第一章 欲望に染まる楽園
第一話 公安警察特務二課
最悪の日から月日は過ぎ、俺は不動産と株、そして情報で巨額の資産を築き上げ、世界でも屈指の大富豪に昇り詰めた。
膨大な資金を費やし宇宙に六百六十六個の人工衛星を上げ、全世界で流れるデジタルデータをただひたすら収集し記録だけを続ける奇行は各国政府に非公式で承認されていて、大規模なデータ損失があれば無償でバックアップデータを提供するシステムを築いている。
〝
あの日、俺が狙われたのは〝
深海のメタンハイドレード層のさらに下、異世界の魔法をこの世界で実現させる七色の石が埋まっている。今では採掘に成功してはいるが、掘り出した成果はごく一部で限られている。
もっと上手く俺を殺す方法はあったはずなのに、何故あの日だったのか。狙撃事件は、密猟者の流れ弾による不幸な事故として処理され、容疑者不明として異例のスピードで片付けられた。
狙撃の実行犯は数年前、テロ事件に巻き込まれて死んだ。身替わりになって死んだ
◆
けたたましい呼び出し音で目が覚めた。キングサイズのベッド脇に設置したタッチパネルディスプレイには『NONAME』からのメッセージが表示されている。
「今日の十時にいつもの場所? おいおい、あと一時間半しかねーぞ」
隣で眠っていた紗季香の姿は消えていた。今ではモデル事務所を経営する紗季香は、毎日忙しく飛び回っていて、何度もプロポーズして同棲にはこぎつけても、まだ籍を入れることを許してはくれない。
起き上がってカーテンを開くと眩しい光の下、新宿の街が広がっている。ここは新宿の路地裏、十三階建てマンションの最上階。昭和風の古びた外見は偽装の為で、実際は丸ごと要塞としても機能する最新設備を整え、今もアップデートを続けている。政府から治外法権認定を受けているので、警察の管轄外。ありとあらゆる危険物を揃えることも可能だ。
昔はピアノブラックで統一していた家具は、紗季香と同棲するようになってからがらりと変化した。家具のデザインはシンプルでも、白のマットな色に統一されて部屋を明るくしている。カーテンやクッションは淡いローズピンクで、俺には全く似合わない。それでも紗季香には良く似合うから満足している。
シャワーを浴び、タオルで髪を乾かしながら寝室を出てリビングに向かうと、二人掛けの食事用テーブルには皿に盛られたサンドイッチが置かれていた。コーヒーメーカーで煮詰まった珈琲をマグカップに注ぎ、慌ただしく口にしながら壁面の百六十型ディスプレイ二枚に複数のニュース映像を流し、倍速でチェックする。
「本日も世界は平和だな。良いことだ」
表で流れるニュースはすべて情報統制されていると思っていい。一般に出せない情報が真実であっても、表向きの平和を装う為には必要だ。
ウォーキングクローゼットに用意されているシャツに袖を通し、ボタンを掛けながらスーツとネクタイを選ぶ。
全身鏡に映るのは、ひょろりとした中年男。若く見えるとは言われるが、童顔のまま年を喰ったというだけだ。近接格闘と射撃の為だけに鍛えた体は極端に着やせして、迫力には欠ける。
最高級の仕立てで作られた特注品のスーツは、たとえ新品でも体に馴染む。服よりも中身だとよく言われるが、はっきり言えばそれは綺麗な建前だ。誰でも完璧に整えられた一式を見れば無意識に
磨かれた靴はブランド品。足元を見るという言葉があるが、各国の上級社会では服よりも靴でその人物の出自を判断されることが多いので気が抜けない。
腕時計は必須アイテム。たかが時計とは侮れない。下品な話だが数百、数千万の値が付く物でなければ本物の上級社会で通用しない。由緒正しい歴史や理由があっても、安物は見下される原因になる。
『人の生まれに階級はない』それは嘘でしかない。俺のようにいろいろと後ろめたいものがある人間は、ことさら金を掛け、丁寧に外側をラッピングしなければ見透かされてしまう。
身支度を終えた俺は、壁に設置された金属の
状態を示すランプはオールグリーン。充電も完了していることを確認してスロットから一組のカードを抜き取り、スーツの内ポケットへと突っ込んだ。
◆
車で到着した三ッ星ホテルの屋上庭園の一角、小さなドーム状の温室が公安警察特務二課の連絡室の入り口になっている。
公式には存在しない公安警察の特務機関は、非合法の諜報や秘密作戦を行う組織。指揮命令系統は伏せられ一般的なオフィスはなく、統括管理官から『依頼』を受けるだけの連絡室一つしかない。
俺が所属するのが二課なら一課もあるのだろうが、誰が在籍しているのかはわからない。それは向こうも同じだろう。
温室の扉には立ち入り禁止の看板が下げられ、外観は荒れ果てている。周囲に人がいないことを確認し、ガラス戸の取手に指を触れると自動で開く。盛大に茂る熱帯植物をすり抜けて丸く白い床の中央に立つと、床が降下しトンネルへと続く通路が現れる。
真っ白なトンネル内を歩く途中、合成音声が響いた。
『コードネーム〝
毎回聞く度に耳がむずがゆくなるコードネームは特務二課に所属した際に与えられた物であって、俺自身が申請してはいないが、その者の特性を示す名前が選ばれているらしい。
白い通路の先にはドアノブが付いた木の扉。扉の内部は、床や天井の角がすべて曲線で繋がれた六畳ほどの白い部屋。床も天井も外部からのあらゆる干渉を防ぐ真っ白な特殊塗料で塗られた部屋は、距離感を失わせる。
部屋の中央には天板の厚みが十五センチある丸い白テーブルと白い椅子。椅子に座るとテーブルの一部が開き、下から茶托に乘った緑茶が現れたが俺はこれまで手をつけたことはなかった。
この部屋ではスマホやあらゆる電波が遮断されているからチェック不可。眠気とだるさを感じて頭を振ると、午前十時ぴったりに白い壁の一部が開いた。
「お待たせ致しました」
淡い微笑みを携えて現れたのは特務二課の統括司令官。十八歳前後に見える灰白髪の和服の男で、灰水色の着物に紺色の羽織は地味に見えるが高級感がある。俺が知る限り、着物が変わるだけで二十五年前から同じ容姿。本名も何もわからず〝
「今日は何の用件だ?」
問い掛けた俺に会釈をした無名は椅子に座り、現れた緑茶を手に取って飲む。これはこの男が話を切り出す時の儀式。一口飲むと軽い話。二口飲むと少々重い話。すべて飲み干すと誰かの命に係わる話になる。今日はすべてを飲み干した。
「……最近、組織的な子供の誘拐がありましてね。こちらが把握できたものは事前に対処しましたが、四名の誘拐が阻止できませんでした」
不快な感情を表に出さない無名の言葉に、珍しく苦々しい雰囲気が滲む。
昔から子供の誘拐は起きているが、最近の誘拐はその目的が違っている。優秀で従順な日本人の子供は、養子として狙われるだけでなく、その健康な臓器が狙われている。
「子供の救出か。データを」
テーブルの中央に、子供の顔写真とデータが表示された。四歳から六歳の少年の居住地や親の職業も様々で、共通しているのは全員が病歴の無い健康優良児。養子か臓器か。もしくは『供物』にされるのか、このデータで判別はできなかった。
「写真は五人あるぞ。四人じゃなかったか?」
「誘拐されたのは四名です。残り一名は親によって売られました。五名全員の救出を依頼します」
「……監禁場所は?」
妙な依頼だ。小児誘拐救出に特化したチームは警察内に公式で存在している。警察が手を出せないマズイ場所ということだろうか。
「……世界平和福祉事業団の『楽園』がとある離島に出来ましてね」
「あ? あいつらが日本に進出っつーのは政府が阻止していただろ? 失敗したのか?」
世界平和福祉事業団――World Peace Welfare Organization――WPWOは、表では世界平和を唱えて福祉活動をしながら、裏では臓器売買と児童売買、麻薬や武器の密売、あらゆる悪事を働いている。『楽園』はその基地となる場所。
裏世界のみならず、軍や警察関係者がその事実を知っていても各国政府が撲滅に手を出せないのは、国のトップが何らかの形で恩恵を受けているというまことしやかな噂がある。日本だけがWPWOの進出を拒んでいたのは、国のトップが不可侵の存在であり完全に潔白だからと言われている。
「失敗とは言われたくはありませんが、そうですね。我々は失敗しました。何しろ純粋な日本人が自己資金で自主的に自分の土地に作ってしまったものですから。法的に止める手段がありませんでした」
テーブルに離島の地図と俯瞰写真が表示された。高い塀に囲まれた中世の城塞のような建物が写っている。
「完全に要塞じゃねーかよ。途中で止めろよな」
切り立つ崖に囲まれた要塞は、小さな島のほとんどを占めている。島全体が完全に私有地であり、表向き建築基準法に沿っていれば止められないのも仕方がないだろう。
「表向きは医療ツーリズム用の療養所。一部はホテルとして営業申請がされています。……これは〝
その言葉に俺の心が反応した。WPWO内で〝教授〟と呼ばれる男が、俺の狙撃を指示したことまでは判明している。それが有名な探偵小説の登場人物になぞらえた異名だということはわかっても、正体は全く掴めていない。
「……確証があるのか?」
「いいえ。……ただ、何となく、そう思っただけです」
妙な言葉の区切り方で、何らかの確証を得ていると感じた。政府も〝教授〟の正体を掴めていないことは知っている。俺を便利に使う為の方便であったとしても、子供を『楽園』に放置するのは許せなかった。
「わかった。この依頼を受ける。データをもらっていくぞ」
胸ポケットから出したタロットカードを数回シャッフルして、
「隠者、起動」
テーブルの上にかざせば、赤い紋様が映し出されて緑の紋様へと変わってデータ取得完了。隠者のカードはあらゆるデータを収集する機能を持たせてある。
カードを胸ポケットに入れると、新しい緑茶がテーブルに現れて、無名が一口を飲んで微笑む。
「そういえば、そろそろ重火器所持免許の更新ではないですか? お忙しいでしょうから、実技試験免除を手配いたしますよ」
「いや。不要だ。普通に更新するさ」
この国には、一般人でも拳銃や武器を使用できる免許制度が作られているが、何らかの組織や後ろ盾がなければ普通の人間はほぼ合格できない。俺は特務二課に入ることでこの免許を手に出来た。
「おやおや。これは余計なお世話でしたね。最近小耳にはさんだのですが、どんなに『調整』しても、全弾を
「おいおい。それは試験官の中に『草』がいるってことだろ。それなら増々期待に応えないとな」
二年に一度行われる免許更新での実技試験の違和感に、俺は気が付いていた。無名が忠告する程の大物
「話はそれだけか?」
「……そうそう、言い忘れていました」
「何だ?」
「子供たちは明日の午後、『第一段階の処置』が行われるようです。世界平和福祉事業団から派遣された医師団がすでに入国しています」
『第一段階の処置』といえば、薬漬けにされることだ。養子なら記憶を曖昧にされ、臓器摘出なら二度と目を覚まさないようにされる。『供物』にされる場合は、逃げられないように足の神経を麻痺。いずれにしろ、薬漬けにされた子供の体は完全に元には戻らないとわかっている。
「あ? 今晩しかねーじゃねーか!」
眠気もだるさも吹き飛んだ。瞬時に集められる人材と武器に思考を巡らせ席を立ち、扉に手を掛けて振り返る。
「おい、無名。言い忘れていたのは、それだけだろうな?」
「はい」
悪びれることなく微笑む無名に舌打ちを残し、俺は連絡室を後にした。
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