プロローグ
「だから言ってただろ? お前は英語で落ちるって」
聞こえてくる声を無視するように塾を後にした。
怒りと悔しさ、悲しみが入り交じった足で、雪が降り注ぐ外へと踏み出す。
興奮で体温が上がってるせいか、吐く息もより白くなっているように見える。
「落ちたやつに最初にかける言葉がそれかよ……」
仮にも多くの受験生を見守ってきた塾長なんだから、今日ぐらいは慰めてほしかった。
だが、言い返せないのも確かだった。
「やっぱり英語で落ちたな……」
今日は大学受験の合格発表の日、合否の通知と共に落ちた人には成績も送られてきた。
そして僕の成績は数国社が合格者平均を上回っていたのに対し、英語が受験者平均よりもはるかに低く、それが響いて3点差で不合格となっていた。
「あーあ、浪人か~」
この合否は前期試験のものだったが、第一志望のこの大学に後期で受かることはほぼ絶望的だ。
この大学の後期試験は、文系と理系が同じ問題を解かされ、しかも文系のやらない数学の範囲からも出題されるのだ。
僕は数学が他の文系よりかは少し得意な方で、後期対策としてそのやらない数学の範囲まで勉強しているが、それでも受かる気はしない。
何せその試験は前期で医学部を受けていた奴らと競わないといけないのだ。
医学部は他の学部と比べても難易度が高い。
そこでの競争を前提として勉強してきた奴らは地力が違いすぎるのだ。
そして模試で常にE判定だったことが、それを如実に示していた。
つまり、前期の失敗=今年の受験失敗だ。
「これなら親に土下座して私立も受けとくんだったかなあ」
僕の家はそこまで金に余裕が無く、国公立だけにしなさいと言われてきた。
さすがに行かない前提の大学のために勉強時間を割きたくなくて、肩慣らしのために私立を受けるという選択をしなかったのだ。
「それか後期をやってる大学に今から出願するか」
自分の受けている大学と同レベルの大学で後期をやっている大学が全く無い。
以前はあったらしいが、今はそれが推薦入試に置き換わっている。
後期をやっている大学は2ランク3ランクも下の大学のみだ。
よっぽどじゃない限りは受かるだろう。
だが、そこまでして現役で入学することに意味があるのかと言われると、首をかしげざるを得なかった。
「帰りたくないなあ」
塾長以上に今見たく無い顔が親のものだった。
親は僕に初めは期待していなかったが、良い成績を出した途端、目の色を変えて勉強させるようになった。
少しでも良い大学にいけるよう、塾に入れ、勉強をサボらないかチェックし始めた。
もちろんそれが僕のためになると思ってのことだとは分かっている。そして今まで育ててきてくれたことにも感謝している。
だけど、それがかなりの重荷であったことに落ちてから気付いてしまった。
「思ったより疲れてたんだな」
独り苦笑しながら雪の降る街を歩く。
不合格だと言って帰ってきた息子にどんな言葉をかけるのだろうか?
慰め? 怒り?
慰めだとは思うが、それでもそれを聞くのが今は怖い。
「あいつらの言うことがここまで心にくるとは思わなかったよ」
今日学校で交わした友達の言葉を思い出す。
彼らはみんな受かって、その喜びを分かち合っていた。
その内一人が何気なく発した言葉がやけに心に残った。
「『受からないと人権ないもんな~』か。その通りだわ」
そのあと、僕一人が落ちていると知り、みんな一様に申し訳なさそうな顔をした。
それが一層僕には耐えられなかった。
人権が無いというのはこういうことだと身を以って教えられた気分になったのだ。
「なんで僕だけ落ちるかなあ」
これでもそれなりに頑張ってきたつもりだ。
難しい本もいっぱい読んできた。大学に入ってから読む論文も読まされてきた。
確かにそれは成績に反映されたはずだ。
でもそれは苦手な英語をカバーするほどのものではなかった。
受かった奴らは確かにほとんどがちゃんと勉強してきた奴らだったが、中にはなんで受かったと疑問を持たざるを得ない奴もいた。
実際、そいつは試験前も遊びまくってて、みんなからなんでお前が受かって僕が受からないんだと言われていた。
本当にその通りだと思った。英語は苦手であまり進んで手を付けなかったけど、そいつより確実に勉強している自身はあったのだ。
それだけ要領が悪かったのだろうか?
「あーもう、嫌なことばかり頭に浮かんでくるな」
こんな試験で頭の良さが分かるんだろうかとか、なんで大学に行かないと良い人生を歩めないんだろうかとか、そういうどうしようもないことばかり考えてしまう。
本当は少しでも後期を受かりやすくするための方法を考えるとか他に出願するべきか考えるとか、もっと建設的なことを考えるべきなのだろう。
頭では分かっているが、上手くいかないのがもどかしい。
「…………ぃ!」
そんなことを考えてたからだろう。かけられていた声に気付かなかった。
「おい! 危ないぞ!」
叫ぶ男の声が聞こえ、振り向く。
スーツをきたおっさんがこっちを向いて焦った表情を浮かべていた。
途端、クラクションが響く。
横断歩道の上で振り向いた僕の視界はトラックの正面で塞がれていた。
────ああ、死ぬのか。
冷えた身体では逃げようもない。
不思議と冷静に自分は助からないと理解し、受け止めていた。
「次があったら、自由に生きたいな」
そう零した僕の声の上を、鉄の塊が通り過ぎていった。
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