第2話 不思議な鳴き声➁

 しばらくは眠れていたと思う。

 

 だが、波が荒くなり始めたところで、あまりの揺れに目が覚めてしまっていた。

 そして不穏な雰囲気を後押しするかのように、突然ガンッという音がしたのを皮切りに寝ぼけ眼だった目は完全に覚醒した。


 ドアの向こうからは聞き取れないが、何やら慌ただしい声が聞こえる。

 セリーナはベッドから降りてネグリジェの上にガウンを羽織ってから外に出た。


「姫、今すぐ私についてきてください」

「このままでよろしいのですか?」

「時間がありませんのでそのままで結構です」


 廊下に出ようとドアを開けたところで見張りの男と鉢合わせた。焦りの色を隠そうともしないその姿に、夜の暗闇も相まって不気味さが増している。自然と身震いをしてしまった。


「何かあったのですか?」


 自分は質問できる立場ではないのは承知しているのだが、聞かずにはいられなかったので、男の背中を追いながら訊ねる。


「船が何かと衝突して座礁しました。このままではそう時間を要さず沈没するでしょう」

「座礁って、脱出する方法はあるのですか⁉」


 セリーナは声を挙げた。


 この船は国が貸し切っているとはいえ、小型客船と称されていても中型船に近い体型をしているはずだ。まさかその船が沈没するなんて思ってもみなかった。しかし、先程の衝撃は何かがぶつかった以外弁論のしようもない。


「脱出方法はあります。ですが———」


 甲板に出ると、雨と海水が横殴りに押し寄せてくる。外は嵐だ。

 男の声すら辛うじて聞こえるくらいで、風と海のうなる音がすべてをかき消してしまっていた。これでは脱出船を使用したとて波浪や風圧で転覆する。


 これでは遅かれ沈没する船からは逃れられても、嵐までもは回避のしようがないではないか。


「こんなのでは、脱出は不可能でしょう!」


 セリーナは声を張り上げて男に言った。


「もう船は傾いています!一刻も早く脱出しないと私たちも巻き添えになります!急いで‼」


 男に急かされて腕を引かれ、そのまま小型船へと乗り込んだ。乗員は五名も乗れないだろう。


「他の人たちはどうするのですか⁉」


 セリーナは乗船しているこの小型船以外、船がないことに気付いた。そして客船に乗船していた人数はあきらかに五名以上いる。


「彼らはすでに覚悟はできています」


 男が言うや、エンジンが動き出し客船と引き離される。

 セリーナは身を乗り出して海の底へと引きずり込まれていく船を見送った。暗くて波が高いため、すぐその姿形は見えなくなってしまった。


(わたくしを見殺しにしてしまえば助かった人もいたのに……)


 彼らは全員連合王国の人たちで、セリーナだけが異国の人間だった。値打ちが付くかどうかも怪しい人間に、その身を投げ捨てるなんて理解できなかった。


「仮にも他国の王女を死なせたとなると、外聞が悪くなるのですよ。さあ、奥へ」


 セリーナの心を読んだ男がそう口にする。促されるがままに奥の空間へと移動しようとするが、


「ダメです、舵がききません!」


 操舵手の悲鳴がつんざく。荒天と視界不良が災いして、船が不安定に揺れ動く。


 しかし、一際高い波が船を抱きしめようとおそい、はっとした次の瞬間には、船は転覆を強いられていた。

 

 ボコボコと空気と水が入り交じる音がし、左右上下がわからなくなる。鼻に海水が入り、ツンとした痛さと呼吸できない苦しさだけが残った。手を伸ばしてもがこうとするも、身体中があちこちぶつかって、押しつぶされる痛みばかりが募っていく。自分のことだけで精一杯だった。


(え———?)


 痛みをこらえていたセリーナは船室から放り投げられていた。


 船室にいた時とはまた別の、大海の荒波に捨てられて流れのはやい海流の餌食となる。なんとかして浮上するも、またすぐ脚を捕まえられて海へと戻される。

上も下も混乱した世界に、もはや抵抗する帰寮が失せかけていた。


(わたくしは本来、死を望まれてきた存在。なら、もう抵抗しなくても)


 セリーナはもがくのをやめた。


「お母さん……」


 水の中、最後にやさしかった母の面影を思い出してつぶやいた。


 目を閉じると、聞こえなかった海の声が逆巻く波の隙間から聞こえてくる。


 カツカツカツとクリックの音が聞こえる。ビュイーという音も聞こえる。


 流されている身になにかが当たった、というよりこすりつけられている。


 セリーナはおもむろにその物体に手を伸ばして掴んだ。すると、ぐんと勢いよく身体が引っ張られ、海面に顔を突き出すかたちになった。


「———げほっ。なにっ⁉」


 相変わらず視界が悪く、悪態混じりの疑問符を浮かべたがキュイーという音が聞こえるだけだった。


 それでも、セリーナはわけがわからず無我夢中になにかを必死に掴んでいることだけは認識していた。

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