第23話 恐怖の対象➁

「明日からは少し時間が空いているんだ。せっかくドミニク島へ渡航したんだし、観光がてら街を散歩しようか」


 セリーナは渡航して二日目の夜、フレッドさんから提案されて街を見て回ることになった。もちろん帽子は着用して目立たない恰好をして出かけるようにした。


 きちんとした商館から粗雑に立ち並ぶ大道店といったピンからキリまである店たちに、セリーナは圧倒された。このような場所に出入りした経験は少なく、人混みはかなりのもので、軽くめまいを起こしそうになる。


 人々もそれぞれで、身分の高い人が目当ての物を買い付けに来ていたり、家族連れでいかにも休暇を楽しんでいる人、商人や明らかに俗悪な世界に身を委ねていそうな風貌の人までいる。しかし、そんなものは喧々囂々としたようすにかき消されてなりを潜めている。


「あれ、レナ島の……」

「あの〈渡しの部族〉じゃない。のこのこ街にあらわれて、恥さらしだと思わないのかしら?」


 そんな喧噪のなかに、聞き捨てならない言葉を捉える。冷水を浴びせられた感覚に、セリーナは無意識にホイッスルを握りしめた。


「相手にするだけ無駄だから無視して。未だにこういう思考を持った人たちは一定数いてね、気分が悪くなったのならごめんね」

「いえ……」


 セリーナは居心地が悪くて身じろぎをする。今すぐあんな質の悪い人たちに文句を言って、彼らがどれだけ慈愛に満ちた人なのか証明してやりたかった。上辺だけの噂に呑み込まれている人たちに、渾身の一撃を食らわせて目の前の事実を信用してもらいたい。


 クレアたちから聞かされた言葉を三日目になってから目の当たりにした。なるほど、彼女たちが心配するのもうなずける。


 昔の自分の鏡映しを見ている気分になって、セリーナは眉をひそめた。いつまでも変わらない現実に改革をもたらすのはいつだって困難を極める。


 初日に人通りの少ない裏路地を選択したのは、余計な火種を受けないためでもあったのだ。町中を歩いているだけで的として扱われてしまうなんて、居心地が悪いという感覚以外生産されないので、できれば人と邂逅しない選択肢を選ぶのだ。


「……商人の大半は、様々な人たちと接する機会が多いから気さくな人たちばかりだから安心すると良い」


 港や商人たちは分け隔てなく交友を深めており、小さなグループを主としている主婦層たちがこちらと隔絶しているのが印象的だ。閉ざされた空間で、どの話を信じるかは本人そっちのけで決議の話題となるのは尾ひれのついた噂のみ。


「でも、気分は良くないです」


 セリーナの怒りっぽい口調に、フレッドは微笑む。


「そんなこと言わないではじめての観光を楽しもうよ。クレアたちにもお土産買っていくんだろう?」

「はい、そのつもりです」


 とはいえ、お土産なるものを購入した経験がない。そもそも、彼女たちは頻繁に渡航していないだけであって、ドミニク島を観光したことがある立場である。そんな人たちに適切なお土産を購入できるかどうか怪しい。


「なにを買うのが正解なんでしょう?食べ物とか、ですかね」


 だが、この島ではおそらく海の幸がご馳走だと推測されるので食べ物は不適切な気がした。海鮮ならいつものごとく口にしている。


「実用性のあるものはどうだい?ちょっとした装飾が施された食器とか、細工物とか」


 フレッドさんの助言になるほどと眉を上げる。食器だったら使用してもらえるし、クレアへ渡す物は、家の中にはなさそうな色合いの物を選べる。イアバルとキースのもおそろいにすれば万事解決だ。


「グラスを売っているお店がありましたよね?そこに行きたいです」

「よし、行こう!」


 フレッドさんに手を引かれて歩くこと少し、ひらけた場所に沢山の工芸ガラスの置いてある屋外店に案内される。


 太陽に照らされて光るガラスはまぶしいくらいにきれいで、選ぶのには時間が掛かりそうだった。


「時間はあるからゆっくり見よう」


 セリーナは促されて夢中になって工芸ガラスを見て回った。


 ひと言にグラスと称しても、まず大きさや深さもまちまちなのでその段階から迷ってしまう。加えて模様ともなると購入に至るまで一日以上が欲しくなる。


「娘さん、なにかお探しかな?」


 一軒一軒回っていると、ひとりの商人から声を掛けられた。


「友だちにお土産を買いたくて……でも、いっぱいあって目移りしているところです」


 セリーナは苦笑を漏らした。


「そうかい。娘さんくらいの年頃の子なら、少し幅が広めのグラスが合っているかもしれないね。なにかの拍子に倒してしまう可能性もあるだろうし、かといってお酒を飲むってことはないから少量のものだと物足りなそうだ」

「確かにそうですね!」


 イアバルとキースはせっかちな部分とは縁遠いが、クレアに関しては日常的に背が高いグラスを倒して溢していたと思い出す。


「広めで、量が入るグラスありますか?」

「そらきた!ここのものが全部そうだよ!」


 指さされたグラスたちは容貌通りかつ模様や絵が描かれていて、満足できそうなものがそろっていた。


 そのなかを目で追っていくと、オルカの絵が描かれているグラスを見つけた。


「これを三つください」


 セリーナはピンと来てオルカのグラスを指さした。薄水色、紺碧色、天色の三種類だ。どれも彼女たちに似合いそうな柄と色合いだ。


「毎度あり!娘さんにはおまけにもう一つプレゼントするよ‼」

「え?」


 セリーナは驚いて商人を見た。対する商人はウィンクを投げて言葉を続ける。


「娘さん、お友だちの分は考えているけど、自分の分は考えていなかっただろう?そういう子のような気がしたんだけど違うかい?」

「これは友だちへのお土産なので……」

「なら君にもおそろいが合ったって構わないだろう?ほら、これなんてどうだい?」


 差し出されたのは紅碧のグラスだ。同じくオルカが描かれていて、セリーナはためらってしまう。これは彼女たちには似合うから選んだ品であって、自分には不釣り合いなのだ。


「わたしには似合わないです……」


 セリーナは低い声で言った。事実を口にするのは辛い。


「おいおい、そんな悲しいこと言いなさんなって。それに、似合うかどうかじゃない。娘さんが、似合う人になるように努力すれば近づける」


 商人が何気なく発した言葉が、セリーナには深く刺さり、はっとして顔を上げた。


 しおたれてあやふやな態度を取り続けていたわたし。


 悲観的なわたしは、怖くて手を引いてくれている人の手を掴めずにいる。


 何をしても不幸になると思っていたから。


 でも孤独だった時とは違うのだ。


 理解者もいる。友だちもいる。


 はじめから違うのなら、走ってその人たちに追いつけるように努力するだけのこと。


 その先に待っていてくれる人がいる。席を空けて置いてくれる人がいる。


 諦める必要なんて、微塵もなかった。


「————それ、ください!」


 商人は破顔して機嫌良くグラスを包みにくるんで割れないようにしてくれた。


 努力はセリーナの専売特許だ。王女をやっていたときだって、我慢強く粘りを見せつけていたではないか。


(まずはフレッドさんに伝えよう。わたしの決意を!)


 商人から受け取った包みを抱いて、セリーナは店を後にした。

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