19話 「名前で呼んでみた」
「今日からテスト週間で、部活がありません。しっかりと高校で最初の定期考査に備えてください」
担任教師の言葉に、みんな気怠そうに返事をする。
かなり高校生活に慣れて、みんな勉強などが億劫になりつつある5月中旬。
ちょうどそのあたりに定期テストがあるというのは、こういう気持ちの緩みを見抜いているからなのか。
俺自身も、それなりに定期テストの準備を始めている。
しかし、姫野さんに今回も負けてしまうのではないか、という気が既にしている。
負け癖って本当に良くない。
それに、中原さんもかなり優秀であることが分かってしまった。
中原さんに成績で負けるようなことがあれば、「あれ、部活してないのに。あれれ?」とか、煽り混じりに言われそうな気がする。
そんな事を思いながら、いつもよりも混んでいる電車に揺られていつもの様に市街地に戻ってきて、バス停で姫野さんと合流する。
テスト週間で、電車の中は普段部活をしている人も、同じ時間に乗っていて混んでいた。
ただ、やはりこのバスには俺と姫野さん以外、利用している生徒は居ないらしい。
「テスト週間になると、帰りの電車が一気に混んじゃうね」
「うん。いつもはそんなに混んでないし、座ることも出来るんだけどね」
「みんな、勉強とかしてるのかな?」
「見てる感じ、してなさそうに見えるけどね」
「まぁでも、奥寺君はしてるでしょ?」
「まぁそろそろ、姫野さんに勝たないといけないですし?」
「今回も負けないからね。あ、そうだ。ちょっと思ってたことがあってさ」
「うん?」
「私が『条件』を満たしたら何でもお願いを聞いてくれるって、そんな一方的なのもどうなのかなって最近思ってるんだけど」
姫野さんは、自分だけ何かお願い事を聞いてくれる事を気にしているらしい。
「いや、俺が無責任なことを言って、それを実現してるんだから、それぐらいでいいと思うよ?」
「えー、そうかなぁ……」
「それに、男が普通に女の子にがっつり同じように条件付きつけて、『達成出来たら、よろしく』って流石にないかな……」
女の子のお願いだから、可愛げと健気さを感じるし、それも有りだと思える。
でも、男がやると悪い意味での執念とかそういう方向にしか感じられない。
仮に、俺が姫野さんに何かお願い出来るとしても、何を頼めばいいかも分からない。
「そうなのかなぁ……」
「いや、あくまで俺の意見だけどね。こんなことしてる男女二人組、なかなか探してもいないと思うし」
点数勝負くらいならしている人はいるだろうが、負けたら何かする、なんて同性同士でやっとやるかやらないぐらいだろうし。
「それならそれで提案です! 『条件』の中にある全科目勝つというのを、普通の点数勝負にして、勝ち負けを正式に付けていくのはどーですか!」
「普通に点数勝負、なるほどね」
確かにそれはありだと思った。
流石に全科目で上回るというのは、この定期テストはより難しい。
中間だけで9科目、期末は更に副科目も追加されるので10科目は軽く超える。
もはや、難しいというよりも無謀と言えるレベルで流石に無茶苦茶だと思っていたからだ。
当時の俺でも、英語を除いた4科目だけで考えて話をしていたしな。
「で、勝ったほうがお願いごとをするというので! まぁ私は、奥寺君に可愛いって認めてもらえないといけないけど……」
その事については心配しなくてもいいと思う。
今こうして話しているときに目が合うだけで、破壊力がすごい。
というか、もうその条件は永久クリアで良いのだが。
「俺が勝ったら、姫野さんに何かお願い事をすることになるの?」
「もちろん。お互いフェアにいこ」
「と、言ってもなぁ……」
「まぁ、勝ち負けついてから考えてもいいし!」
「そうだね、またちょっと考えておこうかな。ちなみに、姫野さんは前に言ってた内容のまま?」
「えっと……。実はちょっと変わりました」
「何?」
もう早くも、俺に対して頼みたい事が決まっているらしい。
尋ねてみると、少し顔を赤くしながら、ちょっと小さめの声で、こう呟いた。
「そろそろ、名前で呼ぶという……」
「確かに、まだお互いに名字呼びだね」
俺も高校に入ってから驚いたのだが、普通に男女間で付き合っていなくても、そこまで親密でなくても、簡単に名前を呼び合っている。
中学の頃は、名前呼び=付き合っているという匂わせという感じだったので、かなり驚かされた。
「それなら、別に呼んでもらってもいいけど」
「奥寺君も私の事、下で呼んでくれる?」
「あ、俺も姫野さんを名前呼びで?」
「もちろん。そうじゃないと、何か違和感があるし……」
呼んでもらう分には問題ないと思っていたが、お互いにそう呼び合える関係をご所望の様子。
姫野さんを名前で呼ぶ。
小さい頃以来、女子の名前を呼ぶなどということは一切したことが無い。
「……分かった。じゃあ、そうします」
「ほんとにいいの?」
「もちろん。どんと来い」
名前を呼ぶだけなのに、大袈裟に言ってしまっている。
蓮人にこの事知られたら、鼻で笑われるのは間違いないだろうな。
「えっと……。将暉……君」
「えっと……。美優紀……さん」
お互いに変な間を空けながら、名前を口にした。
姫野さんの名前を言ったあと、謎の熱さが体全身を襲った。
ただ、名前を呼んだだけなのにだ。
「やっぱりちょっと恥ずかしいね」
「うん。これみんな軽い感じで呼び合ってるの、強すぎないか……?」
「ほんとね。私は異性の名前呼び、今初めてしたかも」
「まぁ、なかなかしないわな」
普通に生活する中で、コミニュケーションを取るときには、名字呼びで事が足りる。
わざわざ、名前で呼ぶ必要性もない。
「ちょっとずつ慣れていかないとね」
「そうだな。慣れては行きたいけど、高校内で呼んじゃったら怪しまれるし、こりゃ大変だな」
まだまだ自然に呼び合うには、時間がかかりそう。
少しずつ慣れていって、気が付いたら自然とそうなっているというのが理想だが。
高校内では、姫野さんとあまり関わらないようにしているし、姫野さんの名前を呼ぶ男子は今のところ、誰もいない。
それは、ジャージのときも話していたが、姫野さんは真面目で硬派な印象があるからだ。
変に馴れ馴れしくすると、良くないとみんな思っている。
そんな状況で、学級委員とかの仕事中に、名前を呼んで普通にやり取りしてしまったら、流石に周りが気にするに違いない。
「そうだね。あの二人、どういう関係?ってなっちゃうだろうね」
「それこそ、完全な匂わせになるけどね」
散々これまで匂わせの話をしていたが、これこそ本当にそうなってしまうのは、間違いない。
「私はそれでもいいけどね? 最初はそのお願い、しようかなって本気で思ってたし?」
「またまた、本当になっても知りませんで?」
「本当に、いいよ」
姫野さんは笑いながらそれでもいいと、強く頷いた。
あまりにもあっさりと受け入れられてしまったので、俺は何も言えなくなってしまった。
「将暉君は、やっぱり嫌?」
更に俺を追い込むように、そう尋ねてくる。
名前で呼ばれている事もあって、ドキドキが止まらない。
「……」
少し前にこの話をした時でさえ、恐ろしい状況になるとか思いながらも、受けてもいいと思っていた。
こんな風に言われて、嫌になるはずがない。
でも、そんなことをとても言えるはずもなく、ただただ黙って、姫野さんから慌てて目を逸らすことしか出来なかった。
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