第7話 レナ島での暮らし➀

 レナ島の人々の朝は早い。

 

 朝陽が昇ると同時に起床を開始し、汲んできた水で顔を洗ってから朝の支度をする。セリーナは布団に入ると同時に寝入ったクレアとは裏腹に、眠れない夜を過ごし、明け方にようやく微睡みはじめたので、クレアの容赦ない起こし方に悶絶するという、痛烈な朝を迎えることになった。

 

 朝食には魚や麦飯が並んでいて、しかも魚は新鮮な物ばかりで、とてもおいしい料理ばかりだった。城ではいつも誰かが毒味した後で、冷たい物ばかりが運ばれてきていたので、こんなに料理がおいしいものなのかと感心してしまった。


「母さん、今日はセリーナ連れて行くね!」

「わかったわ。セリーナ、体調が悪くなったりしたら遠慮せずに言うんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 クレアはものすごい勢いで朝食をかきこんで、支度をはじめている。セリーナも彼女に倣おうと必死に食べようとしたが、早々にむせてイカットから「娘の胃袋がおかしいだけだから」と諭されて、ゆっくり食べることにした。


 朝食を食べ終えると、セリーナとクレアは家とは反対方向へ向かった。反対側の海は波が比較的穏やかで、いくつもの筏が規則的に並んでいる。


 クレアは竹が組まれた筏の上を器用に歩き、紐でつるされ、袋に入ったなにかを取り出してきた。そしてセリーナを手招きすると、海水ある近くで袋を開き、目合いの小さなカゴの中身を広げてみせる。


「貝?」

「そ、稚貝だね。今からこれをバケツに大きさ順に分けるの。見本の大きさはそれぞれのバケツに入れておくから。触れる?」

「大丈夫です」


 貝を触るの自体は初めてだったが、抵抗はない。王女だからといって虫が触れないなどと笑い合う他の義姉妹とは違って、セリーナはその点肝が据わっていた。


 てきぱきとバケツに選別していくクレアに対して、セリーナの手さばきはぎごちないものだったが、慣れるとクレアは自分の分が早く終えたら、また筏へ行って新しいカゴを取り出して、次の作業の準備をし、その間にセリーナの担当分が終わるという循環にすることで、効率の良い作業となって楽しかった。


 そしてなにより、無心になってできる仕事が今は心を軽くしてくれた。


「そういえば、この貝たちってどのような用途で飼育しているのですか?」


 セリーナが問うとクレアは真面目な顔をこちらに向ける。


「それ、大変じゃない?」

「え?」

「セリーナはしゃべる方じゃないけど、その言葉遣いって結構言いにくそうに見えるし、あたしはもっと気軽にしゃべった方が親しくなれると思う」


 もともとセリーナは敬語を使用してきたわけではないが、教育を受けて人と会話をするときは丁寧な言葉遣いをするよう心がけていた。いつ人に見られてもおかしくないようにと思っていたからこそ、不慣れながらも無意識にそう会話をするようになっていたのだが、それが突っかかって聞こえていたというならば、違和感どころではなかったはずだ。


 セリーナは少し頬を赤く染めた。

 恥ずかしいという思いと、どう親しく呼べば良いのか、人と距離を取って生きてきたセリーナには難解な問題である。今すぐ名前を呼ぶべきなのだろうか。


「クレアって呼んでくれたらうれしい。あたしもセリーナって呼ぶから。もうすでに呼んでるけど」


 クレアの助け船に胸をなで下ろす。彼女は時に鋭くセリーナのことをよく観察している発言をしてくれる。


「うん、わかった」


 敬語を外したセリーナにクレアは笑い返す。


「それで良いよ。……話を戻すけど、これはね————いや、あと少しであの時期だし、その時に見てもらった方がインパクトあるかも。よし秘密にしよう!」

「……教えてくれないの?」

「あたしが教えるまで、この貝がなにか考えておいてよ!」

「そんな!」


 相変わらずクレアは突拍子のないことを考える。答えのお預けを食らって、セリーナはもぞもぞした気持ちでいっぱいになった。


 作業を終えてすべてを筏に戻しに行ってしまったクレアを情けない目で見送る。海に落ちる可能性のある、あの不安定な筏には到底足を踏み入れられない。それが少し悔しくもあった。


「いたいた。おーいクレア!」


 背後から海原に通りそうな少年の声がした。ふり返ると少年が二人、石階段を降りてきた。


「君が噂の人魚さんか」

「なわけねーだろ、だいたい足ついてんじゃねえか」


 いきなり話し掛けられてセリーナは面食らう。しかもクレアの人魚騒動が噂となっていると知って、取り乱した。そんな話が広まってしまうのは勘弁願いたい。


「あーもうっ!その話は忘れてよ‼」


 クレアは二人へ駆け寄ると拳を作って威嚇してみせる。そのようすからして、この少年二人とはとても仲が良いのだとわかる。


「ぼくはイアバル、でこっちの不良っぽいのがキースだ。よろしく」


 人懐こい笑みを浮かべ、好青年を彷彿させる少年がイアバル。そして、そっぽを向いてポケットに手を突っ込んでいるのがキースらしい。


「よろしくお願いします」


 セリーナが挨拶すると、イアバルは微笑んだ。


「ところでクレア、今日も海に出るだろ?これからぼくたちも海に出るんだけど、一緒に行こうよ。あいつらも待ってるぞ」


 クレアは「もちろん!」と快活に返事をすると、セリーナをふり返る。


「セリーナも一緒に泳ごうよ!」

「ええ⁉」


 セリーナは素っ頓狂な声を挙げた。


「わたし、泳げないよ!」

「大丈夫!あたしが教えるから。それに二人もサポートしてくれるし」


 思ってもみないとばっちりに、二人は同時に「はあ⁉」と目を丸くした。


「まあクレアの教えじゃ心許ないし、手伝うよ」


 イアバルはセリーナの物怖じした姿を見て、苦笑をこぼして肩を上げた。


「人魚のくせして、泳げねーのかよ」


 キースには皮肉を投げられ、あげく睨まれてしまったセリーナは眉を下げる。申し訳が立たなくて、自然と縮こまってしまう。


 だが、かくしてクレアを筆頭とした四人は海で泳ぐことになったのだった。

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