方も見た目も軽いので誤解されるが、仕事は早くて確実。信頼できる男だ。
「そうだな。飲みながら海でも走るかー。店の場所は瑠璃夜に聞いてくれ」
離島への距離と作戦内容を考慮すると水中翼船での移動になるだろう。ジェットエンジンとウォータジェット推進機を使用する船は、海上を飛ぶように進む。通常は時速八十キロだが、哲一の手が入った船はその倍以上の速度を叩き出す。
『へいへい、了解ーっす。参加人数決まったら教えて下さいねー』
哲一の軽い言葉で通信が切れ、次の着信が入った。
『参加の許可を求めます』
堅苦しい言葉は〝
「おう。いくらでも許可すんぞー。今日のコマーシャル撮影はどうした?」
『先程終わりました』
ガブリエルは死亡した『
「嬢ちゃんはいいのか?」
『これから外泊の許可を取ります』
ガブリエルは先日結婚して『天峰くらら』という妻がいる。異世界からガブリエルを追いかけて転生したと聞いて、その想いの強さに驚いた。
「あー、新婚家庭に亀裂を入れないように上手く言えよー。パーティの参加者は男だらけで女は一人もいないとでも言っとけ」
『はい。そうします』
あっさりとした返事に苦笑が零れる。本当に大丈夫なのかという心配はあるが、成人二人に口出しするまでもないだろう。
通信が切れると保留になっていた次の通信に切り替わる。
「待たせてすまんな」
『大丈夫です。ミルクでいいので参加できますか?』
若干の遠慮を滲ませる生真面目な声は〝
「おう、参加歓迎だ。無理はすんなよ」
『はい。これから向かいます』
幸人は廃棄処分時の脳手術の後遺症として、瞬間透視の特殊能力を得ていた。その能力は半径一メートルから三十メートルに及び、見た物を完全記憶することができる。ただし脳に過度な負担が掛かる為、力は封印させている。他にも特殊能力を得ているようだが、誰にも明かしてはいない。
他のメンバーからの返信はまだ来ない。それぞれが正規の職を持っているので、都合がつかないこともある。通信を切った俺は、車の運転に集中することにした。
◆
フロントガラスのモニタに緊急車両通過のサインが表示され、追い越し車線を凄まじい速度で化学消防車数台が走り抜けていく。第三首都高では、緊急車両に関する速度制限はない。
「……どこで火事だ?」
『湾岸A-8地区で車両火災です』
何気ない俺の呟きに車両搭載のAIが反応を返した。湾岸地区も再開発が行われ、A地区は世界に名だたる企業の実験プラント、つまりは試験用工場が集まっている。事故や火災が起きた際には、区画を防御壁で封鎖できるようにもなっているから大規模火災にはなりにくいが、単なる車両火災ではないのは化学消防車が出動していることから推測できる。
「犠牲者は?」
『現時点では軽傷三名、重症一名の発表のみです』
どうやら命に係わるような事故ではないらしい。被害者の速やかな回復を祈って思考を切り替えた。
◆
高速を走り抜けて到着した先は、お台場に広がる商業施設の一角。こちらも新東京の観光名所の一つとして大規模な再開発が行われ、世界の有名な都市の街並みを再現している。渡航せずとも海外旅行気分を気軽に味わえると人気が高く、平日でも人が集まる場所になっている。
俺の執務室の一つがあるのは、ロンドンの街並みを模し時計塔が再現された『
商業施設に執務室を置くのは、メンバーが特務二課に所属していることを知られない為でもある。俺の会社のオフィスビルに普通の学生や他業種の会社員が出入りするのは不自然極まりない。
買い物や食事を誰もが楽しめる施設なら、どんな人間が出入りしようとも注目されることもないという意図がある。
建物下の専用駐車場に向かうと、すでにガブリエルの車が止まっていた。ナイト・サファイア・ブルーの国産クーペは哲一の手による改造を受けていて、リミッター解除で時速四百キロで走ることができる。
プロのドライバーでも躊躇するであろう速度も、異世界の騎士にとっては大した問題ではないらしく、生死を掛けた実戦で培われた動体視力と反射神経を活かした運転技術は凄まじく高い。
俺が乗る黒の国産セダンも哲一の手による改造を受けている。水素エンジンを備え軍用の固形ジェット燃料を搭載して、数分であれば空を飛ぶ。最初は使うことはない過剰装備だと思っていたが、これで三度命拾いしたのだから哲一に感謝するしかなかった。
燃料タンクと搭載した武器の影響でトランクと内部空間にはかなりの制限があるが、どうせ乗せるのは紗季香か特務二課のメンバーだけだ。
車を停めてエレベーターに向かって歩き出すと、学生組の二台のバイクが停まっていた。瑠璃夜はオレンジ、幸人は青。色違いで揃えたフルカウルスポーツ型のバイクも哲一の手が入っている為にスペックを遥かに超える数値を叩き出す。
それぞれが独自制作したAIでの自動運転も可能という、見た目以上の機能を備えている。
学生二人を特務二課へ入れることを俺は反対していた。ただ、二人がネットを通じて喧嘩をしていた二年間でぶっちぎった法律は数知れず。リアルでも破壊した物件は多数で、金を積んでもすべてのフォローは出来なかった。
どうするかと悩んでいた俺の知らない所で二人に接触した〝無名〟が、罪を抹消して静かに生きるか、罪の代償としての特務二課入りかを二人に選ばせて、今に至っている。
ガブリエルの指導で体を鍛えていた瑠璃夜と、DEEDで鍛えられ暗殺術を仕込まれた幸人には対人格闘の基礎が出来上がっており、今は重火器免許取得のために射撃訓練を行っている。その精緻なプログラミングからは想像できない大雑把な性格の瑠璃夜は拳銃やロケットランチャー等の派手な武器使用に向いていて、発想が大胆なプログラミングを得意とする幸人は狙撃に向いている。
光と影。背中合わせの経歴を持つ二人は、正直に言えばこれからの成長が楽しみでもある。
エレベーターホールの片隅、紙巻タバコを吸っている二十代前半の男が佇んていた。日に焼けた肌と脱色した短髪。白のサマーニットと迷彩柄のカーゴパンツに軍用の編上げブーツ。世間的にチャラいと言われそうな容姿ではある。
「よう、
そうは言いながらも、俺もポケットから紙巻タバコを取り出して口の端で咥える。
「仕方ないな。俺もお前に倣うか」
光正は火のついていたタバコを携帯灰皿で押し消して新たなタバコへと変え、二人でエレベーターに乗り込む。
歩く度にじゃらじゃらと音を立てる腰に下げた金属チェーンは財布の盗難防止用ではなく、ポケットに入れた手術用具の金属音を目立たせない為。この男は〝
うんざりとした顔で光正が呟く。
「……火を着けないタバコなんざ、おしゃぶり以下だな」
「俺はこれで、禁煙してるぞ」
タバコの葉の香りを楽しむだけで火を着けない。俺の禁煙スタイルは、紗季香以外には誰も理解はされていない。
「どこに行っても喫煙者は肩身が狭いな」
「それは仕方ないな。センサー類が混乱するしな」
街中に張り巡らされたAIセンサーは、タバコの熱を感知して火事と判断することもある。センサーの無い場所か、自室でなければ安心してタバコを吸うことすら難しい。
タバコ愛好家二人で肩をすくめた時、エレベータの扉が開く。無機質な廊下には、幾重にもセキュリティが施された金属扉が待っている。
「さーて。楽しいパーティの準備を始めようか」
限られた時間、限られた人材。それでも五人の子供は必ず救出する。俺は光正と執務室に向かって歩き出した。
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