第22話 恐怖の対象➀
次の日からは、フレッドさんが仕事で出かけている時間はモーリスさんの仕事場を見学させてもらうことになった。当初の予定ではフレッドさんの仕事を見学する予定ではあったのだが、少々立て込む可能性が生じ、やむなく断念した。しかしそれでも、彼が出かけているときはセリーナも外出させられないとの意向で、セリーナはそれなら真珠を加工する工程が見たいと申し出たのだ。
モーリスさんは引き出しから一枚の紙を取り出した。その紙面には、花の絵が描かれている。
「これは真珠のブローチを制作するための設計図だ」
手招きされてのぞき込むと、確かにその絵には繊細で華やかな花の中央に真珠をはめ込む設計になっていた。これはラフだと言っていたが、間違いなくこれだけでも食べて行けそうな絵画の技術があるだろう。
セリーナは頭の隅で、モーリスさんにはいったい幾つ特技があるのだろうかと疑問になる。
「これはすでに贈る相手が決まっているんですか?」
ここまでイメージをつくっているということは、誰かに依頼をされていると考えられる。それにフレッドさんが持ち寄る白蝶真珠は高価なものだと聞いた。そんなものを扱える職人なら、贈る相手がいてもおかしくない。
「鋭いな。————これはチェヴェノ王国王女の誕生会に奉呈される予定なんだ。奉呈と言っても、王宮から依頼されて以来金は受け取っているがな」
「え?そうなんですか?」
「ワシは中年の頃から王宮や貴族に贈る真珠の加工を受け持っていてな。というより、それしかつくらん。巷に出回る宝石類はどこぞの若造に任せた方が安上がりですむしな」
なるほどそれなら高価なものしか扱わないのもうなずける。常にその年ベストの真珠を装飾品として王宮に納品するのが彼の仕事なのだ。それなら、モーリスさんが年に数度王国へ渡航する理由にもなる。
海に面し、レヴィル諸島を所有している国チェヴェノ王国の人は、装飾品に白蝶真珠を多用する。無論他の宝石類も嗜むが、象徴ともなっている真珠は他のものと比べても身につける頻度は多岐にわたる。よって需要の高い宝石は真珠が主なのだとか。
「で、それがブローチの土台だ」
「もうすでにできてるんですか⁉」
モーリスさんはいつのまにやら、銀でできた花のかたちのブローチを掲げていた。幾重にも折り重なっている花弁は、熟練の域だと一目で判断できる素晴らしい出来映えだ。
「いくつか試作品を試しにつくっておってな、納得のいくものができたからこれにしようと決めていたんだ」
モーリスさんはそう言うと加工し終えた白蝶真珠を中央に添えた。真珠が足されただけで華やかさが増したブローチは、まさしく身分の高い者が身につけていても劣らない代物へと変化した。
「とても綺麗です」
セリーナは感嘆の声をもらす。そしてそのブローチを身につける王女はどのような人なのか、想像した。きっと見劣りしない、素敵な女性なのだろう。
そう思うと、胸の辺りがズキリと痛む。
セリーナには、はじめから絢爛豪華な生活とは縁がなかった。寝食に困らない生活をさせてもらっていたとはいえ、侍女のような扱いだったし、王族の一味と言われても醜い存在なのだ。やはり自分は迷惑な存在なのだと自覚させられているようで苦しかった。
「————嬢ちゃんの今までの態度を見て思っていたんだが、お前さんはどうしたいんだ?国に帰りたそうにも見えないが、ここに永住したいようにも見えん。ワシは事情を事細かに説明されていないから余計なお世話かもしれないにしても、振り子が揺れているようにお前さん自身の意志が弱い」
突然モーリスさんは真剣な顔をしてセリーナの顔をのぞき込んだ。
セリーナは胸の内を言い当てられて、どう返答するべきなのか眉を下げた。彼の言っていることはおそらく正しい。正しいから動揺するのだ。
「……はじめは、島での暮らしに慣れるために必死でした。元いた国の足がかりとなるようなものが得られるまでの期間、新しい土地に馴染むために必要だと思って過ごしてきました。でも、わたしは島の人たちとふれあって、新しい人生を歩みたくなってしまったんです」
「お前さんは、なにをためらっている?」
「わたしは国へ帰っても、居場所がない身なんです。だからどこにいても厄介払いされていたわたしが、島の人たちに受け入れてもらえるはずがないと、もう一度最初からやり直したいなんて言えなくて————」
セリーナの瞳から大粒の涙がつたう。もう島に来てからというものの、何度も流してきた涙だ。いつのまにか泣き虫になってしまっていた。
「怖いか?」
「————はい」
「そうか、子どもの頃から大人にならざるを得なかったんだな。だがな、今嬢ちゃんの周りにいる人たちは薄情な奴らだったか?フレッドをはじめとした大人、友だちはお前さんの気持ちを蔑ろにしようとする奴か?」
セリーナは勢いよく首を横に振った。
クレアは一緒になって考えてくれると言っていた。
フレッドさんとイカットさんは、右も左も分からない自分の世話を引き受けてくれた。事情があるのを察して、話してくれるまでその話題に触れないでいてくれた。
イアバルはやさしくわからないことを丁寧に説明してくれた。
キースは、当たりはきついけれど、なにかとセリーナを気に掛けてくれるようになった。最近では、海については彼のお世話になっていて、色々と助けてもらっている。
そんな温かい人たちが、自分を蔑ろにしているはずはない。
だが、何度でも王女だったセリーナ自身を想起させ、身動きを封じられている。前を向けば向くほど、自覚させられて硬直してしまうのだ。
「理解しているのなら、あとは嬢ちゃん次第だ。もっと我が儘でいて良いほどだ」
「それもわかっています」
うつむくセリーナに、モーリスは言葉を続ける。
「いいか、嬢ちゃんを拘束する檻はすでになくなっているんだ。檻があったころとは違う。新しい世界に導いてくれる人がいるだけでなく、もうその場所から動けるのも知っている。あとは一歩踏み出す勇気だけだ」
「……はい」
セリーナはしばらく涙を流していたが、やがて涙を拭うと小さく返事をした。
そう、勇気だけなのだ。
きっとその勇気を、なによりも畏怖しているのだ。
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