第5話 最端の島➂
どこかから波音が聞こえてくる。
(そうか、ここは船室か……)
セリーナは今し方、国を離れて異国の地へと向かっていたはずだ。だから目を覚ませば、たちまち現実の、嫌な世界が姿をあらわす。ならもう少し、眠らせてもらおう。
「まだ目覚めないみたいだから、水を汲んできて」
「はあい」
誰かのやり取りだ。会話の流れから推測するに、親子だろうか。どことなく昔の母との会話を思い起こさせる流れに、笑みを浮かべてしまう。
でもなぜだろう。
セリーナは急に不安になってがばっと身体を起こした。さっきまでの心地よい抱擁とは裏腹に、今はびっしょりと汗を掻いている。
「あら。あんた起きたのかい?汗を掻いているけど、どこか痛むところでもあるのかい?」
セリーナは自分の身体を見回す。服は取り替えられており、その下から覗く包帯のある箇所が痛むようだが、これくらいは問題ない。
「———あ、いえ」
声を出そうとしたが、上手く声を出せなかった。喉の奥になにかがこびりついて、話すことを禁じているみたいだった。
とりあえず戸惑いでひどく思考がかき乱されている。
セリーナは婚姻を結ぶために乗船して、嵐に襲われて死ぬ運命にあったはずなのに、今こうして人と会話を繰り広げている。死んだのならば、こうして節々の痛みすらないと思うのに、生きている証として痛みがある。
だが、目覚めた場所はおそらく知らない場所だ。
「そうかい。歩けるようだったら、この近辺を散歩してきたらどうだい。気分転換になるよ」
イカットは、セリーナからおびえを感じ取り、頭を整理する時間が必要だと感じた。そう遠くでなければ、すぐに呼び戻せるだろうし、何より彼女は一人になりたそうだった。
「お言葉に甘えてよろしいですか」
「良いけど、すぐに戻ってくるんだよ。それと、足許気をつけて」
「はい」
水を飲んで喉を潤したセリーナは、ふらふらとした足取りで外を出た。いつぞやの海から見た夕日の景色とは異なり、砂浜から見える夕日が目を焼いていく。
石階段をゆっくり降りて砂浜まで向かった。
ふり返ると、小高い土地や高台といったところにいくつもの家々が器用に並んでいる。見たこともない家の並びに目を瞠った。
セリーナが今いる場所は周りを海に囲まれた島なのだ。つまり異国の地へと向かおうとして海難事故に遭遇した結果、さらに異国の地へと飛ばされてしまったことになる。
「生き延びちゃった……」
今度こそ心細さがセリーナを蝕んでいく。
考えようと思考を巡らせようとするが、苦しくなって先のことを考えまいと思考を無理矢理停止させた。
潮風になびく髪を払って、脚を海に浸ける。潮の匂いが鼻を抜けていく。もう少し浸かってみようと歩くと不思議なことに気付いた。浅瀬がかなり先まで進んでいるのだ。
停止させて頭は、なにか別のことを求めていた。
「これ、どこまで続いてるんだろう」
セリーナはこの浅瀬がどこまで続いているのかを議題に定めて、進んでみることにした。しかし、
「だめ——————‼」
張り詰めた大声を背後からかけられ、びっくりして歩みを止めた。
声のする方向を見ると、女の子が全力疾走してこちらまで向かってくるではないか。
セリーナは思わず逃げ腰になったが、彼女があまりにも凄い剣幕でこちらに迫ってくるので、なにかやらかしてしまったのかと懸念して足がすくんでしまった。
視線を彷徨わせている間に、その少女はこちらに突進してきて、二人一緒にすっ転ぶ。頭から海水を被り、鼻に入ってセリーナはむせた。
「お願いだからまだ海に還らないで!」
必死の形相で懇願してくる少女に、セリーナはきょとんとする。
「いや、なにか勘違いしているのでは?」
「だってそうでしょ?あなたが人魚だから自分の住む海へ還ろうとしたんでしょ⁉」
「わたくしはただ、この浅瀬がどこまであるのか確かめたくて————あははっ」
セリーナはこらえきれなくなって笑った。
「なんで笑うのよっ」
頬を膨らませる少女を見て、セリーナの緊張しきった心が弛緩していくのがわかった。こんなに大きく笑ったのも久しぶりだ。
誰かが遠くから「クレア」と呼んでいる。きっと彼女の名前で、読んでいるのは彼女の父と母なのだろう。
セリーナたちは、半分濡れた恰好で岸へ上がった。
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