第10話 レナ島での暮らし④

 あれから泳ぎの練習をしていたセリーナだったが、一日で詰め込むのは良くないとイアバルに判断され、午後は磯採集を任されることになった。なんでも、夕飯に持って帰るためらしく、二人からカメノテやワカメといった食材の見分け方を教えてもらい、岩場で捜した。 

 

 その間彼女らは銛を持って海に入ったきりだった。ホイッスルの音がするので、オルカと協力しながら漁をしているのだろうが、音のした方角を確認しても、人らしき姿はない。


 時折、捉えた魚を小舟に運ぶ姿が視界に入るも、すぐに海に入ってしまうので彼らの敏腕振りには舌を巻く。これが圧倒的経験の違いというやつなのだと見せつけられているようでもあって悔しい。


 ちょっとした対抗心を燃やしたセリーナも、少しは多くの食材を持って帰ろうと意気込んで磯採集にのめり込んだ。岩場では手や足を切ってしまう可能性があるため、慎重に作業してと忠告されたのを脳裡で反芻しながら奥の岩場へと移動する。足は靴を履いているため比較的安全だが、手はむき出しなので、岩場を掴む際は細心の注意を払って行動するようにした。


 しかし、一人になると余計なことが頭をよぎり、あまり集中できなかった。果てしなく広がる海を眺め、自分はどうやってレナ島まで行き着いたのか、などと邪推してしまう。その度に頭を振って頭をリセットさせた。


 すでにバケツは半分くらい埋まった状況だ。せめて半分より上の量は集めてクレアに渡したい。


 海水が足をなでる。海の水位が徐々に上がってきているようだ。


 セリーナは海を見返した。潮位が上昇し、心なしか波が高くなってきている気がして不安になる。

 その時、ピィーと複数のホイッスルの音がして、セリーナは顔を上げた。クレア、イアバル、キースの三人が浜辺にいる。


 セリーナは勢いよく手を振って応答した。すると、クレアが何かを言って手招きしているのが見える。だが、潮鳴りの音がかき消して聞こえない。


「危ないっ‼」


 かろうじて聞こえたその声に首を傾げた次の瞬間、セリーナは波に背後から打ち付けられ、海へと身を投げ出していた。


 何が起きたのか全くわからず頭が混乱してしまう。真っ先に彷彿とさせたのは、あの海難事故での出来事で、不気味な夜が甦った。自分はまだあの冷たい夜に恐れを抱いている。


 必死に習ったことを記憶から掘り起こして泳ごうと試みるも失敗して、軽くあしらわれる。むしろもがく度に体力を削られており、苦しくなっていった。


 ビューという鳴き声とカツカツカツという特徴的な音が耳をよぎった。これは確かオルカが発している音だ。はっとするとセリーナの身体が下から押し上げられていくのを感じた。


「————がはっ」


 セリーナ海面に顔を出し、大きく息を吸ってから横を見る。オルカが顔を出してこちらを見ていた。しかし安堵したのもつかの間で、浮いていられないセリーナの身体が再び沈んでいく。オルカの背ビレを掴もうとするが、潮の流れが速い上に波が荒くてバランスを保つことができない。


 何度目か沈んだところで、誰かに抱きかかえられる感触で浮上した。


「暴れるなこの馬鹿女‼」


 海面に顔を出すなり、しがみつこうとした相手、キースからの怒声で身体が硬直する。セリーナを助けてくれたのはキースだったのだ。


 涙と海水で滲んだ瞳に映るキースの表情は荒々しく、激情に燃えていて、自然と彼に身を任せた。


「よし、そのままエノーの背にしがみつけ。俺はバケツを回収してから合流する。絶対にその手を放すなよ」


 彼の言うとおりにすると、すんなりオルカの背をかりることができた。そしてキースのサインを合図に、ゆっくりと浜辺まで向かう。


 キースは相棒を見送ると、岩場まで行ってバケツを回収してクレアたちと合流した。


「セリーナ、大丈夫⁉」

「うん。キースが助けてくれたおかげでなんとか」


 浜辺へ戻ることができたセリーナは駆けつけたクレアに愛想で返す。正直上手く笑えていないと感じた。


「なんであんなところにいたんだ?」


 イアバルが案じながら訊ねる。


「たくさん採ろうと思って。そしたらあそこまで……」


 語尾が小さくなっていく。セリーナは今更自分のしたことの危なさを自覚した。


「命をかけて食材を集めたわけだ。良かったな、バケツは無事だったぞ馬鹿女」


 キースがバケツを砂場に置いて射貫くような厳しい視線を送った。


「……ごめんなさい」


 セリーナはキースに頭を下げる。疑いようもなく迷惑をかけたのは自分で、それを引き起こした原因もセリーナ自身だ。驚いてもらおうと奥深くの岩場まで向かった結果、最悪な事態を招いてしまった。


「キース、ぼくたちも説明不足だったんだ。これくらいにしてくれないか」

「本当にごめんなさい」


 セリーナが再度謝ると、キースは勢いよくつかみかかって胸ぐらをつかみあげた。絞まる首に息が詰まる。


「良い子ちゃん振りするのはやめろよ!謝って済むなら俺たちはこんな苦労しなくてすんでるんだぞ!少し海を観察すれば時化てきたことぐらい見抜けるはずなのに、判断を誤ったのは、おまえが驕っていたからだろ!自分の力量くらい自分で判断しろ!」

「おい、キース!」


 イアバルが口を挟むが、キースはなおも続ける。


「運良くこの島へ漂流できたみたいだが、自分のこともわかろうとしないならこの島から出ていけ‼迷惑だ‼」

「キース‼」


 イアバルは無理矢理キースの手をはがし、彼と向き合う。


「————キース、言い過ぎだ」


 イアバルが低く言うと、キースはセリーナをひとにらみしてから、「先に帰る」と宣言して泳いで帰ってしまった。


「大丈夫、あいつには相棒のオルカがいる。そいつと帰るだろ」


 セリーナが困っているとイアバルはひと言だけ言って、クレアと小舟で帰宅の準備をはじめた。


 セリーナは帰路につく航路の間、「自分のこともわかろうとしない」という彼のセリフに胸が締め付けられて、始終上の空でいた。


 海の上では、行きとは反対に思い沈黙に包まれた。

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