第14話 白蝶真珠➂

 連日の大雨が過ぎ、ある快晴の日。


 この日のクレアとイカットは朝からせわしないようすだった。


「今日はなにか大事な日なの?」


 セリーナが問うと、クレアは朝食を素早く飲み込んでこたえた。その目はにやにやしていて、セリーナは眉を下げる。


「問題の答え合わせの日だよ!今日は朝から忙しくなるから、覚悟してね‼」

「わかった」


 その含みある目の理由がそれかと合点がいったセリーナは、自分の持ちうる限りの最速の速さで食事を再会する。家全体の雰囲気が駆け足だった。


「クレア、セリーナ。食べ終えたら食器は流しに置いておいてね!あたしたちは先に向かっているから!」


 イカットとフレッドは二人を置いて、家をすでに出てしまっていた。横目で夫婦を見送ったセリーナは、最終的なこたえを絞り出すべく頭を悩ませる。せめて自分なりの意見を持ちたいところではあるのだが、あの核がなにに必要なのか皆目見当がつかなくて、ついぞこの目で確かめるしかないと感じた。


「手、止まってるよ」

「わっ。ごめん」


 クレアに指摘されて大急ぎで朝食を掻き込む。残り僅かだったので、すべてを口の中に放り込んだ。


 それから食器類を片づけて、流しに置いておいた。せめて食器洗いをやっておこうと腕をまくったのだが、「それは後!」とクレアに腕を掴まれて早々に家を出た。


 雨上がりの空気は湿気を帯びていて、かつ要所要所が滑りやすくなっている。それでも燦々と照る太陽が、夕方までにはすっかり湿気を攫っていってしまっているだろう。二人は気をつけながら島の裏側に向かった。


「わあ……!」


 ひらけた堤防には、以前稚貝の仕分け作業を行った場所にたくさんの人たちが集まっていることに感嘆の声を挙げた。こんなに島民が集結しているのを見たのは初めてだった。


「今日はなにかのイベント?」


 セリーナはクレアに訊ねる。


「イベント、といえばイベントかも。あそこにいる皆で大がかりな作業をするんだよ!」


 クレアは笑ってセリーナの手を引いた。


 しかし、セリーナはふと気づいて足を止める。自分はまだクレアの友人と夫婦としか顔を合わせておらず、好機の目を向けられるはずだ。どんな顔をして島民の前にあらわれれば、良いのか逡巡してしまった。


「心配しないで。皆、セリーナを歓迎してくれるから」


 クレアのやさしい瞳にうなずき、一歩前へ踏み出す。大丈夫、もう王宮で一人肩身の狭い思いをするのとはわけが違うのだ。


「あらクレアちゃん、おはよう!」

「アンヌおばさん!おはよう‼」


 女性の一人がクレアに話し掛けた。


「その可愛らしい女の子がセリーナちゃん?噂通り、人魚のように見目麗しくて賢そうな子だね」

「あの……今日はよろしくお願いします」


 アンヌおばさんと呼ばれた女性は、セリーナに愛想良く話しかけた。


「あらあら、この子が噂の人魚ちゃん?」

「ほんと!肌が白いわ!でも、ここに来てから日焼けしたのかしら、皮膚が少し赤くなっているわね。家に帰ったら冷やしておいてね」

「金の髪なんて、私初めて見たわ!」

「あらやだ!私にもちゃんと見せてよ!」


 アンヌおばさんとおずおずと挨拶を交わしたのを皮切りに、周辺にいた女性がぞろぞろそろってセリーナに駆け寄ってきた。


 囲まれて質問攻めにあっていたセリーナは、矢継ぎ早に紡がれる質問に途方に暮れた。疎まれなかっただけ肩の荷が下りる事態ではあると認識しているのだが、逆に過剰接触されると、とてもじゃないが逃げ腰になってしまう。挙げ句の果てには、クレアの人魚騒動がまさかこんなところにまで尾ひれがついて広がっているなんて、穴があったら入りたい気持ちにならざるを得なかった。


「セリーナは大人気だね」


 外から成り行きを見守っていたフレッドがこっそりクレアに耳打ちをしてくる。


「父さんが根回ししてくれたんでしょ?」

「異国からやって来たセリーナはどうしても好奇の対象になってしまうからね。事情含め多少は話しておかないと、知らず知らずの間に彼女の心にある傷を開いてしまうかも知れない。その点を考慮してもらうために、できることはしておきたいだろう?というわけで、彼女らのあの対応はさすがに大目に見て欲しいね」


 クレアはセリーナが身の上話をしてくれたあの夜、彼女に許可を取ってクレアから両親に事の経緯を説明していた。だから、父親なりに最大限可能な配慮をしたのだろう。それで満足だった。


 島民の女性たちはクレア含め陽気な人たちが多い。特に中年———そんなこと直接言ったら殺されるが。だから、彼女らのあの振る舞いは今に始まったことではない。


「了解。ありがとね、父さん」

「はいよ。ところでクレア、ちゃんとあれ持ってきているか?」

「もちろん!」


 クレアはポケットからピアスを取り出した。


「おいおい、もっと大切にものを扱えないのか。なくすなよ」

「わかってるってば」


 クレアは舌を出してウィンクする。


「クレア、そのピアスについているのって真珠?」


 質問攻めからの脱出を果たしたセリーナは、クレアが普段身につけない装飾品を珍しく手にしているのが気になって、訊ねた。


「そう!これは毎年養殖した真珠のなかで、最高ランクのものを加工したピアスなの!あたしたち〈渡しの部族〉たちは十歳を過ぎると、《そちの恩恵》っていう儀式があるんだ!」

「〈渡しの部族〉?」


 はじめて耳にした名前だった。


「あたしたち島民は昔そう呼ばれていたの」


 クレアいわく、昔は島民たちがオルカを使役し、それらに乗ってレヴィル諸島を往復していたらしい。彼らの存在が衆知の事実となった際、島々の連携を強めるべく各地の島を訪れようとしたのだが、様々な人たちが彼らと同様に自由な航海をする手段を持っていたわけではなかったため、海を知り尽くしている彼らに、船の船首を任せて運んでもらう、渡し船の役割を頼むようになった。そして、その日に応じた航路を選択し、行き来するレナ島の島民たちを人々は〈渡しの部族〉と呼称するようになったとのこと。


 そして〈渡しの部族〉たちは、生まれてきたと同時に海について学び、自らを持って体験し、海を知り尽くす。だが、そんな知識がある彼らでも、海に敵わないとき時がある。命を落としてしまう人たちは、日常として存在するのだ。


 特に昔の子どもたちは、その身に合わない潮流に巻き込まれたり、思わぬところで事故に遭いやすく、十歳まで生き延びる子どもは僅かだった。だから、十歳まで無事生きることができた子どもには、その証が贈られる。それが《十の恩恵》と呼ばれる儀式にあたる。


 この儀式にはその年最高級の真珠をそれぞれ与えられ、それぞれが選んだ一つの真珠をピアスに加工してもらい、島の行事がある時には身につける風習になっている。


 ちなみに現在では、昔のように子どもに無茶をさせることを禁止するため、海に出る際にはある程度の年齢までは親の同行が必要とされており、それに伴って子どもの死亡数は減少している。


「きれいだね……」


 クレアの片耳ピアスには、大珠でシルバーの色がきらきら主張をしていて、彼女の純粋さを表しているようだった。


「あたしにはこういうの、似合わないでしょ?」

「そんなことないよ。クレアの輝きは引き立っているみたい」


 照れながら言うクレアにセリーナは首を振った。

 普段は海が大好きで、装飾品とは無縁そうな彼女でも、はやりアクセサリー類が好きな女の子なのだ。


 周りの人を見ると、男女それぞれ同様に真珠の片耳ピアスを身につけて、集結していた。


「今日はこれから行う手術が成功して、大きい真珠になりますようにって祈るために、皆真珠をつけてるんだ」

「手術?」


 セリーナは疑問を感じた。手術なんて大がかりなものを、防波堤付近でやるなんて、聞いたことがない。しかも、真珠に手術なんて想像すらつかなかった。


「これから真珠をつくるんだよ!」


 クレアの宣言に目を瞬く。


「ええ⁉真珠って自然とできるものじゃないの⁉」


 今まで王宮で見てきた真珠はすべてどこからから採取されてきたものだとばかり思っていたので、セリーナは驚きすぎて声が裏返ってしまう。とんでもないことを聞かされている気分だった。


「自然のものもあるけど、それって形とか不揃いで価値としてはあんまりの場合が多いんだ。でも、あたしたちは島独自の技術で品質の高い真珠を養殖しているってわけ!」

「それって出回って良いものなの?」

「なに言ってるの。市場に出回っているもののほとんどが、養殖された真珠だよ」


 セリーナは唖然として口が開いたままになった。今までの常識が覆され、どん底に落とされたショックを味わっている気持ちになった。


「あっはっは!だからいい線いってるって言ったでしょ?セリーナってば顔が面白いことになってるよー。まさかこんなに驚いてくれるなんて!」


 クレアは腹を抱えて笑いだした。その声は波音や海鳥たちの鳴き声さえかき消す大声で、世界全体に聞こえ渡っているのを想像させられる。


「もう!笑わないでよ!」


 セリーナは笑い転げるクレアの肩を揺すって静止をかける。なんだか毎回彼女に辱めを受けている気がした。


「いやあ、想像以上で堪能させてもらったよ。大丈夫、あたしが知らないことがあるのも当然で、セリーナが知らないことがあるのも当然だよ。わからないことがあれば、皆に聞けば教えてくれる。だから、少しずつ覚えていけば良い」


 セリーナはうなずいた。


 この島のひとたちはやさしい。それぞれのやさしさをもって、セリーナという一人の少女に向き合ってくれる。

それを実感したから。

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