第11話 レナ島での暮らし⑤

「夕方はごめんね、キースがあんなこと言っちゃって」


 風呂と夕食を終えて互いに布団に入るなり、クレアはそう切り出した。


「キースの言い分はもっともだよ」


 セリーナは首を振って否定する。ささやく二人の声が薄暗い部屋に満ちた。


「キースの父親は島一番の潜りの達人で、皆から尊敬されるような人だった。でもある日、捨てられて流されてきた網に引っかかって、亡くなったの」


 それで取り憑かれたようにキースは海のゴミを拾っていたのだ。もう二度と、誰かが同じような目にあわせないために。


「島民が海の事故に巻き込まれること自体は、そんなに珍しいことではないんだ。海は常に気分屋だし、その点は皆わきまえてる。でもね、備えていたとしても、家族は簡単に割り切れるものじゃない。キースもその一人だっただけ。父親を海で亡くして以来、乱暴な性格になった。だけど誰も責めれない」


 前を向け、なんて口が裂けても言えないとクレアは寝返りを打ちながら語る。セリーナはそのようすを横目で見ながら聞いていた。


「でも、キースはやさしいよ。わたしを助けてくれた」


 一見無頼漢に見える彼に垣間見えるやさしさは本物だ。キースの激情の根底にあるものは、人を思いやっている温かい心があるからなのだと、セリーナは純粋に思った。だからなおさら己を大切にしない人のことが嫌いなのだろう。


「セリーナ、ちょっと夜風に当たりに行こうよ」


 クレアのいたずらっぽい微笑みに口の端を上げながら、セリーナも悪い提案に乗ることにした。


 二人そろって、忍び足で抜け出して潮の満ちた海岸を裸足で歩く。月夜に照らされて、まぶしいくらいの明るさが、セリーナとクレアを映し出す。海水は冷たくて目が覚めるくらいだった。


「クレア、わたしの話、聞いてもらっても良い?」


 しばらくしてから、セリーナ今なら言えるかもしれないと、意を決して声を掛けた。


「うん、良いよ」


 セリーナとクレアは浜辺に座る。沈黙の後、セリーナは自分の生い立ちを彼女に語った。


 フリージア王国の第三王女であるということ。

 王位継承権もなく、不遇の扱いを受けていたこと。

 自分は要らない娘であり、近隣の強国に無理矢理婚姻させられそうになったこと。そしてその婚姻を結ぶために乗船した船で嵐に巻き込まれたこと。

 セリーナは国王とその愛妾との娘であるということ。


 思いつく限りのことを静かに明かした。


「えーと、愛妾って?」

「あー寵姫……じゃなくて、妾……でもないか。要するに正式な奥さん以外の女性のこと」


 なんとなくクレアに教えて良いものか不安になったが、説明しておく。罪悪感がこの上ない。


「正式な奥さん以外の人を娶る国もあるよね?確か側室だっけ?」

「それも一応正式な奥さんだよ。わたしの母は、公認すらされていなかったから」


 なるほど、とクレアがうなずく、なんとか理解してくれたようだ。


「セリーナはどこかお上品なところがあるなとか感じてたけど、お姫様だったんだね」


 そう言われるとちょっぴり恥ずかしい。おそらく、クレアが想像している生活より違う暮らしぶりで、かけ離れている気がする。


「じゃあさ、自分の故郷へ帰りたい?」


 うつむいたセリーナは問われて肩がふるえた。核心を突いた質問に、途端に息ができなくなる。


「————まだ、わからない」


 セリーナは迷っている。


 生まれからやり直したい、解放されたいとあれだけ願っておきながら、いざ解き放たれるとその願いが容易に崩れていく。それを、意地を張って認めていなかっただけ。認めてしまえば、もう前を向いていけなくなってしまうから。


 まるで、狭い水槽で飼われた魚が、広い水槽に移されても、もとの範囲でしか動くことができないかのように。


「もし国がどこにあるのか判明して、帰る手段を見つけたとしても、わたしには居場所がない。だからわたしがこうしている意味さえ見出せていないの」


 一度口に出した言葉は、案外すんなりと紡がれていく。自分で独白してはじめて、セリーナという名の女の子の気持ちを知った。


「あたしたちが手伝うよ。セリーナが自信を持っていけるようになるまで、できる限り背中を押すよ。言ったでしょ、一緒になって考えるって」


 クレアはセリーナの手を握って、清純な瞳で笑いかけた。


「うん。ありがとう」


 セリーナはその手を額につけてお礼を言った。クレアの温かさが、直接肌を通して伝わってきて、心が落ち着いていく。


(もう一度、わたしの人生を生きてみよう)


 突然広い水槽に入れられて困っている魚に、別の魚が手を差し伸べて世界を教えてくれることを、この身をもって体感した。


(わたし自身が、こたえを導き出せるまで————)


 セリーナは、それまでこの島で生きてみようと思った。

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