第16話 白蝶真珠⑤

 空が美しい朱色に染まったところで、島民たちの片付けの作業が始まった。日が沈む時間だと感じたところで、素早く姿を眩ませようとする太陽に追われながら、セリーナは疲労の蓄積した足に鞭を打って水槽の運びに手を貸していた。


 この日セリーナが学んだ内容は外套膜のかけら、つまりピースを制作する作業だ。要とも言える作業を任されることに多少の緊張感はあったものの、均一に切る細々としたものに対してさして苦労もせずに覚えられ、最終的にはイアバルに任せてもらえるようにまで成長を遂げた。


 しかし、この長時間の緻密な行程は集中力が切れたと同時に疲労感が一気に襲ってくる。周囲の人たちも各々伸びやストレッチをして身体をほぐしていた。


「セリーナ、お疲れのところ悪いけど、ぼくと一緒に薪を採ってくるの手伝ってくれない?」

「薪?」


 セリーナよりお疲れであろうイアバルに首を傾げる。


「そ、これからたのしーい宴の時間になるから」


 イアバルの視線を辿ると、道具を片付け終わった人たちがなにやら別の道具を取り出してきているのが見える。それは鉄板とか、料理に使う類いのもの。


「これからバーベキューやるんだよ」

「今から⁉だって明日もあるんじゃ……」

「一日の疲れはおいしい海の幸を食べて回復するのが習わしだ!」


 セリーナの懸念を無視してイアバルが先に薪を採りに行ってしまう。疲労困憊になりかけのセリーナは多少唖然としながらも、なかばやけになってイアバルに同行する。正直まだ島の暮らしになじめているわけではないため、彼らの体力には舌を巻いている部分があったりする。


 だが薪を採って戻るなり、とても良い香りが鼻腔をくすぐった時点でいろいろな考えがすべて吹っ飛んでしまった。


「セリーナ!一緒にご飯食べよー!」


 先に自分の場所を確保して夕飯にありついていたクレアに声を掛けられ、彼女のもとで共に夕飯をいただく。


 大人たちは酒も飲んでいるのか、賑やかな声が波音とともに夜空にこだましていく。明日も作業がまだ残っているというのに、少しも遠慮せず豪快に酒をあおっていく人たちの飲みっぷりはすさまじかった。


 ちなみに島民たちは酒に対する耐性が強いのかたくさん飲んで夜中に酔っていても、次の日の早朝にはけろっとしているのだとか。加えて、次の日から遠洋に出てしまう人や代わりに交代で参加する人もいるらしく、それぞれ小分けして考えるのが面倒で、酒をあおりたいがために、昔の人たちはこの期間を毎日バーベキュー三昧にしたらしい。そこがなんとも欲望に忠実である。


 こんなことをしていれば、繊細な作業に手許が狂うのではというセリーナの気遣いも、歯牙にもかけていないようすである。


 島に来てはじめての大勢の食事に、セリーナは浮き足だっているのがわかった。


 こんなにも和気藹々とした食事が楽しいものなのかと知れて、自然と笑みが浮かんでいく。疲れも、この一時だけは忘れさせてくるみたいだった。


「————おい、セリーナ」


 一瞬、イアバルが自分を呼んだのかと思ったが、このぶっきらぼうな声の主はキースだ。


「え、ええと……なに?」


 セリーナはやや遅れて返事をした。彼に名前を呼ばれるとは思っていなかったのだ。てっきり、この前みたく馬鹿女だとか言われるものだと思っていたから。


「話がある、ついてこい」


 キースはやはりぶっきらぼうのまま、指をクイと少し離れた場所を指さす。端から見ると決闘を申し込まれている気分みたいだった。


 とはいえ、喧嘩?はしているものの憎しみや恨みといったドロドロした関係ではないはずだ。どうせキースとはきちんとした話し合いの場で向き合っていきたいと思っていたところではあるので、これはまたとない機会だと気合いを入れる。


「わかった」


 セリーナは確固たる声色で返事をする。ややこわばってしまったのは見逃して欲しい。


 イアバルはうなずくと、一足先に木の幹に腰掛けると一人分のスペースを空けて今度はその場所を軽く叩いた。


「ん」


 視線を外して指示されるのに戸惑いながら、指定された席をセリーナは座る。これ以上なくぎこちない空間が完成した。


 セリーナは唇を噛んだ。言いたいことはあらかじめ用意されているのだが、はじめからその内容で突っ走るのは御法度な気がして、まずは会話のきっかけをつくろうと考えているのだが、こういうときに限って普段どんな会話からはじめていたのかわからなくなる。ふり返れば、自分から話しかけるのは少なかったとうに感じる。それはこの島に来てからも、城での生活でも。


「……この前は悪かった。ちょっと言い過ぎた。だから謝る」


 言いあぐねているとイアバルの謝罪が耳に入り、驚いた。


「待って、あれはわたしに非があるの!だから謝らないで‼」


 セリーナは反射的に声を挙げる。


 島に来てふらふらしていたセリーナは、周りから見たら危機感のない女で迷惑だと思われていても文句は言えない。自分で見ている外での、彼らの負担を考慮できていなかったのは落ち度なのだ。それを謝られるわけにはいかなかった。


「人の話は最後まで聞けよ。おまえは自分のせいにすれば満足できるが、俺はそうじゃない。それに自分を戒め続ければ、いつか永遠に抜け出せなくなるぞ。これは俺がそうだから間違いない」


 セリーナは押し黙った。


「俺は海の脅威で死んだ親父の顔を間近で見た。尊敬する人があんなにあっさりと死んでしまうものなのかって思考が止まって泣けもしなかった。しかもその後から、島では珍しくなくても、同情の目を向けられるようになったのは苦痛だった」


 セリーナはキースの言うことにだけ耳を傾ける。


「それからさ、海が怖くなったんだ。だからといって海で泳いだり、潜ったりができなくなったわけじゃないけど、今まで以上に慎重になった。無意識に障害を取り除くようにもなったし、危険生物についても学んだ」

「……うん」

「そうして暮らしてきて、突然おまえがあらわれた」


 キースは真っ直ぐにセリーナを見つめる。焚火の光が映し出されるその瞳の奥にある真剣さに、セリーナは自然と息を呑む。


「〈渡しの部族〉は生まれたときから海を学ぶ。だから泳ぎも知っていて当たり前だし、自然と海を学ぶ。だけどおまえは海の被害に遭ってなお危険を顧みない無邪気さで接してくる、それに腹が立ったんだ。でも考えてみれば、おまえはおまえなりに必死だったんだろ?」


 視線を向けられて、今度は自分が話す番だと感じた。


「————わたし、訳あって縛られた生活を強いられてきたの。それが事故に遭ってこの島まで来て、自由な暮らしを目の当たりした。だから自分の目標を探せるよう落ち着くまで、今を生きようと思って、馴染もうと早とちりしてしまったの」


 多分、これが心配させた原因なのだ。


「俺さ、おまえに強く当たって放っておいたくせに、いざ溺れそうなおまえを見て、焦りより親父の影がちらついたんだ。こうなる可能性があったんだから、おまえの側にいればこんなことにならなかったのにな」


 キースの囁く苦笑が隣から聞こえた。


「でも真っ先に助けてきてくれた。————ありがとう」


 キースはセリーナの言葉に頭の後ろをガシガシ掻いて照れ隠しをした。誰かにお礼を言われることが、こんなにも気恥ずかしいなんて誰も教えてはくれない。


「条件反射だから気にするなっ!」


 セリーナは少し微笑んでから口を開く。


「あのね、キースにお願いがあるの」

「なんだよ、改まって」


 キースは顔のほてりを冷ましながら、相づちを打つ。


「わたし、帰る場所があっても居場所はないの。でも一人で生きる術も、外の世界も知らない。だからこの島で生活して、わたしの人生を決められる人になりたくて……それを手伝ってほしい」


 セリーナはようやくキースに言いたかったセリフを言えて安堵する。これを伝えられなかったら、すべてがはじまらない。


「……よくわかんないけど、手伝うよ。それにおまえ、ぼやっとしてて危なっかしいし」


 キースはセリーナにそれだけ言うと、そっぽを向いて目を瞑る。彼なりに格好を付けているらしかった。


「ありがとう。心がやさしいね、キースは」


 セリーナは口許に笑みを浮かべてキースの顔をのぞき込もうとした。キースは顔を見られまいと彼女に抵抗をする。


 剣呑な雰囲気は潮風に連れ去られ、代わりに和やかな空気が舞い込んでくる。


「変なこと言うな馬鹿女!」

「……わたし馬鹿女って名前じゃない!」

「うるさい溺れた奴が口答えすんな!それに良いか、手伝ってほしいと頼んだんだから明日からみっちり鍛えてやる。だいたい海には潮流だけじゃなくて、危険生物だっているんだからな!おまえが安心できると思っている磯にだって————」


 へらりとしているセリーナに対して島の講義を始めだしたキースを、彼の友であるクレアとイアバルは遠くから見守っていた。


「なーんだ。案外思い煩う必要なかったじゃん。というかこのまま恋に発展するレベルになりそうな予感!」

「恋はともかく、これから上手くやっていけそうでなによりだ」


 イアバルは恋愛方面へと発展させようとするクレアに空笑いをして、自分の見解を述べる。まあ確かに、あんなにはやくキースが心を開くなんてもってもみなかったので、予想外の進展具合にびっくりしている節はあった。


 とりあえず、あの二人にちょっかいを出すために二人はそろってセリーナとキースに合流しに行った。

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