第3話 お披露目会
運命の王宮での謁見と夜会の日。私は朝から準備に追われた。
専属侍女のコルメリア以外に下級侍女まで動員しての大忙しだ。ドレス、装飾品の最終確認から始まり、お風呂に入り、肌と髪の徹底的なケア。ムダ毛は見逃さず、ほくろや痣の痕は化粧で徹底して消す。肌を化粧水と香油でマッサージして、そうしたらドレスに着替える。
王宮での謁見と夜会であるから盛装だ。モリモリだ。コルセットを容赦無く締め上げられるとふんわりペチコートを何枚も履いて、何層にもなるドレスを順々に着こんで行く。重い。暑い。全体的に可憐なイメージの強いピンク色のドレスで、色合いの違うピンクが複雑に重なるものだ。髪は複雑に結い上げられる。既婚女性は髪を上げるものだからだ。・・・私、結婚はしていないと思うんだけど。要するに「私は王太子様の事実上の妻ですよ」というアピールらしい。
超豪華な装飾品が色々と私に飾りつけられて行く。あまりに上質過ぎて、逆に価値が分からない。物凄くお高い物だという事くらいしか分からない。私は気にするのを止めた。もし壊して怒られたら「そんなお高い物私に身に着けさせるのが悪い」と開き直ろう。
お化粧は楽しそうにコルメリアがしてくれる。コルメリアは愛人になった当初から私の顔を化粧して、色々試して遊んでいたのだ。なので私に似合う化粧が一番分かっているだろう。
まぁ、全てが完成するまで4時間は掛かったよね。既にへとへとだがまだ夜会は始まってもいない。頑張れ。今回の夜会には随伴で侍女長とコルメリアが付いてくれる。二人も慌ててドレスに着替える。ごくシンプルな地味なものだ。コルメリアは「せっかく王宮の夜会に出るのに気合の入ったおしゃれが出来ない!」と嘆いて侍女長にしこたま怒られていた。随伴が目立ってどうするのか!との事。まぁ、コルメリアがお化粧したら私が霞んでしまうわね。あ、そうすれば私は目立たなくて済むかも。次からそうしましょうか。
動きにくい事この上ない事に、上品に見せるためもあり、しずしず歩く。エントランスホールには王太子様が待っていた。相変わらず無駄に麗しい。いや、無駄じゃないか。いや、私の横に立つにはやはり無駄に麗しいわ。上着はネイビーのコートで、盛装だけあって襟や裾には金糸で華麗な刺繍が施されている。これの上にマントを羽織るのだろう。シャツは白。ズボンは黒。ネクタイはこげ茶色でそこだけ異様に地味だ。私がネクタイを見て首を傾げていると、王太子様は笑って私の瞳を指差した。私の瞳の色に合わせたのだそうだ。・・・ちょっと待って。私は顔が赤くなるやら冷や汗をかくやらだ。
二人で馬車に乗り込む。随伴の人達は次の馬車だ。
「思った以上にかわいらしくなったね。イール」
対面に座った王太子様が私の姿を見て微笑んで下さる。有り難いが、正直自分の服が似合っているのかどうかも良く分かっていない。気分的に全く余裕が無く、ガチガチなのだ。
「そんなに緊張しなくても、普通にしていれば大丈夫だから」
「・・・私、王宮に立ち入るのも、謁見に望むのも、王様に会うのも、夜会に出るのも初めてなんです。初めて尽くしなんですよ?普通の意味すら分かりません」
私が言うと王太子様は目を丸くなさった。案の定、私が庶民であったことを忘れていた様子だ。というか、庶民と貴族の違いを良く理解していないのだろう。
「そうか・・・。じゃあ、私の側から離れないように。それと、侍女長がフォローしてくれるだろう」
「頼りにしておりますよ」
王太子様のお屋敷から王宮まではそんなに遠く無い。馬車はほんの10分で王宮の門をくぐった。車寄せに馬車が止まり、王太子様が先に降りて私に手を伸ばす。
私が王太子様のエスコートを受けて馬車を降りる。それだけで周囲がどよめいた。「王太子様が女性をエスコートしている?」「女性に優しい王太子様なんて!」とかいう言葉が聞こえた。王太子様の評判が知れるわね。
私はぎこちない笑顔を貼り付けながら、王太子様の腕に手を絡めて華麗な王宮のエントランスホールに入った。豪華絢爛とは正にこの事よね。まだ昼過ぎだからまだ灯りは入っていないが、シャンデリアが幾つも下がった幅の広い廊下をしずしずと歩く。
廊下のそこここにも貴族やご婦人方がいて、こちらを見ながらヒソヒソと何か言っている。ううう。胃が痛い。早くも帰りたい。王太子様は流石の鉄皮面で穏やかに笑っているだけだ。しかしオフの王太子様の笑顔を知っている私には分かるけど、これは造り笑顔だ。内心は分からない。分からないようにするための笑顔だ。
この人、王宮ではいつもこんな顔してるんだろうな。大変だよ。王子様も。私は思わず王子様の腕をポンポンと叩いた。
「なんだ?」
「私も緊張していますが、王太子様も緊張しているように見えますよ?」
王太子様はちょっと驚いた風に目を丸くし、それから苦笑した。
「良く分かったね」
「何となくです」
王太子様と話していたら気が紛れて周囲が気にならなくなってきた。何だかんだ言って王太子様にはもう緊張するような関係じゃないし。王太子様の方も私と話したら多少顔が自然になってきた。
だが、謁見室の前室で王太子様とはお別れだ。この謁見は私へ爵位を授与する為のものだし、正式な妻で無い私を王太子様がエスコートして謁見室には入れ無い。王太子様は階の上に居る事になる。王太子様は私を心配そうに見つめ、軽く頬にキスしてから去って行かれた。私は侍女長とコルメリアと共に残された。うう、心細い。
前室でソファーに座って待っていると、王宮の侍従が来て手順を説明してくれる。特に難しい事は無いが、問題はこの緊張感の中で普通の事が出来るかどうかですよ。私は侍女長にくれぐれも間違えそうになったら指摘してくれるよう頼む。
またしばらく待っていると、侍従が呼びに来た。いよいよだ。私は立ち上がり、コルメリアに服を直してもらってから大扉の前に立つ。何だか良く分からないが彫刻がびっしり施された扉で、王国の権威をこれでもかと見せつけるような扉だ。それがゆっくりと開いて行く。
「カムライール・ルステン様、ご入来!」
侍従が呼ばわり、私はゆっくりと謁見室に入る。
・・・。絶句。
大謁見室はまるで教会だった。いや、広さもだが、構造も雰囲気も似ている。物凄く高い天井には華麗な絵画が描かれ、窓からは神々しく光が降り注ぎ、列柱が整然と立ち並び、中央に紫色の絨毯が真っ直ぐ延びていた。その先に階があり、上に玉座が二つ。王様と王妃様が座り、その横に王太子様が立っていらっしゃった。
そして絨毯を左右挟んで、百人以上は軽くいると思われる、王国の貴顕の皆様。その奥様がズラーッと並んでいる。その全ての注目が絨毯を歩く私、に向けられていた。
・・・プツン。私はあまりの緊張に逆に切れて、振り切れてしまった。なんかもう、現実の出来事とは思えない。私は妙に醒めた頭で周囲を観察しながら絨毯を進んで行った。はー。王国に貴族ってこんなにいるのね。貴族当主なんだからお年の人が多いのかと思いきやそうでも無いのね。女性の方のドレスは最近はシンプルなのが流行りなのかしら。私が今着ているみたいなフリフリはあんまりいないわね。あ、あんな所に私の両親がいる。一応呼ばれたのね。ヤッホー。久し振り。なんか目が点になってるけど。
などと現実逃避しながら私は侍女長とコルメリアを従えて皆様の間を進み、階の前で跪いて頭を下げた。
「御前に上がる事を許す!」
侍従の言葉に私だけ立ち上がり、頭を下げたまま階をゆっくりと上がり、一番上の玉座の前でまた跪いた。
「頭を上げる事を許す」
そのお言葉を頂いて、私は顔を上げた。王様と王妃様が並んで座っていらっしゃる。王様の右には王太子様が立っている。物凄い心配そうな顔で。大丈夫ですよ。もうなんだかよく分からなくなっているから。あれ?それは大丈夫なのか?
王様は確か現在50歳ちょうどだった筈。金髪青い目は王太子様と一緒だけど、顔立ちはずっと男らしい。引き締まった体格と相まって物凄く強そうだ。王太子様も脱ぐと意外と凄いんだけど。王妃様は45歳だったかしら。銀髪碧眼の物凄い美人だ。うん、これは王様がご愛人様を一人も持っていないというのにも納得だわ。
お二人は穏やかな表情で興味深そうに私を見ていらっしゃる。私はもう振り切れていたから普通に微笑んでいた。どうぞ見て下さいな、という気分だ。しばらくすると王様が軽く頷いた。階下の侍従が大きな声で言う。
「カムライール・ルステンをローデレーヨ伯爵領に封じる!」
王様が手を差し伸べる。手には一枚の巻紙を持っている。私は立ち上がり、近付いてまた跪き、両手で捧げ持つようにして巻紙を受け取った。
この瞬間、わたしはローデレーヨ伯爵領の領主となり、公式にはローデレーヨ伯爵夫人と呼ばれる存在になった。カムライール・ルステン・ローデレーヨ伯爵夫人というわけである。ちなみにこのローデレーヨ伯爵領というのは歴代国王のご愛人様に与えられてきた領地で、そういう領地はいくつかあるらしい。ご愛人様がお亡くなりになると国王様の元に戻され、次のご愛人様に与えられるのだ。ご愛人様が万が一、王族の元からお離れになり、再婚(?)でもすればその領地は独立し、才覚次第によっては続いて行くだろうが、今までにそうした例はないらしい。
ご愛人様というのはつまりそういう領地を与えられた夫人の事で、貴族社会では私がローデレーヨ伯爵夫人となったこの時をもって私をご愛人様になったと認識するらしい。今までは屋敷の内でしか認識されなかった私がご愛人様であるという事が公式に確定した瞬間だ。
女性が領主になる事自体が非常に珍しい事で、しかも何の血筋も功績も立てていない女性が領主になるなど普通はあり得ない。唯一ご愛人様になった女性にのみ許される待遇なのだ。しかも私は庶民。庶民がご愛人様になるケースは歴史上あったことはあったかなレベルで珍しい事らしい。家の両親、喜んでいるかしらね?それとも卒倒しているんじゃないかしら。
「面を上げよ」
国王様の言葉にそっと頭を上げる。さっきより近い位置に国王ご夫妻がいらっしゃる。凄く穏やかな顔をなさっている。王太子様もなんだかとても満足そうだ。
「息子を頼むよ」
「よろしくね」
国王様と王妃様が小さな声で微笑みながら言った。え?びっくりするほど親し気な口調だった。
しかし、謁見室の階の上でそれ以上の雑談は出来ない。私は再び頭を下げると、立ち上がり、後ろに下がり、しずしずと階を降りた。
謁見室を出たら緊張が抜けていきなり腰が抜けた。
「大丈夫ですか?」
これあるを予期していたらしい侍女長にがっしりと受け止められたので転倒は避けられた。
「ご立派でしたよ。素晴らしいです」
コルメリアも私を支えながら嬉しそうに言ってくれる。が、私はもう放心状態だ。
「もう帰りたい・・・」
「これからが本番ですよ。舞踏会でお披露目して、王太子様と仲睦まじい所を見せておかないと」
私は引き摺られるようにして控室に入り、ソファーにぐったりと横になった。すると王太子様が入って来て私の側に膝を付いた。
「大丈夫か?イール?」
だいじょばないです。と言いたかったが、まさかそんな事王太子様には言えない。
「少し、休めば大丈夫です」
「舞踏会では私が傍に付いているから」
頼もしい事を言って下さるが、根本的な問題はそこでは無い。さっきの謁見で分かったが、私はこの王宮において極めつけの異分子なのだ。
血筋は悪くないとは言え、私は去年まで平民階級の商人の娘だったのだ。裕福で、家庭教師を使って様々な教養を学んでいたとはいえ、所詮は庶民。子供の頃から遊んだのは近所の庶民たちだし、貴族に一人の知り合いもいない。社交界に出た事など無い。裕福な商人が社交の真似事をしたのにちょろっと出た程度。先ほどの様な本物の貴族の儀式に出ればそれが如何におままごとだったかよく分かる。
その私がいきなり伯爵夫人である。ご愛人様である。周囲の貴族たちからすればどうよ、という話なのだ。なんだあの所作も何もなっていない庶民は、あれが伯爵夫人だと?ご愛人様だと?世も末だ。王太子様も何を考えていらっしゃるのやら。そんな感じの幻聴が聞こえてくるようじゃありませんか。
おまけに舞踏会で王太子様と並んでお貴族様集団の中に乗り込んで親しくお喋りだと?勘弁してください。恐らくそこには王太子様のお妃様候補もいらっしゃることでしょう。処女喰い王子に平等に一回ずつ食べられたご令嬢方が。その方たちからすれば私の存在はどうなのよ?何?あのチンチクリンはどうしてあれがご愛人様なの?王太子様は目が見えていないんじゃないの?とか言われるに決まってる。
幻聴に押し潰されて唸っていると、王太子様が私の手を取りながらポツリと言った。
「分かった。帰ろう」
私はびっくりして王太子様を見てしまった。彼は私を心底心配そうな顔で見ている。
「イールの健康の方が大事だ。君は先に帰っていなさい。私が残って父と皆に詫びよう」
・・・ダメでしょうそれは。私はなけなしの気力をかき集めて、むっくり起き上がり王太子様に手を差し出した。
「大丈夫です。回復しました」
「しかし・・・」
「大丈夫です。御心配をお掛け致しました」
私はご愛人様。王太子様のお役に立つためにあのお屋敷で優雅に暮らさせて頂いているんだもの。その私のために王太子様が謝るなどあってはならない。私は全力を振り絞って立ち上がった。必死に笑顔を作る。
「さあ、行きましょう。舞踏会、どんななんでしょうね?」
王太子様はまだ何か言いたげだったが、結局微妙な表情で微笑んで私の手を取った。
舞踏会の会場は王宮の広間の一つで、上から数えて三番目に格が高い広間だという。ちなみに一番上は国賓を招いて王国が総力を挙げて歓待する際に使う広間で、二番目は少し格の落ちる外国の来賓を歓待する広間だから、三番目だからと言って私が冷遇されている訳ではない。いや、事実上国内の人間のために使われる広間としては最上級なのだからむしろ厚遇のし過ぎだ。私を何だと思っているのか。
「王太子様、ローデレーヨ伯爵夫人、御入来!」
と告げられながら入る私達。さっそくローデレーヨ伯爵夫人て誰よ?と思ったよね。
大広間はまぁ、何と言うか、キラキラと輝いて、おとぎの国かな?という印象だった。私も商人の家に生まれたからモノの良し悪しは多少分かるつもりだったが、装飾から調度から飾られている花に至るまで、あまりにも格が高過ぎてさっぱり分からない。凄い豪華。以上。それしか分からない。
全体的には形状は丸。中央に階段があって流れるように二階、三階へと上がれるようになっている。一階がダンスコーナー、二階が軽食歓談コーナー、三階がお酒やカードゲームを楽しむラウンジみたいになっている。シャンデリアが何十個も下がっており、昼間のように明るい。は~。なんだこりゃ~。みたいに私がきょろきょろしていると、王太子様が私の手をポンポンと叩いた。
「びっくりした?」
「それはもう」
私がコクコクと頷くと、王太子様はクスクスと笑った。
「一応、ここよりは小さいけど広間は屋敷にもあるよ。長らく使っていないけど、君が夜会を開きたいなら開けようか?」
とんでもない事言い出しましたよこの人。まさか夜会の主催もご愛人様の責務なんて言いませんよね?私が涙目になると王太子様がまたクスクス笑った。
「まぁ、今日で夜会が好きになるかもしれないじゃないか」
「ま、前向きに検討させて頂きます・・・」
私達は並んでホールに入って行く。入ったのは一階で、一番奥に玉座があり、あそこに王様と王妃様が入られるのだろう。まだいないけど。王太子様はその玉座のすぐ脇に置いてある椅子に私を座らせ、自分も横に座った。う、やっぱり王様のすぐ横ですよ。ちなみに私の右手は王太子様に握られたままだ。私の後ろには侍女長とコルメリアが立つ。
王様が来たらご挨拶。上手く出来るかな・・・。などと思っていたのがまずかった。その前に王太子様と私の前には行列が出来たのだ。何のって?お貴族様たちのご挨拶の行列ですよ!何事かと思ってあわあわしてしまった。
「ハルーラン侯爵でございます。ご機嫌は如何でございましょうか、王太子様。初めまして。ローデレーヨ伯爵夫人」
ロマンスグレーの男性が夫人を伴って私の前に跪く。ひ~!侯爵が私に頭下げてる!止めて!心臓に悪すぎる。しかし王太子様は上機嫌でそれを受ける。
「久しぶりだな侯爵」
「全くですよ王太子様。王太子様がめっきり夜会に出られなくなりましたから、機会が無かったのですよ」
「忙しかったのだ」
「そうでしょうな」
侯爵様は意味ありげに私を見て微笑んだ。
「ローデレーヨ伯爵夫人とは末永くお付き合い頂きたいものです」
私は引き攣った笑みで頷くくらいしか出来なかった。侯爵が去ると、次は青に近い黒髪の若い男性が跪く。
「ヴェルディアン侯爵でございます。王太子様ごきげんよう。ローデレーヨ伯爵夫人、初めまして。お会い出来て光栄です」
「ああ、ウーフか。来たのか」
「それはもう。殿下の秘蔵の花のお披露目でございますから。何を置いても駆け付けましたよ」
そう言うとヴェルディアン侯爵は器用にウインクして見せた。
「ウエブラン・ヴェルディアンと申します。ウーフとお気軽に呼んで下さい。可憐なレディ」
ヴェルディアン侯爵がそう言って私の手に触れようとすると、王太子様がその手をピッと払った。
「馬鹿者。見境なく手を出すな」
「殿下に言われたくありませんな。泣かした女の数では殿下にはとてもかないませんぞ?」
「以前の話だ。もう。そんな話をイールの前でするでない」
あ、何となく王太子様とヴェルディアン侯爵の関係が分かってしまった。女たらし仲間だ。多分。ヴェルディアン侯爵が二言三言話して手を振りながら去って行くと、次は白髪のナントカ侯爵が・・・。という感じで、何十人ものお貴族様が身分順に次々と挨拶をしていった。ひ~!私は一応は貴族名簿で名前は覚えていた筈なのだが、突然の挨拶行列にパニックになり、ほとんど思い出せなかった。
伯爵以上のお家のしかも上位の当主と夫人だけだったのに数十人ですよ。思い出せませんよこんなの。王太子様は流石、一人一人と話を交わしていたから覚えているのだろう。多分。これが王族の必須技能なのだとしたら凄過ぎる。私には真似出来そうもない。挨拶が終わった頃には私の魂は口から半分出掛かっていた。
しかしながらここで幽体離脱している訳にはいかない。まだメインイベントは始まってもいない。そう。
「国王陛下、王妃様、御光来!」
わっと拍手が湧いて、拍手の中、先ほどの儀式用の服では無く、意外に身軽な黒いコート姿で国王様が入ってらっしゃった。軽い格好をするとむしろ体格の良さが露わになるわね。王妃様はロイヤルブルーのロングドレスだ。圧巻だ。無茶苦茶に美しい。凄い。私は王妃様にうっとりと見とれてしまった。なるほど王太子様の麗しいお顔はこの方から継いだのね。
お二人は立ち上がってお迎えした私達を見て微笑んで、玉座に腰掛けられた。すぐさまご挨拶行列が形成され、先ほどと同じように王様王妃様にご挨拶をして行く。それが終わってようやくお貴族様たちは思う思うに散ってパーティを楽しみ始めた。大変だ。お貴族様も。
大変なのはこっちもだけど。王様王妃様がご挨拶を受けている間は私達も微動だに出来ない。辛い。お昼は控室で少し食べたけど、そろそろお腹も空いたし飲み物も飲みたいけど我慢するしかない。ご挨拶が終わり、一息。ではない。王様王妃様の周囲から人がいなくなった、ここからが私にとっては本番だ。
「疲れたでしょう?」
美しいお声で私に気軽に声を掛けて下さる王妃様。私は思わず背筋を伸ばした。
「は、はい。少し・・・」
「でしょうね。まぁ、こんな格式ばった儀式や夜会ばかりでは無いから今日の所は我慢してね」
「は、はい」
そして私は一度小さく深呼吸をして、王妃様に頭を下げた。
「カムライールと申します。この度は、その・・・」
「ああ、良いのよ、挨拶なんて。分かってます。この子が無茶な事をしたのでしょう?ごめんなさいね」
謝られて私の方が大いに焦った。
「とんでもございません!王太子様には良くして頂いています!」
「そうなの?無理やり手籠めにしてお屋敷に閉じ込めているのではない?」
「全然!そんな事はございません。その、けして無理やりとか、そういう事はございません」
王妃様はホッとしたような顔をなさった。
「そう。良かったわ。そう言ってくれて。この子は女癖が悪くて。どうしてくれようかと思っていたところだったのですよ」
「母上」
「事実ではありませんか。ブレンディアス。あなたの尻拭いに私がどれほど苦労したと思っているのですか」
王妃様がじとっと王太子様を見ると王太子様は不満そうな顔をなさりながらも反論しなかった。侍女長の話を信じるとしても、まぁ、処女を食い散らかされた令嬢なりその親なりから甚大な抗議が王妃様にはあったんだろうね。
「その馬鹿息子が遂に一人の女性を気に入ってお屋敷に置き、女遊びをぱったり止めて毎日あなたのお部屋に帰るというではありませんか。私がどれほど歓喜した事か」
侍女長がクスクスと笑う声が聞こえる。ああ、侍女長が逐一王妃様に報告をしていたんだろうね。
「本当にあなたに会うのを楽しみにしていたのですよ。カムライール。可愛らしいお嬢さんじゃありませんか。仲良くしましょうね」
むっちゃフレンドリーなんですけど。どういう事なのか。私は戸惑いながら頷いた。
「其方の好みがこのような可憐な女性だとは思わなかったぞ、ブレンディアス」
国王様が笑って王太子様に言った。王太子様はむすっとした表情だ。
「別に外見で選んだわけではありません。それに、今日の様な格好で無ければ彼女はそれほど可憐という事はありません。きちんと美しいのです」
?今のは褒められた?微妙な発言に聞こえて王太子様を見上げると、彼はちょっと慌てたように言った。
「今日の様なひらひらしたドレスを着て幼く見えるような格好をしていなければもっとちゃんと大人の女性に見えるのだ、という意味だよ。カムライール」
幼く見える?私が首を傾げると、侍女長が言った。
「今日はこちらの方がよろしかろうと思い、僭越ながら私がコーディネートしました」
「ああ、そうね。他の令嬢と全然違うタイプに見せるというのは良い手かもね」
王妃様が訳知り顔に頷いた。???何の話かな?王様は声を出して笑った。
「そうか。なるほどな。では違う大人の格好も楽しみにしているよ。カムライール」
王様に名前を呼ばれてしまいましたよ。私は恐れ多くて頭を下げてしまう。しかし、王様も王妃様もびっくりするほどフレンドリーだ。なんというか、本当に処女喰い王子が一人の女性を自分の愛人だと連れてきたのが嬉しいのだな。という感じだ。
しばらく王様王妃様と歓談すると、私と王太子様は席を立った。とりあえず踊ろうか、という事でホールに出て行く。・・・王様たちとのご歓談で更に精神力をガリガリと削られた私に初めての社交ダンスを披露しろとな?鬼ですね王太子様。良いですよ。やってやろうじゃありませんか。
・・・まぁ、経験も無くこんな状態では上手くは行きませんよ。3曲ほど踊ったけど王太子様のリードのおかげでようよう踊り切れたかなという感じだった。無念。ただ、王太子様曰く、私より下手な令嬢もたくさんいるから気にするほどでは無いとの事だった。いや、王太子様は私に点が甘いから信用は出来ないが。
正直、ここまでで私の精神力も体力も既に一杯一杯だった。と、とりあえず、何か食べないと力が出ない。幸いな事に私へのダンスの誘いは王太子様が断って下さった。私は微笑んで頭をペコペコ下げてその場を離れた。私は王太子様に「お腹がすきました」と訴えた。王太子様は笑って私を二階へとエスコートしてくれた。
二階は当然一階より小さいが、テーブルが幾つか並び、窓際には軽食が並んでいた。テーブルに座って頼めばコース料理を出してくれるとのことだったが、とりあえず何か食べないと動けなくなりそうだったので、コルネリアに適当な軽食を取って来てもらう。私が小さい体で大食いな事を知っているコルネリアはお盆に結構な量の食べ物を乗せて来てくれた。とりあえず喰うぞ~。
と、思ったのだが。
「王太子様、ごきげんよう」
とテーブルに座る私達に声を掛けてきたのは3人の令嬢たち。王太子様の笑顔が僅かに曇った。私の後ろに立っていた侍女長がさりげなく私の耳元に口を寄せた。
「左からローイデン侯爵令嬢、イルセリア伯爵令嬢、カルファン侯爵令嬢です」
ああ・・・。みなまで言わなくて分かります。王太子様のお妃候補。そして処女喰い王子被害者友の会ですね。分かります。
「是非、ご愛人様をご紹介下さいませ」
あまり公の場では「ご愛人様」という言葉は出さないらしい。私は公の場ではローデレーヨ伯爵夫人と呼ばれると聞いている。それをあえてご愛人様と呼ぶというのは、あまり私に良い印象を持っていないという事だろう。そりゃそうだ。持っていたらびっくりだ。
私は立ち上がり、頭を下げる。
「カムライール・ルステン・ローデレーヨでございます」
「伯爵夫人。あなたの方が上位です。頭を下げてはなりません」
侍女長は言うが、私は首を横に振った。
「にわか伯爵夫人ですもの。私は皆さまに社交界での振る舞いを教わる立場ですわ。先生に頭を下げるのは当然です」
そして私は三人に向けて笑いかけた。
「どうか仲良くして下さいませ」
すると、それまで少し意地悪い表情を見せていた令嬢たちが目に見えて狼狽えた。どうしたわけだろう。彼女たちはおろおろし、私に「ま、まあ、あなたも頑張ってね」とか訳の分からない事を言い残して去って行った。???なんですか?
すると侍女長とコルメリアが顔を見合わせて笑った。
「どうやら作戦成功ですね」
?何ですか?作戦て。すると王太子様が苦笑して言った。
「今日の君の格好の事だ」
「格好?ドレスの事ですか?」
「そうだよ。侍女長は、今日の君の装いを、わざと君が必要以上に幼く見えるように仕上げたのだ」
?なんですと?
「君は背が低いし、やや童顔だ。その君がひらひらドレスで桃色でしかも身体の凹凸を出さない服を着ていると、完全に子供に見える」
なんと、ずいぶん可愛いドレスでフリフリしているし、見る人皆可愛いとか可憐とか言うのでどういう事かと思ったら、そういう事なのですか。それはまた、なぜそんな事を・・・。
「子供みたいな君を見て、しかも君が怯えたように頭を下げたのを見て、自分が子供をいじめているような気分になったのであろうよ」
「それだけではありませんよ。殿下。場違いなほど可愛らしいカムライール様を見て『ああ、王太子様はああいう子供みたいな可愛いお嬢様がお好きなのか。じゃぁ私達に魅力を感じなくても無理はないわね』と思わせる効果も狙っています」
コルメリアが胸を張って言うのを見て王太子様は嫌そうな顔をした。
「それはもしかして、私が幼女趣味があると誤解されているという事なのではないか?」
「そうとも言いますね」
コルメリアは冷然と言い切った。忘れてたけどこの人も被害者友の会の一人だった。ちょっとした復讐のつもりなのかもしれない。王太子様は溜息を吐いて「まあ、イールのためなら仕方がない」と言った。
コルメリアのアドバイスに従い、その後同じようにやって来る貴族令嬢、被害者友の会の皆様に心よりお詫びを申し上げ、なんなら目にうっすら涙を浮かべて見せると、彼女たちは一様に動揺し、そして非常に私に同情したようにねぎらいの言葉を掛けて去って行かれた。中には「こんな小さい子に手を出すなんてこの鬼畜王子が」と呟いている令嬢もいた。解せぬ。何か誤解がある。私は17歳でもう幼く無い。普通に成人なのである。
王太子様も頭が痛そうにしている。彼にまた一つ女絡みの悪名が付け加えられそうなのだから無理も無い。
「なんだかすみません」
「いや、この作戦のおかげでイールが不快に思う機会が減るのなら、私は甘受しよう」
とまで言って下さる。しかし、と王太子様は私を見ながら言う。
「イールは別にスタイルは悪くないのに。背が少し低いだけで。胸もまぁまぁあるし、腰も・・・」
「王太子様!」
こんなところで私のスタイルの話などしないでください。王太子様は苦笑して黙り、私はようやく腹ペコのお腹に王宮の美味しい軽食を詰め込み始めたのであった。
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