#5 燃えよ英雄





「はあぁ、はあぁ、―――んっ、はあぁ・・・」


 俺はダウンジャケットだけを手に取り、着の身着のままで家を飛び出した。

 外に出て、走りながらダウンジャケットを着る。

 今は少しでも時間が惜しい・・・


「―――あつぅ・・・」


 しかし、駅に向かって急いで走っていると体が温まり、ダウンジャケットが邪魔だ。

 でも、今は汗を掻こうがどうでもいい。


 先ほどの真桜からの電話。

 声音からのっぴきならない状態だと予想できた。

 それに、真桜はハッキリと助けてと、言った。

 なら俺は、一秒でも早く彼女の元へ駆けつけるだけだ。


 駅に着いた俺はすぐにタクシーを拾って、真桜が通っている大学の最寄り駅に向かった。

 真桜から送られてきたロケーションはその最寄り駅近くのラブホテルだった。

 電話越しに簡単に事情は聞いている。

 真桜は話すのも辛そうな程、その声はかすれていた。

 その声を聞いただけで胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。


 真桜、無事でいてくれ・・・


 タクシーに乗っているだけの俺には祈る事しか出来ない。

 暫くして、タクシーは目的のラブホテルに到着した。

 俺は急いで真桜に教えてもらった部屋に駆け込んだ。


 そこにはベッドにもたれ掛かりながら床にへたり込んでいる真桜がいた。


「・・・ヒデ、君・・・」

「真桜っ!」


 すぐに駆け寄り、抱きしめる。


「ごめん、ね、ごめん・・・」

「大丈夫だ、大丈夫だから・・・」


 真桜は俺の胸に顔を埋めて、すすり泣いた。

 俺は真桜の気持ちが落ち着くまで頭を撫でながら待つ事にした。

 状況確認の為に周囲を見やったら、上半身裸の男がうつ伏せに倒れているのが目に入ってきた。


 こいつかっ!こいつが真桜を泣かせて傷つけたのはっ!


 俺は自分のはらわたがグツグツ煮えたぎるほどの怒りを感じた。

 大切な人が他人の敵意や害意に晒され、涙を流すぐらい悲しんでいる姿を見て、怒りを覚えない奴などいない。少なくとも俺は怒りを覚える。


 真桜が泣き止んだみたいなので、なるべく優しく声を掛けた。


「真桜、大丈夫か? 何もされてないか?」

「・・・うん、大丈夫、何もされてない。襲われる前に撃退したから」


 真桜の言葉に少し違和感を感じた。

 撃退・・・?

 真桜は信じられないぐらい運動神経がない。それは本人がどれだけ努力しても改善しないほどに。

 そんな真桜が大の男を撃退した? 無力化した・・・? にわかには信じられない。

 しかし、目の前には上半身裸の男が倒れているし、真桜の衣類も乱れている様子もない。

 なので、何かしらの手段を用いてこの状況になったのは確かだろう。

 堅豪の時のように。

 だが、これに関して今は追及や考える時ではない。

 それに、俺は真桜を信じている。


「立てるか?」

「ちょっと、無理、かな・・・」


 俺はとりあえず、真桜を抱きかかえ、椅子に座らせた。

 上着をハンガーから外し真桜に着させて、カバンを手に取った。


「うぅ、うっ・・・っ あぁん?」


 俺が真桜の身支度を整えていると、上半身裸の男が目を覚ました。

 それに気づいた真桜は心配そうに俺を見詰める。


「ヒデ君・・・」

「大丈夫だ。俺に任せておけ」


 努めて明るい顔で真桜に答えた。

 これ以上真桜が苦しむ姿なんて見たくない。


 男は片手で頭を抱えながら立ち上がったので、俺は前に出て真桜を庇う形でその男に向き合った。


「うぅ、何が起こった? ま、真桜ちゃん・・・?」


 まだ意識がハッキリしていないのだろう、俺の存在に気付いてない。


「気安く名前で呼ぶな!」


「はぁ?―――っ! お、お前、誰だっ?!」


「それはこっちの台詞だ!だが、押し問答していても仕方ない。俺は黒若英雄、ここにいる井手亜真桜の彼氏だ。お前こそ誰だ?」


「―――っ!?」


「おい! 誰だって聞いているんだ! 答えろっ!」


 ついつい声に力がこもってしまう。


「お、お、俺は田ノ下武、だ。俺は何もやっていないっ! 何もやっていない!」


 まだ・・・? まだ、だと・・・って事はやっぱり襲うつもりだったのかっ!


 心の中は怒りに溢れているが、俺は努めて冷静に田ノ下に話掛けた。


「まず、何で俺の彼女がお前とこんな所にいるんだ? それと何か上に着ろ、見苦しい」


 俺の言葉におずおずとTシャツを着る田ノ下。


「そ、それは・・・」


 田ノ下は終始口ごもり、話の要領を得ない。

 俺は真桜から簡単に事の経緯を聞いているので、こいつから詳しく事情を聞く必要はないように思うが、この場合は相手の言質を取る事は重要な事だ。


「じゃ、酔っぱらった真桜を介抱する為に、ここに入ったという事か?」


「そ、そうだっ! そ、それで俺は優しく介抱しようとしたらいきなり真桜ちゃんに殴られたんだっ! ひ、被害者はこっちだぞ!」


 言い訳の糸口を見つけたつもりなのか、田ノ下はさっきまでの悲壮な表情が少し鳴りを潜めた。

 

 実際に殴ったか殴ってないかは分からないが、真桜が何も否定していなので、本当に殴ったのかもしれない。

 しかし、この状況を考えればそれは必要な事のはずだ。


 それにしても、被害者とかよく口に出来るな・・・

 イマイチ今の状況を理解していないようだ。


「ならどうする? 警察にでも行くか?」


「い、いや、警察に行くほどでもない。お、お前達がこの事を黙ってさえいれば許してやろう」


 単純に自分の行いを反省し、謝罪すればそこまで問い詰める気はなかったが、逆に真桜に非があるような言い方は許せない。


「俺達はそれで構わない。でも、その場合その暴行は真桜がお前に襲われそうになったから行った正当防衛と主張するぞ」


「・・・正当防衛? いや、俺は何もやっていないのに殴られたんだぞ? お、可笑しいだろ?」


「お前の場合は未遂だ。それともお前は真桜が何の理由もなしに殴ったと主張するのか?」


「えっ? あっ、えっ・・・」


「何も分かっていないみたいだからハッキリ言ってやる。酔っぱらって寝ている無抵抗の女の子をホテルに連れ込んで介抱していたら殴られたと、第三者が聞いてどう考えると思う? 俺なら襲われそうになったから反撃したと考える。お前は真桜が優しく介抱してくれているお前を何の理由もなく殴ったと言うのか? それで世間や警察が納得すると思っているのか?」


「―――っ」


 田ノ下は俯いて、黙り込んだ。


「お前の場合は状況証拠が揃い過ぎている。実際に警察がどう判断するかなんて俺には分からないが、十中八九、真桜の言い分を聞くと思うぞ。お前は自分への暴行を主張する事によって自分自身の強姦未遂を行った事を認めないといけなくなる」


 多少強引な理論であろうと押し通す。

 それに、こいつが真桜を襲おうとした事は事実だ。


「それとも他に色々嘘で取り繕うのか? 場所や時間や真桜の気持ちを偽り、ある事ない事口にする気か?自分のやろうとした事はお前が一番よく分かっているだろ、半端な嘘だとすぐに警察にバレるぞ」


 やっぱりダメだ。こんなクズに真桜が傷つけられたと思うと我慢出来ない。


「それに、この事を黙っていれば許してやろう? それって後ろめたい事があると自分で認めているようなものだぞ。ふざけるのも大概にしろっ! 俺の大切な人を泣かせておいてよくそんなセリフが吐けるなっ! 今すぐお前を警察に突き出してやるっ!」


「ま、待ってくれっ! 俺が悪かった。謝る、謝るから許してくれ!」


 田ノ下はさっきまでの少し楽観的な表情が消え、必死の形相の顔に変わった。


「俺に謝ってどうするんだっ! 謝る相手を間違えてるぞ」


「―――ぅ、真桜ちゃん・・・」


 俺はその発言を聞いて、田ノ下を睨みつけた。


「あっ、いや、井手亜さん。すいませんでした。俺が悪かったです。怖い思いをさせてすいませんでした。後、柚希に頼んで嘘を付いて合コンに参加させた事も謝ります。すいませんでしたっ!」


 田ノ下は謝罪の言葉を口にしながら、真桜に深々と頭を下げた。


 飲み会すら仕組まれていたのか・・・

 本当にこういう事をする奴の神経が分からない。

 強姦は立派な犯罪だ。


「分かりました、謝罪は受け入れます。ですが、今後大学では私に話し掛けないで下さい」


「そ、それは・・・」


「おい!」


「は、はいっ! 今後一切井手亜さんには関わらないです。だから、許して下さい」


「ちゃんと約束は守れよ」


 それだけ言い残して、俺は真桜と共に部屋を去った。

 最後に見た田ノ下は憔悴し切った表情を浮かべて、床に崩れ落ちた。

 もしかしたら、少し魔が差してこんな事をしでかしたのかもしれない。

 それで、俺から警察と言う単語を聞いて、事の重大さに気づいたって感じか。


 俺は警察に突き出すと言ったが、そんなつもりは端からなかった。

 警察が必要なら最初から真桜が呼んでいる。

 世間の実際の性犯罪の被害の数に比べてその被害届の数はかなり少ないと聞いた事がある。

 それは被害を報告する事によって、自分が受けた被害を警察に話さかければならないと言う羞恥や、世間体を気にして報告しない人が多いらしい。

 被害者が泣き寝入りする世の中なんて理不尽だって思うが、それが現実だ。

 真桜だって女の子だ。出来るなら誰にも知られたくないと考えても不思議じゃない。

 本当なら俺にも知られたくなかったはずだ。でも、全て自分一人で解決するのは難しい。


 そう思った俺はある決意を胸にした。

 

 

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